「夕顔」――はかなさのなかの機知

 夕顔はなぜモテるのか

――源氏物語にはたくさんの女性たちが登場しますが、いちばんモテる女性というと、先生は誰だと思われますか。
瀬戸内 私にはわからないけれど、源氏物語を読んだ男性にどの女性が好き、と聞くとほとんどの人が「夕顔」と答えます。
――この「夕顔」の帖のヒロインですね。先生は夕顔の何が男性を引き付けると思われますか。
瀬戸内 私が思うに、夕顔の魅力は、もう男のいうままになる女だということ。心も身体もね。男の征服欲、支配欲を満足させてくれるでしょう。しかも早く死んでくれるから、いうことないわね。
――若く美しいままで。
瀬戸内 家にカネ入れろとか、子供の教育はとか、いわれないで済む。冗談はさておき、夕顔は物語のなかでもきわだっています。ただはかないだけの女性ではなくて、ちゃんとウィットを持っている。機知にも富んでいる。
――そうなんですか?
瀬戸内 光源氏は最初のうち、覆面して身分を隠して夕顔に会います。だから夕顔は源氏の顔を見ていない。見たのは最初に出会った時、昼間に遠くからちらと見えただけです。光源氏は楽しくデートしたいから、夕顔を何某の院という空き家に連れていく。そこではじめて覆面を取る。「私の顔はどうだい」というと、夕顔はちらっと見て、「なんてことないわね」なんて歌にして、すぱっと返す。いい女よね。
――紫式部はどの女性にもちゃんとチャームポイントといいますか、いいところを与えていますよね。
瀬戸内 そうですね。自分が根性悪い女だったんじゃないですか。いろんな人のいいところも悪いところも見抜いています。紫式部の日記を見ると、同じ宮中にいた清少納言とか和泉式部のことをもう散々悪口いっている。そういうことのできる人です。物語のなかでもいろいろな女性を書き分けています。書けるということは、普段から人々を観察していたということです。
――夕顔のように、愛される女になるためにはどうすればいいんでしょうか。
瀬戸内 それは源氏物語をよく読めばわかる。ここに限らず、源氏物語には恋愛のノウハウも、男に愛される女の魅力も、ちゃんと全部書いてあります。
――なるほど、おっしゃる通りです。

 第四帖 夕顔 ゆうがお

   病気の乳母を見舞うために訪れた五条の通りで、
   光源氏は夕顔の花が乱れ咲くみすぼらしい邸の女と出会う。
   正体を明かさぬ謎の女に夢中になっていく光源氏。
   しかし、女を連れ込んだ荒れ果てた院で、
   もののけが女を取り殺してしまう。
   実はこの女性こそ、親友、頭の中将のもとから失踪した女であった。

 夕顔との出会い
 十七歳の夏、光源氏にはひそかに通っていた女性がいました。場所は「六条あたり」と書かれていますが、これこそ「六条の御息所」という女性のところだと思われます。後々たくさん出てきますが、源氏物語のなかでもかなり有名な登場人物です。
 さてこの頃、光源氏の乳母が病気になって、六条の通い所へ行く途中、五条の家にお見舞いに行きました。「乳母」と書いて「めのと」と読みますが、意味はウバと同じで、母親の代わりに乳を与える養育係のことです。乳母の家の門はまだ開いていなかったので、光源氏は門前で待つことになります。すると西隣の家の垣根に花が咲いている。光源氏はお供に、「あれは何という花か」と尋ねます。お供は応えて、夕顔の花であるといいます。光源氏が見慣れている華やかな宮中にはない、雑草のような花。するとその夕顔の咲くみすぼらしい家の女から、光源氏に歌が届けられました。
  心あてにそれかとぞ見る白露の
       ひかりそへたる夕顔の花
「夕顔の花びらにおく露のように光り輝いているあなたは、もしかして光源氏さまではありませんか」というわけです。こちらが光源氏と見て取って、洒落た歌を詠みかけてくる。こんな貧しげな邸に、いったいどんな女がいるのだろうと光源氏は非常に心惹かれます。これがのちに「夕顔」と呼ばれることになる女性です。

 夕顔の怪死
 光源氏は夕顔に非常に惹かれて、頻繁に通うようになりました。しかしみすぼらしい家に通っていることを世間に知られたくないので、お忍びで、覆面までしていきます。一方の夕顔も自分が何者であるか明かしません。しかし物腰も優雅で、どうやら本来こんな家にいるような女性ではないらしい。そんなふたりが逢瀬を重ねていると、隣近所の庶民の家から景気が悪いとか、商売がどうだなどという話まで聞こえてくる。これはたまらん、ふたりで静かに過ごしたいということで、八月の十五日に「何某の院」という棄てられた邸に夕顔をこっそり連れ出します。
 光源氏はここではじめて覆面を取って、「あなたが光り輝くといった私の顔はどうですか」と尋ねます。夕顔は「たそがれどきのそら目なりけり」、黄昏時の見間違いでしたわ、といたずらっぽく答えます。たいへんに艶やかで、魅力的な女性ですね。源氏物語の男性読者に聞くと、夕顔がいちばん好きだという人が多いのもそのせいでしょう。
 ところがその夜、源氏の夢のなかで、枕上に美しい女が現れて、「私が真剣に愛しているのにこんな女を連れ歩いて」と恨み言をいいながら、夕顔を引き起こそうとするのを目撃します。はっと目が覚めてみると、夕顔はぐったりとしていて、やがて息を引き取り冷たくなってしまいました。光源氏はショックで腑抜けたようになりますが、家来の惟光が夕顔の遺体をひそかに運んで、極秘で葬儀を済ませてしまいます。身分も素性もわからない女性に入れ込んで、しかも死なせてしまったなどということは隠さなければならなかったのです。夕顔と一緒にただひとりこの邸までお供していた女房の右近も光源氏が引き取って、五条の夕顔の咲く家にはいっさい知らせませんでした。

 もののけとは誰だったのか
 夕顔を呪い殺した美しい女の霊、いわゆる「もののけ」の正体は、長い間、六条の御息所だといわれてきました。たしかにこの時期、恋人の六条の御息所を放っておいて、光源氏は夕顔にばかり通っていましたし、この先の物語のなかで六条の御息所がもののけになる場面もあります。
 しかし、どうやらこれは違うらしい、というのが近年の通説です。御息所がもののけになる場合、生きているのに魂が抜け出た「生霊」ということになります。生霊は相手に恨みを伝えなければなりませんから、自分が何者かを相手にわかるようにしないと意味がない。実際、のちの場面では光源氏は相手が御息所だと気がつきます。しかしここでは御息所だと匂わせる発言もないし、光源氏本人も御息所だとは思っていない。荒れ果てた邸に住み着いた化け物だろうなどと思っている。光源氏ほどの美男子ともなれば、鬼神にでも魅入られても不思議ではないということなのでしょう。

 夕顔の正体
 自分の邸に引き取った右近から、光源氏は夕顔の素性を聞くことになります。実は夕顔は、親友の頭の中将の恋人でした。ふたりの間には三歳になる女の子も生まれていました。ところが頭の中将の正妻がひどく脅迫がましいことをいって寄こしたので、夕顔は五条の家に隠れ住んでいたのです。
 これこそまさに、あの雨夜の品定めの時、頭の中将が告白した行方不明の女性であったのだと今さらながらわかります。思えば光源氏がみすぼらしい家の女に興味を持ったのも、雨夜の品定めの時の「思いもかけないところに素晴らしい女性がいることもある」という話が影響していました。いかにあの一場面が源氏物語という小説に豊かな展開を作り出しているかがわかります。
 結局、女房の右近は光源氏のもとで暮らすことになり、事情のまったく伝わらない夕顔の家来たちのもとには三歳になる姫君が残されました。ずっと後になって、このふたりは劇的な再会を果たすことになります。