はじめに
 簡単に言えば、いまは20世紀と21世紀の「乗り換え」の時だと思う。 「乗り換え」時だから、皆が迷ってグチャグチャだ。社会もグチャグチャ、自分とそのまわりもグチャグチャ、もう訳がわからない大混雑。世界中の書店をまわると、社会構造改革の見直しの本、自己啓発本、予言書のようなものまでが店頭を飾っている。かくいう僕も、明日はどうなるかなど断言できない。
 そこで、僕は定点でモノを考えるのを数年前にやめることにした。グローバルかつマクロかつ流動的視点でモノをとらえないと明日が見えてこないと思い、自分の生活拠点を変えることにしたのである。社会改革を待つのではなく、無理に自分の考え方を変える努力をするのでもなく、住む場所を変えるだけ。目的は、客観的な目を養い、自分の進むべき正しい道を見つけることにほかならない。
 いま多くの人は、自分の目の前のことだけしか見えなくなっている。これが、最大の問題なのだろう。それは僕も同じだ。
 実際、目の前のモノは大きく自身の判断を左右するし、中身はさておき、表層的な見た目に心をときめかすのは、人間の欲望なので致し方がない。すなわち、本質を見極めるという行為は、自分の欲望との戦いなのであり、それに打ち勝った者が、これからの21世紀を楽しめるのではないかと思っている。
 とは言え、そう簡単に自分の価値観は変えられないし、俗物極まりない僕自身、欲望にも打ち勝つ自信がないので、正しい判断ができるまで定住するのをやめたのだ。情報にとらわれずに自分の目で判断し、実際、日々そうして暮らしている。もしかしたら、21世紀的お遍路さんのようなものかもしれない。
 
 いちばん危険な思想はポジティブ・シンキングだ、と最近言われはじめている。真実や本質はさておき、ただポジティブに考えてきた結果が、昨今の世界的金融バブルをもたらしたと言われている。金融機関のトップの多くが合理主義とポジティブ思考を混同しているということについては、僕も同感である。
 苦境や厳しい現実を逃げずに受け止め、そこでポジティブに考えるのが本来のあり方である。が、昨今は苦境や厳しい現実から目をそらし、ただポジティブに生きる潮流がある。これが現実社会をさらに惑わす大病になっていると、“ヨーロッパ最高の頭脳”と呼ばれるジャック・アタリは言う。実際、危険が差し迫る現実的な話をする者は、数年前まで悲観論者だと言われていた。
 またアタリは、監視社会の行く先が「人」になると、社会が崩壊するという。
 監視すべきターゲットは、人ではなくモノである。僕らに近くあるモノ、例えば食物は最たる例だと思うが、それはどのように作られ、どのように運ばれてきているのか、ちゃんと監視する必要があるのは言うまでもない。
 
 さて、そんな世界的、時代的変化のまっただ中の現在、僕の生活は大きく変わった。
 まず、前述したように定住しなくなった。冷静に世界を見るためにもこのような時期が自分にとって必要だろう、また危機管理の意味でも、自由に動き回れないような生活はリスクがあるだろうと考えた結果である。そこで結果的に、モノを処分することになった。
 続いて、大事な食料については、仕入れとも言うべき入手方法が大きく変わった。自分が食べているものが、どこでどうやって作られているかを考えるようになり、いまや自分でも作れないだろうか、と悪戦苦闘している。
 10年前の僕は、オシャレな都心の家に住み、排気量が多いポルシェに乗って夜な夜な遊びに出て、帰りにコンビニや深夜営業の店を何軒も回ったものだった。いまは、毎年のように住む場所を変え、世界にいくつかある提携農園などを、できる限り公共交通機関を使って回るような生活をしている。
 やってみてわかったのは、一見後者のほうがお金がかかりそうだが、実は都心での生活を維持する方が、よっぽどお金も時間も手間もかかるということだ。その理由と問題を本書では取り上げている。
 住、食ときたので、せっかくだから衣も取り上げる。定住しない生活を選んだので、モノを減らさねばならなくなり、必然的に衣を持つことも買うことも減った。90年代、毎週のように買い漁っていたスニーカーやシャツは、20世紀のいい思い出だ。
 
 本書は、2007年末に定住をやめてから最初に住んだ地「ロンドン」で学んだ、あたらしい思想と潮流――「オーガニック」をテーマに書き下ろした。
 これは金融危機の本丸、ファンド帝国ロンドンからはじまったあたらしい潮流だ。読んでくださる皆様に、次の世界を少しでも垣間見ていただけたら、幸いである。もし、20年前のロンドンに引っ越していたら、きっとパンクやニューウェーブどっぷりだった僕がいただろうが、いまのロンドンは、まさにオーガニックなのである。
 そして、この潮流は確実に日本にも伝播する。きっとその日は遠くないだろう。