はじめに

 今の日本、どっかおかしいのやないか。そう思うのは、私だけではないはずです。けど、ひとりやふたりの力なんかでこの状況が変わるわけはない、そう思ってませんか?
 でも、何もしなければ、何も変わりませんな。
 だから「行動すること」が大事なんです。禅宗の教えでは「冷暖自知」と言います。何かを学ぶためには、まず自分自身が動く。たとえその結果、周囲が何も変わらなかったとしても、その経験によって、自分自身のうちでは確実に何かが変わるはずや。
「なんや、このおっさん、偉そうやけど、何者なんだ?」
 読みながら、今、そう思っている方も多いでしょう。
 
 いろんな施設や団体、会の責任者とか、理事長とか役員とか、発起人とか、肩書きはいっぱいありますけれど、私の本業は禅の坊主です。臨済宗相国寺派の大本山である相国寺派の管長であり、同時に、一門の鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣の住職も兼ねております。
 京都の観光名所として非常にメジャーな金閣、銀閣に比べると、相国寺と聞いてそのイメージや場所をすぐに思い浮かべることのできる方は少ないとは思います。しかしながら、ここは京都五山の第二位に列せられる、実に格式と由緒のある寺なのです。
 正式名称を、萬年山相國承天禅寺といいます。
 室町幕府三代将軍・足利義満公が、自らのお住まいである花の御所の隣に一大伽藍の建立を発願され、一三九二年に竣工いたしました。当時すでに故人となっていた高僧・夢窓疎石(夢窓国師。一二七五―一三五一)を開山(初代住職)に勧請し、義満公の禅の師であり、疎石の甥でもあった春屋妙葩(一三一一―八八)が二代住職となっています。 
 京都御所の北側、今出川御門の前の通りを北に上がったところにあります。南には同志社大学、北には京都産業大学附属中学・高校、烏丸中学といった学校に囲まれています。
 近年では、付属施設である承天閣美術館で二〇〇七年に開催された「若冲展」が大変な話題となって、若冲の寺として知られるようにもなりました。寺域の墓所には若冲のお墓もあります。
 その若冲と相国寺とのかかわりについては、おいおい本文の中でお話しすることにいたしましょう。
 まあ、要するに、臨済宗相国寺派の寺々のトップに立って、齢よわい七五を超えた身で、全国を飛び回っている、というのが私なんです。中国やチベット、北朝鮮、フランスなど外国もあちこち訪ねています。
 
 皆さん、坊主というのは、なんや気楽そうな仕事やと思われてるかもしれませんが、そんなことはない。宗派とか仏教会とかいう組織をまとめていくのは、人に「猊下、ようそんな激務やってはりますな」と言われたりするような仕事です。お経だけあげていればすむ仕事ではないのです。
 禅の坊主がどんな生活をしているか、中にはご興味をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんから、ちょっと簡単に私の一日のようすをご説明しましょう。
 現在、相国寺の塔頭(寺の敷地内にある小院)の一つ大光明寺が私の住坊で、朝は、だいたい四時半に起床です。そうして、まずお経を唱えお勤めをいたします。それから約三〇分間の坐禅。
 坐禅は、一日一回は必ずします。朝にやらなかったら晩、晩できないときには朝。どこにいても必ず。そうすると気持ちがいいんですわ。というより、しないと落ち着かない。もう生活の一部になってしまっていますから。
 それがすんで、原稿を書いたり、頼まれた揮毫(書や絵を書くこと)をしたり。色紙なんて何枚も書きます。朝は、ぎゅっと気力が充実していますからね。早起きは三文の得と昔から言われてますが、まさに朝の時間は黄金。色紙なら二〇枚とか、墨蹟であるならば一〇枚とか、何も書かないときは原稿に向かう。今、連載が二つあって、そのほかに単発の原稿依頼がけっこうきます。
 何もなければ、九時に承天閣美術館に出て、五時ぐらいまで館長としての仕事をいたします。けれど、ほとんどは、さまざまな会議や打ち合わせ、全国各地での講演会、取材や対談、各種のおつきあいが次から次へと詰まっていますから、手帳は真っ黒け。
 スケジュール管理は自分でしています。だれかに任せていたところで、最終的には私が判断しないとならないのですから、無駄なんです。間に人を入れる分だけ、ちょっとした行き違いなんかで管理上のミスも起こりやすい。ときどき、自分で書いていて「これはなんやろうな」なんてこともありますけどね。
 
 そんな私が、学歴は小卒です、と言うたらたいがい皆さんびっくりしはりますな。私はいわゆるエリートではありません。いや、旧大名家である有馬家の出身で、学習院初等科に上がる前には今上天皇のお遊び相手に選出され、幼少期は確かにエリートではありました。今の言葉で言うと「セレブ」とかいうやつですな。
 けど、これも後々お話しいたしますが、両親の離婚をきっかけに、八歳にして九州の寺で小僧生活を送るようになり、死にたいほどのどん底を味わってもきた経験の持ち主です。親の死に目にも遭えませんでした。自分で言うのもなんですが、波乱万丈の人生です。 
 まあ、本書はそんな坊主の辻説法です。人生でどないしたらええんやろう、と迷っている人や、組織や会社で人の上に立つ人に、「なるほどな」と思うてもらえるヒントがあるかもしれません。この本を読んで、勇気や元気を得て、「行動する人」が一人でも多く出てくださることを、心から願っています。