●ゴールははっきりしない
ものを作る過程は、本当に楽しい。「完成したときの喜び」とよく表現されるけれど、それは違うと僕は思う。そもそも、ものを作って感じることの一つは、「完成した」という瞬間がいったいいつなのかわからない、という事実である。完成したことがわかるのは、誰かに頼まれて作っているもの、つまり依頼された仕事である。そういうものは、これなら引き渡せる、要求された水準を満たしているだろう、という境界線がぼんやりとでも設定されているから、そこが「完成」になる。そしてこの場合は、労働から解放される喜びがあるし、達成感もあるだろう。レースでゴールをするのと同じだ。あそこまで走りなさい、というルールがあらかじめ設定されているからだ。
しかし、自分が初めて作るもの、自分が自分の欲求で作り始めたものは、そういったゴールがはっきりとしていない。このことは、ものを作る場合以外でも同じである。たとえば、研究がそうだ。知りたいことを知ろうとする行為は、作りたいものを作ろうとする行為と限りなく似ている。好奇心に従って、こつこつと進む過程は、本当にわくわくして楽しい。けれど、どこまで進んでも、「やった!」といった達成の瞬間は訪れない。ゴールなんてどこにもない。ただ、過去を振り返って、「ああ、だいたいあのときが、完成した時期になるかな」というくらいの「一段落」が見えるだけである。