序

 個人主義、とこうむずかしいことを言っても、なかなかつかみどころがない、というのが正直なところかもしれません。
 案外と、個人主義というものは、わかったようでわからないところがあります。
 たとえば個人主義と利己主義と孤立主義と、似たような感じだけれど、どうちがうのだろう、というようなことも、じっさいにみんなよくわかってないかもしれません。
 なにしろ、個人として生きていくということの歴史が、日本ではまだまだ浅いからですね。
 イギリスなど、西欧の国々では、個人主義ってのはもう骨にも肉にも血にもなっているくらいで、いわゆる骨身に徹しているので、いまさら個人主義とはなにか、なんて言わなくとも、自然にわかってるところがある。
 つまり、私たちが、たとえば、なにかを決めようとするとき、議論が分かれて容易に決着しなかったりすると、「じゃ、これはまあ座長に一任ということで……」なんていう曖昧な形で手を打つということがありますね。
 この場合、座長たるものは、全体の流れとか、場の空気とか、みんなの損得とかを、よくよく斟酌して、まあまあこのへんでというあたりの妥協案でみんなに我慢してもらうという、これが日本的なやりかたなんです。
 そういうのは、きっと西洋人にはわからないでしょう。
 私たちの社会ってのは、なにしろ農村であった時代が長くて、それも田に稲を作るという、非常に手間ひまのかかる農耕を主として何千年と暮らしてきたのですから、そういう社会では、一人の人間が独裁的に生きていこうったって不可能だし、そういう独善というものは、もっともいけないこととして考えられてきました。
 田植えだとか、稲刈りだとか、肝心なところは、「結」などといって、村の人たちが総出で、あちこちの田圃を手伝いあって、それで全体として一つの成果を上げるというのが、まあ昔からのしきたりだったわけです。
 そうなると、一人だけが、へんに自己主張して、自分の権利を拡大しようとすると、みんなとバッティングしてしまいますから、けっしてうまくいかない。
 そういう社会を、何千年とやってきたものですから、村の長とか、大人とか、そういう信頼すべき人に、まあ「一応の妥協点」を見付けてもらい、それにみんなが従うというのが、日本的には波風の立たないやりかただったのでした。
 だから、さあ、個人主義でやれ、と言われたとたんに、私たちは困ってしまいました。
 いままでそんな経験がないからです。
 個人主義ったって、いったいどこまで自己主張していいものか、それがわからない。
 いっそのこと、何も言わずに黙って見ていたほうが安全かもしれない、と思ってみんながただ気まずく黙っている、それもまた辛い社会です。
 でも「出る杭は打たれる」なんてことも言うし、「沈黙は金」なんて教えもある。
 そこで個人なんてものは、できるだけ人前に出さないで、自分のところだけで孤立してシコシコとやるのが安全かなあ、と、個人から孤独のほうへ逃避してしまう人だっているかもしれません。
 反対に、個人主義の世の中になった、というので、じゃあせいぜい自分の利益とか意見を優先させてもらうよ、と自分勝手なことを押し付けてくる、そういう困った人もいるでしょうね。
 さあ、困った。そういうわがまま勝手な人に対して、どうやって抑制を加えたらいいのでしょうか。
 いま西欧の個人主義社会の人たちと対等につきあおうという時代になってきて、私たちのほうの、考え方自体、きっと再考を迫られているのであろうと思うのですが、その答えはなかなかみつけにくい。
 だから、ここは、あまり理屈めいたこと、理論的なことで、個人主義とはカクカクシカジカの概念で、というような小難しいことは、よしにしておきましょう。
 そうじゃなくて、日常のこまごまとしたあれこれのなかで、こんな場合はどういうふうに処したらいいのだろうか、こんな困難に直面したけれど、解決の方法があるだろうか、とか、ひとつひとつのケーススタディというような形で、私の考えをお話ししようかと思うわけなのです。
 したがって、この本は、最初から順序立てて読んで行く必要もないし、ときどき思い出したように拾い読みしてもいいし、もちろん通読してくださってもかまわない。
 どう読んでも、それはみなさんの自由ということにしておきましょう。

 さて、それでは「私の新個人主義」の扉を開けましょう。