「息をする」ということ
 私たちは生きている限り、二四時間ずっと呼吸をし続けています。知人との約束をうっかり忘れてしまうことはあっても、息をするのを忘れることはありません。それは、意識しなくても呼吸するようなメカニズムが働いているからです。心臓が休みなく動いているのと同じです。運動すると呼吸は速くなり、眠っているときはゆっくりになります。
 ひとつだけ心臓と異なるのは、呼吸は自分の意識によっても調節することができる点です。意識して呼吸を止めることもできれば、速い呼吸をしたり、深く大きな呼吸をしたりすることもできます。また、反対に呼吸のしかたが意識や心理にも影響を及ぼすことが知られています。
 普段は、無意識に行っている呼吸ですが、実は人生のあらゆる局面で、息をすることは意識や心理とも通じる大切な要素として捉えられ、古くから日常で使用する言葉にも表れています。だれかと協力して作業するときは「息を合わせる」ことが必要です。デートには「息を弾ませて」行くでしょうし、試験の開始時間を「息を詰めて」待つこともあります。試験が終わって安堵すると「息をつく」ことができる、といった具合です。そして、人生の終わりにはだれもが「息を引き取る」のです。
 その当たり前のはずの「息をする」ことが、なんらかの原因でうまくできなくなり、苦痛をともなうようになる病気があります。それが肺炎や気管支炎、肺がん、そして世界的に問題になっているCOPD(慢性閉塞性肺疾患、第三章参照)などの呼吸器の病気です。呼吸器の病気を専門的に診療するのが、私たち呼吸器科の医師の仕事です。