「考えない」習性が生み出す不幸

秋葉原通り魔事件のKを追いつめたもの
「誰でもよかった」
 無差別に人を殺めた犯人が逮捕後にそう供述する事件が、立て続けに起きています。なかでも、二〇〇八年六月の秋葉原通り魔事件は日本じゅうに大きな衝撃を与えました。十七人を殺傷した犯人のK青年が派遣労働職を転々としていたことから、「格差社会が生んだ犯罪」などと騒がれ、「やったことは許せないが、Kの気持ちは理解できる」と言う若者も多かったようです。
 ニュース等でみなさんもご存知のように、K青年の容姿は客観的に見れば十人並みというところでしょう。短大での成績は優秀で、正社員だった時期もある。しかし彼は、自分に「不細工」「生まれながらにして負け組」というレッテルを貼り、将来もその状況は変わらないと決めつけ絶望を深めていきました。
 確かに今の日本は、幸せに生きるのが難しい社会です。非正規労働者を使い捨てにする雇用状況や、負け組・勝ち組と格差をあおる世の中の風潮が、K青年から希望を奪っていったとも言えるでしょう。しかし、何よりも彼を追いつめてしまったのは、ほかならぬK自身だったのだと思います。

幸せを自ら遠ざける人々
 精神科医という仕事柄、私は職業も年代も生活環境も異なるたくさんの人々と触れ合い、その人の内面に深く立ち入って話をする機会を得ました。日本だけでなくフランスの病院でも診療に携わりましたし、東京拘置所の医務部技官として犯罪者と向き合っていた時期もあります。大学で精神医学と心理学を教えていた約二十年のあいだには、何百人という若者たちと親しく接してもきました。
 相手の心と向き合って話を聞いていると、K青年の書き込みを読んだとき同様、「ああ、この人は自分で自分を不幸へと追いやってしまっているなあ」と感じることがしばしばあります。幸せになりたいと人一倍強く願っているのに、もがけばもがくほど、逆に幸福から遠ざかっていく……。もちろん、だからといって犯罪にまで至ってしまうケースは滅多にありませんが、心を病んだり、自殺願望を抱くようになる人のなんと多いことか。毎日をうつうつとした気分で過ごしている人なら、さらにたくさんいます。しかも、そんなふうに自分で自分を不幸にしてしまう人たちが年々増えていくように思える。
 K青年が携帯サイト上に吐露していた劣等感や不遇感、孤独感は、多かれ少なかれ誰もが抱くものです。私たちが今生きている社会はとりわけ、そういう気持ちを増幅させやすいのでしょう。
 一億総中流という幻想は打ち砕かれ、格差が広がり固定化していく。今はつらくてもやがてよくなる、がんばればそれなりに報われると信じるのが日に日に難しくなっている。国民の大多数が貧しかった時代と違い、不遇な自分のすぐ身近にとびきり豊かで幸せそうに見える誰かがいる。あふれるモノと情報に欲望を刺激され、自分に欠けているものを絶えず意識させられる……。
 弱者切り捨てが進み、不安が渦巻いていたところに、今度は世界規模の経済危機が追い打ちをかけ、みんな自分のことだけで精いっぱい。心のゆとりが失われて、ますます自己中心的になり、社会全体がギスギスしています。  平均寿命が三十四歳(二〇〇二年)と世界一短いシエラレオネや紛争の続くアフガニスタンのような国々の国民に比べたら、日本人はとてつもなく幸せじゃないか――と、よく言われます。確かにそうなのだけれど、この国にはまた別の形の不幸が蔓延している。まるで日本という国そのものが、そこに生きる人間を幸せから遠ざけ、不幸を増幅させる装置と化してしまったかのようです。
 そんな社会で日々を送っていれば、何かでつまずき心なえたとき、それを乗り越えられずに飲み込まれてしまう危険が誰にでもあるのだと思います。いや、それどころかK青年のように不幸増幅装置の一部となって、我と我が身だけでなく周囲の人々まで不幸にしてやろうと思うこともありうるのです。
 自分で自分を不幸にしている人たちへのカウンセリングを重ねるにつれ、そこに共通した考え方の癖のようなものが何パターンかあることに気づかされました。この章では、私が実際に見聞きしたケースを例にあげながら、幸福を阻む考え方・生き方について考察していくことにしましょう。