はじめに
「ウツもどき」が増えている。
こんな誤解を招くような表現を、本書ではあえて使い続けています。「ウツ」という概念が安易に流行していく風潮に、何としても終止符を打ちたい。そんな強い願いを伝えたいからです。
「もどき」といっても、本人は本当に苦しんでいるのですから、仮病などではありません。表面上はウツ病に酷似しているけれど、専門家から見ると本質的に何かが違う。本書での「ウツもどき」とは、そういう意味です。
世界的診断基準となっているアメリカ精神医学会作成のDSM‐IV‐TRによると、ウツ病とは「空虚で毎日悲しい」という抑ウツ気分と、「集中力・思考力・決断力が止まる」という認知障害が、二週間以上続く病気と定義されています。
現在私が診ているあるウツ病患者の表現を借りると、
「毎日毎日が激しい二日酔いのようだ。体も心もグラグラして狂いそうだ。いっそ楽になりたい」
痩せきった体で、魂の抜けた人のように薄く口を開いたまま。ウツ病は、常に死と隣り合わせの大病です。
しかし近年、心療内科を受診してくる方々を診ていて、私自身が強く思うようになったことがあります。それは、
「あれ?この人は本当にウツ病と診断していいのだろうか?」
そう首をひねるケースが、あまりにも急増しているのです。
まるで、自らが「ウツになりたい」と心のどこかで願っているかのような、何とも複雑な心の絡まりを吐露する人たち。何でもいいから精神疾患だと診断して欲しい……、現代社会には、そんな「ウツ」を巡る不可解なメンタリティが、しだいに蔓延しはじめているように思えて仕方がないのです。
「ウツもどき」などという人が多い世の中は、とても悲しい世の中ですね。本来ならば誰もが、もっと前向きに楽しく暮らしていきたいはずです。それなのに、私たちの国はどうしてそんなひずんだ構造になってしまったのでしょう。どうすれば、今の世の中を、柔らかい心とタフな精神のままで、生き抜いていけるのでしょうか。
本書は近年増えている、「ウツもどき」の人々、言い換えれば「ウツになりたい」といった根深い病的心理にひそむ心のヒダを、社会的背景を視野に入れながら、事例と学術的エビデンスの両面から考察していこうと思います。
それによって、現代的なウツブームの裏にひそむ、精神疾病への大衆心理の謎が浮き彫りになってくると確信するからです。
ちなみに本書では、「ウツもどき」をさらに、①ウツになりたい病、②アイデンティティの不安定さからくるウツ的症状、③新型ウツ、の三つのタイプに分類して考察しています。タイトルの「ウツになりたいという病」は、この三つを総称したものです。
本書の試みが、多くの人の心身を、少しでも明るく健康なものにする一助となるよう祈っております。