9・11といえば、アメリカ人は二○○一年のテロのことしか頭にないが、南米チリの人々は、一九七三年のこの日を思い起こす。民主主義の選挙で生まれた政権が、軍部のクーデターで倒され、長期にわたる軍事独裁が始まった日だからだ。クーデターを背後で操ったのは、アメリカの中央情報局(CIA)であり、資金を出したのはアメリカの企業だった。このときチリの人々にとっては、アメリカこそがテロの黒幕だったのだ。
 チリに限らない。これまで中南米で、進歩的な政権や、反米につながるような政権が誕生するたびに、アメリカは露骨に介入した。経済制裁をしたり、反政府ゲリラを組織して内戦を起こしたり、果ては海兵隊を派遣して武力で政府を押しつぶし、実力で親米政権を打ち立てた。冷戦時代には、反共でさえあれば軍事政権でも支持した。都合の悪い政権なら、クーデターを起こしてでも民主主義をつぶしたのである。
 「民主主義の本場」と呼ばれるアメリカだが、「米軍クーデター学校」と皮肉られる「米軍アメリカ学校」では、中南米の軍人に、市民への拷問、虐待の方法を教えていた。
 中南米の歴史は、アメリカによる侵略と支配の歴史だ。アメリカが大西洋から太平洋に達して大陸国家を完成したのは、メキシコに無理やり戦争を仕掛けて、当時のメキシコの領土の半分以上を奪った一八四八年である。
 その後のアメリカは、国外に領土や権力を広げる「帝国」となり、カリブ海の覇権を握るため、スペインに戦争を仕掛け、当時スペイン領だったキューバの支配権を握った。その戦争で、スペインの領土だったフィリピンも手に入れて、アジアへの進出の基地とした。一八九八年のことである。二○世紀に入る直前、アメリカは世界進出の態勢を整えたのだ。
 ここでアメリカが展開したのが、武力にものを言わせる「砲艦外交」や「棍棒外交」である。アメリカは、米西戦争でキューバを半植民地化してグアンタナモ基地を手に入れ、コロンビアからパナマを引き離して運河を獲得した。今日のイラク戦争に通じる強硬策は、この頃からすでに始まっていたのだ。一九八○年代以降を見ても、この「棍棒外交」はグレナダ侵攻、パナマ侵攻、ニカラグアでの反政府ゲリラ支援、キューバ経済制裁など、中南米においてはいくらでも例を挙げられる。
 中南米で、アメリカの介入を受けなかった国があるだろうか。アメリカは中南米を「アメリカの裏庭」として、自国の勢力圏とみなしてきた。これらの国は「天国からはあまりに遠く、アメリカにはあまりに近い」といわれる悲劇に泣かされてきた。
 アメリカは、その政策をまず中南米で実践し、その後に世界の他の地域で大規模に展開してきた。カリブ海にあるアメリカ領プエルトリコのビエケス島に置いた米軍演習基地で、ナパーム弾や枯葉剤、劣化ウラン弾の投下実験をし、そのうえでこれらを、ベトナムやユーゴ、イラクで使ったことにも、それは表れている。
 グローバリズムのなか、アメリカはかつて中南米で行ってきたことを、今や世界に広げようとしている。だから、過去の中南米の歴史を見れば、アメリカがこれから世界で何をしようとしているかが見えるのだ。
 国際法も国連の存在も踏みにじり、何をするかわからない凶暴なモンスターとなった感があるアメリカだが、その行動には明確な戦略と方程式がある。それを見れば、この国の行動パターンが見える。それを知れば、世界がどのように影響されるかの予想もつく。
 中南米の過去から、世界の未来を覗いてみよう。