普段は算数のテストで30点ぐらいしか取れない子が、あるとき70点を取りました。お母さんは喜んで、「じゃあ、あなたの好きなカレーライスを作ってあげるね」と、台所に入ります。ですが、途中でわが子に質問します。
「それはそうと、きょうのテスト、平均点は何点だった?」
「お母さん、きょうはみんな点数が良かったのよ。平均点は84点だった」
 それを聞いたとたんに、お母さんはカレーライスを作りたくなくなります。
 おかしいですよね。
 子どもの取った70点という点数は宝物です。それを、お母さんの〈平均点以上を取ってほしい〉と思う欲望が化け物に変えてしまうのです。
 ですから、かりに100点を取ってもだめなんです。「100点で良かったわね。それで、きょうは100点が何人いたの?」とお母さんは質問します。そして100点が六人だったと聞けば、「あら、あなたのほかに100点が五人もいたの……。それじゃあ、この100点は値打ちはないわね」となってしまうのです。100点が宝物でなくなり、化け物になってしまう。
 じつは、これが世間の価値判断の基準です。世間はおかしな物差しで価値を測ります。あるいは歪んだ物差し、狂った物差しと言うべきでしょうか。
 でも、それを非難したって、意味はありません。世間はその物差しで運営されているのですから。世間に、そんな歪んだ物差し、狂った物差しを捨てよ! と命じても、世間はそれを捨てられない。捨ててしまえば、世間はいっさいの価値判断ができなくなります。たとえば、新入社員と古参社員の給料を同じにする。あるいは、社長の給料よりも新入社員の給料を高くします。それをやれば、会社は潰れてしまいます。だから、世間は世間のその物差しを捨てられません。
 だとすれば、わたしたちが世間から逃げ出すよりほかありません。
 逃げてどこへ行くのか……? それは、あとから考えましょう。
 まずは、なにはともあれ、われわれがすたこらさっさと世間から逃げ出しましょう。
 つまり、「世逃げ」のすすめです。