はじめに

 私は、現代人の生き方を足し算的な生き方だと思っている。大多数の人が、今よりもっと成功したい、今よりもっとお金を増やしたい、今よりもっと人から評価されたい、今よりもっと幸せになりたいといった希望を抱き、ひたすら努力しているさまを見ると、そんなことを思わざるをえない。
 足して、足して、どんどん足し続ける。そんな足し算的な人生はここまで足せばOKというゴールはない。人々のもっぱらの関心は、この人生の足し算をいかに上手くやるか、それによって成功やお金や幸福をどれだけ多くつかむか、ほとんどそのことにつきるように見える。
 だが、こうした足し算的な生き方、価値観といったものは、ここへきて大きな曲がり角を迎えつつあるようだ。
 たとえば、先のリーマンショックは強欲な資本主義が足し算を過剰にやり過ぎた結果の悲劇であろうし、環境問題は自然から際限なく引き算してきたものを人間の社会にそのまま足し続けてきたことからくるものにほかならない。また戦後、モノを足し続けて豊かになれば幸福になると信じてやってきた日本の社会は、いざ豊かさを実現すると、反対に心の病を無数に生み出す事態になっている。
 足し算的な発想や生き方は、間違いなく行き詰まりを見せ始めているのだ。では、そんな生き方に限界やさまざまなひずみがあるとすれば、果たしてそれに代わるどんな生き方があるのだろうか。

 本書で私が述べたかったことは、この足し算の生き方とは違うまったく新しい可能性を持った生き方である。それは足していくことを止めて、反対に足したものを引いていくような引き算的な生き方だ。
 ただし、この引き算は「押してもダメなら引いてみろ」の「引く」とはちょっと違う。単純に正反対のことをするというのとは違うのだ。正確に言えば、足そうとすることから「足そうとする力」そのものを「抜く」ことで成り立つ別次元の引き算である。
 この本では、「努力する」「頑張る」「求める」「つくる」などといった足し算へと向かうさまざまな発想や行為を俎上に載せている。そしてそれらがどれだけ無理で不自然なものを孕んでいるか、それゆえ破綻しやすく、かつ人生に対していかに破壊的なものになりうるかを述べたつもりである。
「努力する」「頑張る」「求める」「つくる」をはじめとする足し算的行為は、常識的にはプラス評価されるべきことのはずなのに、「なぜ?」と思われることだろう。だが、これは私がすべて体験し、実感として持っていることなのだ。
 私はかつて麻雀の代打ち(麻雀の勝負で誰かの代わりとして打つこと)稼業を二〇年ほどやっていた。そのとき勝負に一度も負けたことがなかったことから「無敗の雀鬼」という異名を周りから与えられた。
 二〇年間、私が無敗でいられたのは、何よりも勝負にのぞむ私に足し算的な発想や行動がなかったからだと思っている。あったのはいつも力を抜くことで成り立つ引き算の思考や行動であった。それが勝負において一度も負けることをさせなかったのだ。
 もちろん、期待してそう振舞ったわけではないが、結果的に引き算的な勝負や生き方は足し算のそれと比べて何十倍、何百倍もの厚みを私にもたらしてくれたと思う。

 天文学者のコペルニクスが地動説を唱えることでそれまでの天動説がひっくり返ったような劇的な転回をコペルニクス的転回と呼ぶ。足し算的な生き方を常識としてきた人にとって、発想や行動から力を抜くという引き算的生き方はまさにコペルニクス的転回をうながすようなものかもしれない。しかし、もし、それができれば、まったく新しい人生の地平線がきっとそこから望めるようになると思う。