はじめに――眺めのよいワイナリーから

 長野県の東御市は、佐久平から上田盆地に至る、千曲川の河岸に広がる丘陵地帯です。
 ヴィラデストワイナリーは、そのもっとも北側に位置する標高八五〇メートルの小さな山の上に建っています。
 眼下にゆるやかな千曲川の流れとそれを囲む丘陵群を見渡し、正面に北アルプスの稜線を遠望する、素晴らしい眺め。浅間山系に連なる烏帽子岳を背にして、南西に面した日当たりのよい畑が目の前に広がっており、左右は雑木林に囲まれて周囲と隔絶しているのでまるでそこだけが別世界のように思えます。
「素敵な眺めですね」
「いい土地を見つけましたね」
 ワイナリーを訪れる人は、口々にそう褒めてくれます。
 が、眺めがいいということは、不便な場所にある、ということにも通じています。
 実際には、長野新幹線の上田駅からクルマで二十分、軽井沢からは小一時間で来られる距離なのですが、山の中にあって道がわかりにくく、カーナビも途中であきらめてしまうほど。長野県の景観条例によって看板の掲示が規制されているため、小さな標識を見逃した人はそのまま山中に迷い込んでしまいます。
 もともと東京から軽井沢に引っ越してテニスなどを楽しんで暮らしていた私たちですが、私がからだを壊したのをきっかけに、もっと人の来ないところで畑をやりながら静かに暮らしたいと思うようになり、老後を隠遁して過ごすための場所として探した土地ですから、アクセスが不便なのは当然なのですが……、
「素敵な眺めですね」
 と褒めてくれた人が、かならず、
「でも、こんなところによく家を建てましたね」
 とあきれたように付け加えるのも無理はありません。ここは、クマが徘徊する里山の森の一角なのですから。
 よりによってこんな場所に、自宅だけならまだしも、人に来てもらわなくては困るレストランやショップまでつくるとは。
 そう、遠くからやってきたお客さん本人が驚くほどの辺鄙きわまりない場所に、いま、毎年五万人近くの人が訪れています。
 五月の連休と八月の夏休みなど、カフェのランチタイムには六十ある食事用の席が二回転してもまだ行列ができるほどの盛況です。二〇〇四年の春にオープンしたヴィラデストワイナリーは、わずかの間に新しい観光名所になりつつある、といっていいでしょう。
 いまから六年前、私が個人でワイナリーを立ち上げようとしていることを知った人のほとんどが無謀だからやめたほうがいいと忠告し、ここでレストランをやると聞いた飲食業界のプロたちが口を揃えてこんなところに客は来ないと断言した、常識外れのワイナリープロジェクト。
 しかし、オープンして一年経ち、二年経ち、この破天荒なプロジェクトが曲がりなりにも成功を収めていることがわかると、地方自治体の行政関係者の視察や、農業団体の研修旅行など、参考にしたいといって見学に来る人たちが増えました。
 なかでも戸惑ったのは、私にはこれまでまったく縁のなかった、ビジネス雑誌や経済新聞からの取材申し込みでした。
「ビジネスが成功した理由を教えてください」
「はじめから成算はありましたか」
「ところで将来の展望は」
 そう聞かれても、私の答えはいつも判で捺したように同じです。
「成功の理由なんてわかりません。私はただ、自分がやりたいことを好きなようにやっただけですから」
「成算はおろか、予測すら立てることができませんでした。とりあえずいまのところうまくいっているのは、幸運に恵まれたおかげ、としかいいようがないでしょう」
「将来の展望どころか、一寸先もわかりません。ただ、いまの状態が、できるだけ長く続いてくれることを祈るばかりです」
 なにしろ、私にはビジネスをはじめるという感覚はまったくなかったので、質問の意味がわからないのです。
「でも、タンクロは出てるんですよね」
「タンクロ? ……クマのことですか? クマなら、急にたくさん人が来るようになったので、遠慮したのか、最近は出なくなりました」
 タンクロが、単黒、つまり単年度黒字のことだとも知らないビジネス音痴。一瞬、本当にクマの名前かと思った。
 それでも、繰り返し同じような質問に答えているうちに、私の頭の中にはしだいに、
「里山ビジネス」
 という言葉が浮かんできました。
 私がただやりたいと思ったことを思った通りに進めてきたこのプロジェクトは、いわば里山の恵みをいただきながら額に汗して働いてきた、日本人の暮らしの原点にどこかでつながっているのではないか……。
 私にはビジネス上の計算はありませんでしたが、やりたいことのコンセプトは明確にありました。そのやりたい仕事をやり、暮らしを成り立たせるために働くことをビジネスと呼ぶのなら、私がやりはじめたことは、里山ビジネス、というのがいちばん的確な命名ではないかと思います。
 里山ビジネス――この言葉の意味と中身についてはこれから本文でじっくり説明しますが、グローバル化の嵐に翻弄される日本の社会と私たちのいまの暮らしのありかたがともに抱える病理に対して、この愚直で素朴な素人のビジネス観は、案外有効な処方箋になるかもしれない、と思いはじめているところです。 

  二〇〇八年初夏 ワイナリーにて