かつてマルクスは、一つの世代を丸ごとかかえ込むほどのブームを巻き起こした。それは事実だ。その魅力的なブームについて語ることには、次のような意味があるとわたしは考えている。
第一に、いま定年を迎え、老後とか余生とかいわれる時期にさしかかっている全共闘世代の人々に、わたしたちの青春時代に、大学キャンパスや、国会前、アメリカ大使館、新宿などの繁華街、あるいは成田三里塚や王子野戦病院のあたりを包み込んでいた、あの熱狂はいったい何だったのかということを、じっくりと考えていただきたい。それは、この世代を生きた人々の、それぞれの人生の意味を考えることにつながるはずだ。
第二に、ニートやフリーターの増加で、将来、大きな社会問題になるのではないかと危惧されている、団塊ジュニアと呼ばれる若者たちに、父親の青春時代にあった熱狂を伝えるとともに、その意味についても、いっしょになって考えてもらいたい。おそらく父親(あるいは母親)たちは、マルクスについて語るようなことはなかったはずだ。しかし、父親たちが通り過ぎた過去と、その後の人生が、全体として、いまの社会を築いたともいえるのだし、過去の時代の影響が、いまの若い人々の人生そのものに深く関わっていることはまちがいない。
第三に、もっと若い世代、大学生や高校生の人にも、マルクスというものについて、ある程度の知識をもってもらいたい。マルクスの目標は、二つあった。社会における貧富の格差の解消と、社会の中に自分を位置づけてそこに生きがいを感じさせる、そのような社会のシステムを実現することである。
いま、貧富の格差は明らかに拡大の方向に進んでいるし、社会との関わりを意識し、目標をもって生きている若者は少なくなった。夢も希望もないというのが、いまの若者が置かれている現実なのだ。だからといって、昔のマルクスの原理をそのまま現代に活かすということはできないが、マルクスの原理を踏まえた上で、新たなビジョンを提出することは可能ではないだろうか。