マイルス・デイヴィスで切り取るジャズ黄金時代
 テーマを「ジャズ」に絞る。ジャズという、少なくともジャズを聴いたことがない人にとって「難解」とされる音楽の場合、先に挙げた「なにから聴くか」はより深刻なものとして立ちはだかる。前述したように、ただでさえミュージシャン個々のアルバムの絶対数が多く、同時に「誰から、どのミュージシャンから聴くか」という問題の解決にもあたらなければならない。
 筆者はかねてから「誰から、どのミュージシャンから」という問いに対しては「マイルスを聴けばいい」とくり返し答えてきた(『マイルスを聴け!』という感嘆符つきの強制的な本まで著している)。そして、次に「ではマイルスのなにから聴くか」という問いに対しては 「黙って、全部」と、きわめて乱暴な、しかし考えようによればもっとも親切な(と本人は確信している)答えを口にしてきた。  本書は、しかし、そのようなものといささか趣旨を異にする。「クラシックの帝王」カラヤンに対して「ジャズの帝王」と称されるマイルス・デイヴィスの新たな聴き方を提案するものではあるが、対象とする時代・時期を限定し、モダン・ジャズの歴史の一断面を一種のドキュメントとして成立させることを目論んだ。換言すれば、マイルス・デイヴィスに軸足を置いたジャズ黄金時代の音と証言、そして検証による記録でもある。
 マイルス・デイヴィスは変化に変化を重ね、ジャズのみならず音楽の歴史を何度も塗り替え、絶大な影響力をもった真のスーパースターとして現在もなお君臨している。しかしながらジャズの世界では、その変化しつづけたマイルス・デイヴィスに対して、「アコースティックかエレクトリックか」という、いまにして思えば、マイルスの功績と絶大な影響力に比してあまりに稚拙かつ身も蓋もない分類法を設定することしかできずにいた。
 そして21世紀。かつてはそれなりに有効であったかもしれない「アコースティックかエレクトリックか」とする分類法はもはやなんの意味も説得力ももたず、逆にマイルス初心者を混乱させ、ひいてはマイルスから、ジャズから足を遠ざける結果を招いているように映る。本来であれば「理解の一助となる入口としての分類」が、時代の変化のなかで形骸化したとみるべきかもしれない。