共に祈り、心を寄せる、神仏和合の霊場
 平成二十年三月二日、比叡山延暦寺において「神仏霊場会」の設立総会が開催された。
 この会は、明治の神仏分離以来おおよそ百四十年の歴史を越えて、近畿一円の伝統のある百五十社寺が相互協力を深めようとして参集したものである。
 わが国の伝統的な神道と仏教は、各時代を通して日本人の宗教的心情や精神文化の中心を形成してきた。その神仏同座、神仏和合のありようは、明治の「神仏判然令」に基づくいわゆる神仏分離によって大きく影響を受けた。それ以来、わが国の神道や仏教は、さまざまな困難を抱えてきたのである。
 そうしたなかで、かねてより、西国の神社と寺院が相協力して、神仏の威徳を高揚し、本来の神仏同座、神仏和合の精神をもって相互巡拝を推進することが図られてきた。
 私たちは、神社と寺院が、相互の理解を深め、この国の伝統的な精神文化、とりわけ、宗教的価値観を新しいかたちでよみがえらせ、再確立することを願ってきた。そして、ようやく「神仏霊場会」の設立をみたのである。
 霊場巡拝ということでは、これまでに西国観音霊場三十三ヶ所や弘法大師の遺蹟を巡る四国霊場八十八ヶ所がある。しかし、今回発足した「神仏霊場会」の巡拝の道は、その霊場の数、巡拝の道の総距離などにおいて、従来を大きく上回るスケールで構想されてきた。
 それよりも何よりも、神社と寺院をともに霊場として巡る、神仏同座の道として巡拝されることが画期的である。その構想の壮大さに驚く人も多い。
 しかし、実は、明治の神仏分離以前、つまり仏教伝来から江戸時代までは、「神社のなかにお寺があり、お寺のなかに神社がある」のは、当たり前の姿、風景であった。そうした、おおらかな神仏和合のありようがかつてはあったのである。
 江戸時代の伊勢参宮、いわゆる「お伊勢参り」の旅人たちは、神宮への参拝だけでなく、その道の途上、寺院への参詣も普通に行っていた。このことが、今回の「神仏霊場巡拝の道」の大きな礎となったのである。
 明治に一旦途絶えた神仏同座の精神が再びよみがえり、二十一世紀の世界に誇れる巡拝の道が誕生した。
 いま、世界をみるとき、争いの絶えることがない。戦火のやむこともない。しかも、宗教の名においてなされる争いも、ある。そうしたとき、世界の平和を願い、人類の幸福を導くのが本来の宗教であるならば、私たちは、宗教、宗派の違いを超えて設立された「神仏霊場会」のコンセプトを世界に積極的にアピールすることができるだろう。つまり、争いの超克のための「日本モデル」としてである。