二〇〇六年、サッカー、ワールドカップドイツ大会の決勝戦で、フランス代表チームのジネディーヌ・ジダンが、試合終了の直前、イタリアチームのマルコ・マテラッツィに、衝撃的な頭突きを喰らわせて退場となり、フランスはイタリアに敗れた。
ジダンはこの試合を最後に引退することを表明していたが、世界的なスタープレーヤーが、輝かしいサッカー人生の最後を「頭突き」で終わらせたことに、世界は驚いた。
「なぜ?」、世界じゅうがジダンのとった行動のわけを知りたがった。各国のメディアは読唇術まで動員して、マテラッツィが直前にジダンに向かって発した言葉を読み取ろうとした。フランスでは、人権団体が、人種差別的な発言があったのではないかと問題にした。
テロリスト呼ばわりされた、妻を侮辱された、母を侮辱された……、さまざまな憶測が飛び交うなか、ジダンは沈黙を続ける。ここで重要なのは、この「沈黙の意味」である。マテラッツィは、人種差別と母親への侮辱を否定したが、ジダンは、マテラッツィ発言の中身を明らかにしなかった。
だが、ジダンが何も語らなくても、何を言われたのかを理解した人々がいる。世界じゅうのムスリムである。ムスリムとは、イスラムを信仰し、その教えを実践する人、つまりイスラム教徒のことである。彼らは、ジダンが何を言われて、瞬間的に暴発したのかを理解していた。
人種差別ではない
私も、この事件をテレビで見ていたのだが、人種差別的な発言や、テロリスト呼ばわりされたためではない、と直感した。ジダンは、アルジェリアからの移民の家族に生まれた二世である。報道を見た限りでは、宗教色の濃い家庭に育ったようには思えないし、彼自身も宗教を表に出すようなことをしていない。それでも、彼の人生観や価値観の底流には、イスラム的な倫理観があるように思える。
ジダンもそうだが、フランスに暮らしてきた移民たちは、人種差別や民族差別発言には日ごろから慣れている。いちいち頭突きを喰らわせていたのでは、選手生命がもたないだろう。かつてフランスチームが不甲斐ない成績に終わったとき、フランスの極右政治家ジャン=マリー・ルペンは、チームのなかの移民出身の選手を指して「ラ・マルセイエーズ(国歌)もフランス語で歌えない連中」と罵ったという。
あからさまな人種・民族差別発言だが、フランスではよくあることで、差別発言に激怒するくらいなら、ジダンもとっくに選手をやめていただろう。フランスという国は、表向きは、「自由、平等、博愛」をうたい文句にしてきたが、外国人、とりわけ旧植民地のアルジェリアやモロッコ出身者に対する差別がなくなったわけではない。もちろん、こういう発言に対しては、左派勢力が必ず激しく反発してきた。だが、それでも移民に対する差別が消えたことはない。
二〇〇五年にフランス各地で起きた移民の若者たちによる暴動の背景には、中東やアフリカ出身の移民に対する差別があった。同じ年にロンドンで起きた同時テロ事件の背景にも、パキスタン系移民に対する差別があったとも言われている。現在、世界が直面しているテロの脅威は、人種や民族差別に原因の一つがあることは確かだ。
しかし、ジダンが暴発したのは、民族差別発言ではない。彼は、フランスのみならず、世界のヒーローである。しかも、貧しい移民のファミリーから、努力してスターになったサクセスストーリーの主人公だ。もし、マテラッツィがジダンに浴びせた言葉が、人種や民族に関する差別だったならば、ジダン一人が背負う理由がない。もしそうなら、マテラッツィはもっと重い処分を受けただろうし、一挙に政治問題になったはずである。
当初、テロリスト呼ばわりされたのではないか、という憶測も欧米のメディアを賑わせたが、見当違いである。これは、ジダンの家系がアルジェリア出身のムスリムであることからきている。彼の家族の母国アルジェリアでは、一九九〇年代を通じて、イスラム過激派による激しいテロの応酬が内戦状態にまで悪化し、おびただしい人命が奪われた。九・一一以降は、ヨーロッパでもイスラム過激派によるテロが起き、ムスリム移民に対する不満は高まっていた。
だが、テロリスト呼ばわりもまた、ヨーロッパのムスリム移民たちにとって日常的なものであり、そんなことぐらいで、いちいち人生をふいにしていられない。
ベルリンでもパリでも、電車のなかで、顎鬚をたくわえたムスリム移民や、スカーフで頭髪を覆ったムスリム女性に対して、聞こえよがしにテロリスト呼ばわりすることなど珍しくなかった。八〇年代から、移民に対する暴言は日常的にあったが、たいていは「人種」や「民族」に対するものだった。九・一一以降になるとムスリムたちは、ふつうの市民からも道を歩いていて、すれ違いざまに「テロリスト」「イスラム教徒なんて、出ていってほしい」と言われるようになった。暴言は、移民たちの「宗教」に向けられるようになったのである。