一九九〇年から世紀末をまたいでの一五年あまりの日本の有り様を、後世の歴史家や経済学者はどのように評価するだろうか。ある者は、多くの国民が踊った(あるいは踊らされた)バブル景気の崩壊とその後に続いた失われた一〇年(あるいは一五年)の時代、またある者は、福祉国家が終焉し新自由主義が台頭し始めた時代、さらにある者は、格差拡大と人口減少が本格化した時代、と称するかもしれない。
未来を的確に予測するのは土台無理な話ではあるが、今我々が生きているこの時代が、何十年か経った後に、日本にとっての大きなターニングポイントであったと評されるのではないかと思うのは私だけであろうか。
それぐらい、この一五年あまりは未来の歴史の教科書に書き込まれるであろう出来事が目白押しだったのである。未曾有のバブル景気と地価の高騰、それに続くバブルの崩壊、長引く平成不況と日本型金融システムの破綻、五五年体制の崩壊と政治や行政の度重なるスキャンダル、阪神・淡路大震災、中央省庁再編を始めとする改革に次ぐ改革の波、国と地方を通じた巨額の借金残高、世界に類を見ない急速な高齢化と人口減少社会の到来、そして戦後レジームの見直しの動き等々。歴史年表には、これらの出来事が書き加えられるだろう。そして、二〇〇七年には年金問題や政治とカネの問題、さらには格差社会の問題が参議院選挙の争点となったのは記憶に新しい。
ここ一五年あまりの一連の出来事は、結果として勝ち組、負け組という言葉に代表されるように、さまざまな格差を生み、そしてまたその幅を広げてしまったのは紛れもない事実である。
格差は個人や企業の間だけでなく、地域間でも広がりを見せている。東京二三区のほとんどの区が中学校卒業までの医療費を無料化するなど、豊かな自治体では住民サービスの充実が図られている。しかし、財政破綻した夕張市では住民サービスの質を全国の最低水準にまで下げ、多額の負債の返済に四苦八苦している。夕張市を例にとるまでもなく、厳しい財政状況の自治体では、高齢者向けの福祉サービスに関する個人の負担額を増額するなどの対応を迫られているのが現実だ。
財政破綻した地方自治体の実態は、夕張市のように大きな問題となって初めて多くの人々の関心を呼び、それを受けてマスコミは一斉に報道し、問題を放置していた政治家や政府に対して非難の集中砲火を始めるのが常である。
地域間の格差が広がる中で、特に地方自治体の中には、バブルに踊って無駄な観光施設を第三セクターなどに運営させ、そのツケが本体の行政運営にまで回ってしまっているところも少なくなく、その意味では自業自得の側面もあるだろう。また、中央と地方では置かれた環境も異なり、何でも全国一律では各地域の個性が失われてしまう恐れもあるので、ある程度の差はむしろ個性の表れであるとするのもそれなりの見方であろう。
だが、ここ数年の改革の波は中央よりも地方に、より多くの痛手をもたらしているのではないだろうか。すでにさまざまなところで格差は我慢の限界を超えている。理不尽な地域間格差は、一部の地方自治体をまさに破滅へと追い込もうとしているのである。地域社会の崩壊は人心の崩壊、ひいては国全体の崩壊にもつながってしまうかもしれない。未来の歴史教科書に、ネガティブなターニングポイントの時代と書かれないためにも、今こそ、中央と地方のあり方、そして地域社会のあり方を冷静に、そして真剣に議論すべきではないだろうか。
だが、これは決して中央と地方の対立を煽る話ではない。先の新潟県中越沖地震を見れば、中央と地方、そして地方同士がいかに密接につながっているかは明らかであろう。地方が滅びれば中央も無傷で生き延びることは出来ないのだ。
本書は、中央と地方のあり方、その中でも地方自治体の現状と課題について、具体的な事例を数多く挙げて問題提起を行ったものである。また、地方自治体の関係者はもとより、これまで地方自治体とのかかわりをあまり持っていなかった方々にも、地域や地方自治体のこと、そして中央と地方の関係などについて、身近な事柄としても関心を持ってもらえれば、という強い思いから本書は生まれたのである。