はじめに
ある主婦パートの子ども虐待
 まずは一つの予兆から。
 優子さん(仮名)は三六歳の主婦パート。週五日間、ガソリンスタンドで働いている。ガソリンスタンドでは、給油作業の他に、オイル交換や洗車を客に勧めて注文をとるというノルマがある。優子さんはなかなか毎月のノルマが達成できず、店長からの叱責が多くなってきた。同僚には学生が多いが、同じような主婦もいる。しかし、みなノルマを達成しており、優子さんよりも時給が高い。次第に、同僚からも軽んじられるようになり、人間関係にひびが入り始めた。
 家事や育児にも消耗していた優子さんは、だんだんうつ状態になっていった。夫にそのことを相談しても、介護機器の営業をしている夫は毎日終電で帰宅するほどの忙しさで、「疲れているから」と、まったく相手にしてもらえず、孤立感ばかりが高まる。
 それでも半年ほどは、五歳の息子を何とか保育所には通わせ、送り迎えをしていたが、やがて、毎日の持ち物準備や行事参加などのすべてがわずらわしく思えてきて、とうとう、保育所を休ませ、自分も欠勤をするようになってしまった。子どもはほとんどほったらかしで、食事の準備もしない。
 そのうち、こうしたネグレクト(育児放棄)が身体的な虐待へと変わってきた。子どもは聞き分けがいい時ばかりではなく、優子さんに文句をいったり反抗したりする。そんな時、強く平手うちをした。一度暴力をふるってからは、イライラが募るたびに、子どもを叩いてしまうようになった。
 自制がきかず、もっとひどいことになりそうだと感じた優子さんは、「公報」にのっていた児童虐待相談窓口に電話をしたという。
 優子さんの家庭は、住宅ローンはあるが、他に大きな借金があるわけではない。夫は真面目に働いており優子さんに暴力をふるったこともないし、優子さんには親からの被虐経験もない。つまり、ごく普通の主婦パート家庭の子ども虐待だった。

   この事例は、都内の児童虐待の相談窓口で電話相談を二〇年近く続けている、あるベテラン相談員から教示されたものである。
 最初に断っておくが、本書は、虐待を主題とする著作ではない。筆者は一九八〇年代の終わりから、スーパーマーケットなどの小売業やファミリーレストランなど飲食業について調査を続けてきた経営学者である。特に人材管理を専門とし、企業経営者、労働組合役員、従業員、そして主婦パートなど、一〇〇〇人以上へのインタビュー経験がある。
 スーパーマーケットやファミリーレストランなどのような業界は、わが国で最もパート雇用、とりわけ主婦パートの活用に熱心で先進的であった。だから、パートに正社員なみの仕事ぶりを企業が求める、いわゆる「パート基幹労働力化(基幹化)」についても長く研究対象としてきた。
 スーパーマーケット、飲食業などのチェーンストアをずっとウォッチしてきて実感するのは、一九九〇年代以降、「基幹化」によって主婦パートという雇用の内実が八〇年代以前とは明らかに変わり果て、彼女たちの職場での労働負担や仕事のストレスが相当深刻なものになってきているということである。
 筆者は、こうした変質の果てに、主婦パートたちが今まさに燃え尽きようとしている臨界点にいると感じ、さすがにこれはまずいと、筆をとったのだ。もっとはっきりいうと、昨今の主婦パートという雇用のあり方が、家族や社会に悪影響を与えかねないのではないかと危惧している。
 優子さんの虐待事例は、主婦パート家庭の不幸な予兆と思えるケースなのだ。

ほころび始めた「良妻賢母」
 主婦パートは、家庭では、親子関係と夫婦関係の結節点にいるキーパーソンである。そして、自ら働くかたわら、ほとんどの家事を引き受け、夫や子どもを有為な人材として社会に送り出すという「良妻賢母」であった。また、企業にとっては、文句もいわず、決して手抜きをしない生真面目で丁寧な仕事ぶりを見せる貴重な労働者であった。主婦パートという存在を介して、日本の家庭も企業も社会も実にうまく回っていたのだ。つまり、我慢強く日本社会を支えてきた存在といってよい。
 しかし、主婦パートの献身的ながんばりもそろそろ限界を迎えつつあり、社会を支えてきた主婦パートというあり方がほころび始めている。主婦パートは日本全域に散在する大規模な集団だから、このほころびの影響はとても大きい。
 職場と家庭の双方から限度を超える圧迫を受けることで、主婦パートが家庭と企業という二つの領域のキーパーソンとしての役割を放棄してしまったり、病んでしまったらどうなるか。低い待遇で正社員なみの働きを求めるパートの「基幹化」が、最後の引き金をひいてしまうかもしれない。
 そうなると、家族や企業のみならず、社会において複合的で大きな悪影響が噴出するのは必然である。この現象を「主婦パート・ショック」と呼んで、警鐘を鳴らしておく。そして、「主婦パート・ショック」という不幸な将来を回避するための処方箋を提案したい。これがこの本の主旨である。