はじめに
誰かから嫌われる……。
誰かから愛される……。
僕は、人は一人だと思って生きています。
生まれてから死ぬまで、一人で生きて、一人で死んでいくのです。
なぜなら僕たちの中には、誰かに見られたり聞かれたりすることのない『自分だけの意識』があるからです。
その意識が始まってから終わるまでが、人の一生だと僕は思っているのです。
だからこそ、愛する人との時間を大切にしたい……。愛する人の考えや思いを、できるだけ知りたい……。目に見える物質的なモノだけではなく、目に見えない『こころ』といわれるモノも共有したい……。
僕はそう考えているのですが、なかなかうまくいきません。愛する人から、必ずしも愛されるとはかぎらないからです。とても辛いことです。
しかし同時に、僕たちの多くは自分以外の誰かを嫌っています。
なぜ、人は人を嫌うのでしょう?
煙のないところにボッと火をつけてしまう性格だったというか、あきらかに嫌われ者だった僕は、そんな疑問を子供のころから常に持ち続けてきました。
自分の考えていることがヘンなのか?
自分の言っていることがヘンなのか?
自分のやっていることがヘンなのか?
その答えがわかれば、他人から嫌われることが少なくなるのではないでしょうか?
他人から愛されるのではないでしょうか?
僕自身は、その答えが見つからないまま俳優を目指し、紆余曲折の末に映画やテレビドラマの助監督をし、なぜか旅番組のディレクターになり、二十八歳からは脚本家になりました。
そして三十代は他人から孤立して、プロデューサーとぶつかりながら『アリよさらば』や『将太の寿司』などを皮切りに、さまざまなテレビドラマを書き続けました。
そんな僕にとって、脚本家はかなり気ままな職業でした。プロデューサー以外の人間と付き合う必要がなかったからです。角しかなかった僕のような性格でも、充分にやっていける仕事だったのです。
ところが四十代になり、僕をとりまく環境は激変しました。ドラマを書くことに飽きていたせいもあるのですが、縁としか言いようのない出逢いと成り行きから、ミュージカルの演出をするようになり、テレビの二時間ドラマの監督をし、俳優に演技を教えるという道を進むことになってしまったのです。
そして、ここ九年ほどの間にストレートプレイからミュージカルやオペラまで、小劇場から大劇場まで、舞台の演出を三十本近くもやりました。また、のべ一万七千人以上の俳優や俳優の卵たちに演技を教えてきました。
その結果、僕という人間はどうなったのでしょう?
相手のことを見つめるようになったのです。
煙のないところにボッと火をつけてしまう性格だった僕が、今までの四十八年間を清算するように、僕以外の人間の考えや思い、言葉や行動を見つめるようになったのです。
そうしなければ作品の創作以上に、現場で多くの人間をまとめることが要求される演出という仕事ができなかったからです。
あたりまえの人間として自我を持つ俳優たちに、演技を教えられなかったからです。
他人を見つめること……。
自分を見つめること……。
すなわち、人間を理解すること。
そこから『人が嫌われない理由』『人が愛される理由』を見つけるための僕自身の旅が始まりました。
そして旅の半ばまでさしかかった今、僕は一つの答えをこの本に書こうとしています。
僕たちの誰もが、誰かから愛されるために……。