■「平等」と「同じ」
 若者がダサくなった大きな要因として真っ先に浮かぶのは戦後の教育です。ファッションと教育というと無関係なものに感じますが、その時々の教育や教育制度は人間の活動のすべての事柄に多大な影響を与えるものです。まして年端もいかない幼少期にたたき込まれるのだから、その影響力たるやハンパなものではありません。長じてからの男と女の付き合い方、他人との接し方、親や年長者との付き合い方、そしてファッションも教育の影響を受けます。
 その教育とは。
 ひとことでいえば、「みんな同じに」ということでしょう。戦後民主主義教育の金科玉条が平等です。
 みんな平等に。それ自体は決して悪いことではありません。当たり前すぎて反論の余地もないような立派な言葉です。
 しかし、私は思います。「みんな平等」が「みんな同じ」になっては困ります。人間にはそれぞれ個性があり、もって生まれた才能があります。その個性や才能は、「みんな同じに」の前にスポイルされてしまいます。「同じ」ではないから個性や才能というのではないのでしょうか。
 笑い話があります。これがホントかウソかは分かりませんが、ある幼稚園では運動会の駆けっこで全員が手をつないでゴールするのだそうです。一着、二着を決めないのです。
 結果についてすら「みんな平等に」しようと思うと、そういうことになります。駆けっこだというのに足の速い子はあらかじめスポイルされているわけです。足が遅い子も同様にスポイルされています。
 一事が万事、こういう教育が施された子どもたちはどうなるでしょう。「おれは足が速いな」と思っていても、それはよくないことだと封印してしまいます。足が速いことを恥じる子さえ出てくるでしょう。つまり自分の個性や才能をひた隠しにしてしまうのです。

■三食三〇〇円の食事
 その結果、没個性のおとなしい若者が増えます。実際、渋谷や新宿で騒いでいる若者はほんの一部でしかありません。その一部を取り上げて、マスコミは「現代の野放図な若者」という報道をしますが、みんながみんなそうではありません。先の居酒屋の割引チケット配りの青年もそうです。髪の毛は金髪で一部がとさかのようにとがっていますが、私と交わす会話は乱暴なものではありません。むしろ、「どこか身体の具合でも悪いのか」と思うほど元気がありません。
 彼とはその後も折にふれ、立ち話をする仲になっています。自ずと彼の来し方についても耳に入ります。
「せめて高校くらいは行ってくれ」という親のたっての願いで、「一応高校には行ったんですけど」。
 名前を書けば入学できるような埼玉県の市立高校だったといいます。
「けど、一年生の夏休み前にクビです」と笑います。
「バカばっかり行く高校なんでその分、校則が厳しくて。こんな髪じゃダメってことですね。バカな学校ほど校則ってのは厳しいものなんですよ」
 まだ一六歳です。だというのに彼の物腰はくたびれた老人のように力がありません。
「そうスか。これでも楽しく過ごしてるつもりなんですけど。ただ、このバイト、飽きてきたんで、近々スカウトでもやろうかと考えてるんです」
 スカウト?
「キャバクラの女の子のスカウトです。ものによるけど、そこそこかわいい子をひとりつかまえると、今のバイトの一週間分くらいにはなるらしいんです。今でも食うには困ってないんですけどね、おれ」
 ハンバーガー一個、一〇〇円もあればいい時代です。三食でもたったの三〇〇円で済む。食べ物がなく屈辱感に耐えながら、道に落ちていた柿の皮でも口にしていた私たちの世代には信じがたいほどの飽食の時代です。居酒屋の割引チケットを配るだけでも食べるには困らないのでしょう。
 しかし、それでいいのかと私は彼に問いたくなってきます。食べられればいいのですか。

■子どもの口から「ガイジン」
 確かに私たちの時代は貧しかった。貧しかったが、自分だけの個性や才能を信じられる余裕は今よりもあったような気がします。ろくに着るものはなく、洟をたらし、始終腹を空かせていたとしても、目だけはキラキラしていたと思います。割引チケット配りの青年や多くの若者たちの目は死んでいます。
 二年ほど前、こんなことがありました。政府がスポンサーになっているボランティアのテレビコマーシャルに出ました。世界の小学校低学年の子どもたちと共演です。みんな元気はつらつで静かに待つことができません。いたずらを仕掛けたり、スタジオ中を走り回ったりしてディレクターをてんてこ舞させています。
 ところが、そのなかに三人ほど静かで動かない子どもたちがいました。三人とも日本の子どもでした。その子たちは静謐とでもいえる雰囲気をもっていました。
 そのうちのひとりの男の子に、白人の女の子がちょっかいを出しました。普通だったらそれに応じて遊びの仲間に加わり、子どもならではのコミュニケーションがはじまるのではないだろうかと思って様子を見ていると、男の子は「ガイジン」と冷たくいい放ちました。活気に満ちていた白人の女の子が、みるみる悲しそうな顔になり、打ちしおれて離れていきました。私は力が抜けていくような気がしました。