第一章 さあ、飛行機に乗ろう

 生まれて初めて飛行機に乗ったとき、私は愕然とした。いや、愕然は大げさだ。呆気にとられた、くらいだろうか。
 とにかく子供心に『なんと貧乏臭い乗り物だろう』と、しょんぼりしてしまった。少々拗ねた気持ちにもなって、同行していた女性に『吊革の客はどこにいるの?』と尋ねもした、というのは嘘ですが、席に座れるというだけで、満員電車となんら変わりないという悲しき現実に直面させられた花村少年でした。
 これは父に連れていかれた洋書店などで立ち読み(正確には立ち見だ)した雑誌などの広告で、海外航空会社のファーストクラスの光景、そのどこか孔雀の羽じみた色彩の機内食や紅毛碧眼のスチュワーデスなどの写真が脳裏にこびりついてしまっていて、まさかあのようなバタリー(多段式鶏舎という名の養鶏場の檻のことです)じみた客室を目の当たりにし、そこに押し込められるとは思ってもいなかったからでした。
 東京から沖縄に行くには大島運輸(現・マルエーフェリー)のフェリーに乗るという手もあるけれど、夕方五時に有明埠頭から船に乗って三日目の午後一時に那覇は安謝の新港に着くという船旅は、よほど時間に余裕がないとむずかしい。
 いちどは私も一等個室でのんびり船旅を愉しんでみたいとも思うのですが、往復で六日はちょっとつらいです。もっとも二等の雑魚寝なら二万二千円(現・二万三千五百円)の船賃だから、時間に余裕のある学生などはどんどん利用すればいい。雑魚寝なら知り合いもたくさんできるし、浮いたお金で真栄原で女の子のおなかのなかを探検する、なんていうのはどうですか。
 釈明しておけば、私は最近、ダニに過敏な軟弱者に成りさがったので、カーペット敷きに雑魚寝は勘弁してください、といったところなのです。じつは銀座の老舗の某文壇バーでも必ずダニに囓られる。年季の入った椅子にたくさん棲息なさっているのだな。だから帰宅してから躯中を掻きむしって身悶えしてしまうので、そこには近寄らなくなったんだ。高い金を取るんだ。せめてバルサン、焚けよ!
 ダニのいない環境なんてありえないのだろうけれど、程度問題ですね。そんなわけで貧乏臭く悲しくなる乗り物、飛行機に乗って沖縄に出向くわけだ。
 ところであなたはクレジットカードをお持ちでしょうか。その色は何色ですか。白金がいちばんだと思っていたら、黒いものまであるらしい。私は東京三菱という金貸しが頼みもしないのに持ってきてくれた金色です。この金色があると羽田空港などでは、庶民たちには入場不可のエアポートラウンジなるフロアで飛行機待ちをしているあいだのんびりできるという寸法だ。
 けれど――。
 俺もちっとは偉くなったもんだわいと喜び勇んで足を踏み入れて、ふたたび私はしょんぼりしてしまったのです。ソフトドリンクが無料という特典も情けないが、そして自分のことを棚上げしておいてあえて言い切ってしまうが、このラウンジで得意げな顔つきをしている奴がいるのが情けない。この程度の階級差では、やはり貧乏感が拭えない。この強烈に浮わついた貧困の気配は、いったい何からもたらされるものなのだろうか。
 強引に決めつければ、たぶん民主主義といったあたりなのだろうが、じつは高貴も下賤も、金持ちも貧乏も、所詮は飯食って糞をするといったあたりの動物感のようなものに帰結するような気がしてならない。飯食って糞をするといった気配は、気取って隠蔽しようとすればするほど匂いたつものだ。なぜかラウンジで得意げな顔をしている紳士諸君ほどうんこ臭いのである。しかもその便臭ときたら複雑に酸っぱい場合さえある。
 沖縄の人は怒るかもしれないが、沖縄という土地は最初からうんこ臭い。これはアジアの伝統でもあると思うのですが、沖縄はうんこ臭いことを肯定するところから成り立っている土地であると断言してしまおう。日本国のほとんどが、この、うんこ臭い気配を誤魔化すことに邁進して気取って転んで傷をつくっているにもかかわらず、沖縄は糞をすれば臭うのは当たり前でしょうと笑う。
 其れは扨措き――。
 世の中には文明人じゃねえ、文化人と称する(自称含む)人々がそれなりの数、棲息している。精神的な生活をしていると自負している高貴なるうんこたれ、いや愚か者の群れですね。
 こういった方々のなかにも沖縄にあれこれ意味を見いだして象徴的に扱ったり、あるいは沖縄の庶民に限りない慈愛の眼差しを注いだりする文化人がいらっしゃる。ひと頃、テレビの某ニュースキャスターが悪目立ちしていて、とても気分が悪かった。まあ、このニュースキャスターにかぎらず、たとえば沖縄を題材にして飯を喰おうと企む沖縄生まれではない小説家なども、じつは当の沖縄に棲息する地元文化人と微妙に利害関係が一致するところがあるらしく、それはそれである種の経済行為として成立するのでしょう。私ごときがよけいな口出しをすることではない。
 ところで国内線の飛行機にはビジネスシートなる一等席がある。ファーストクラスがあるのだから、ビジネスは二等席か。ともあれエコノミーのバタリーよりは多少は広い。先に書いたラウンジと同様、経済的な貧困とはまた別種の独特の貧乏臭を放っている座席だが、さて、かのニュースキャスター様はビジネス、エコノミー、どちらの座席で沖縄にいらっしゃるのだろうか。
 べつにニュースキャスターだけでなく、この駄文を書いている小説家某も飛行機に乗って沖縄に行く。以前は主目的として人買い、女を買いに出かけたのだが、最近はそれにも飽き果てて『道を歩いていれば、絶対に見向きもしないような娘さんを、金を払ったがゆえに努力して努力する。これ即ち女の又の力と書いて努力じゃあぁ……。つまり私、異性に対する好き嫌いをなくす修行を続けてまいりましたが、過日ついにその修行も終えました。もはや拙者、免許皆伝でござる』などと傲慢なことをほざいている次第です。
 沖縄における人買いは、じつは最重要といっていいテーマであるから、また別の機会に詳述することとしますが、私がとても気になるのは、沖縄を愛する文化人の方々、それもある程度の経済力があり、なおかつある程度名の知れた方々は、飛行機なる途中下車さえ満足にできない貧乏な乗り物の貧乏な空港の貧乏なラウンジで無料で供されるソフトなるドリンクを玩味してビジネスシートなる意味不明な二等席に座って琉球入りなさるのであろうか、ということなのです。
 もちろん自分の金、あるいは出版社などの紐付きでビジネスシートに座るのは法的にはなんら問題はない。ケチのつけようがない。けれど倫理的に、いや感情的に問題がある。少なくとも私にとっては、そうである。せめて偉そうな御託宣をたれる前にさりげなく、あるいは居直り気味に明かして慾しいのだ。エコノミー、ビジネス、どちらで沖縄入りするのかを。
 私は楽をしたいからほとんどの場合、自腹でビジネスに座る。もちろん出版社が出してくれるというなら突っ張らずに世話になる。こんな精神的に貧乏な座席に座っていて、沖縄の底辺のあれやこれやなど書く資格がないよな、という自覚のもとに、エコノミーに座る有象無象を横目で見て『ああ、五月蠅そうだ――心は貧乏なれど、こっちに座って正解正解』などと胸中で呟いてシートを倒し、沖縄県は那覇空港に降り立つ。
 問題にしているのは、無意識のうちに、当然のようにビジネスシートに座って沖縄入りして、庶民について語るといったうそ寒いことをしていないか? ということだ。文化人と称する貴方は、いったいどれくらいの羞恥心をもっていらっしゃるのか? ということである。
 私はナイーブすぎるのだろうか。無様だろうか。私だって高みから見おろしてあれやこれやを語りたい。けれど所詮は中卒、肉体労働以外に職業選択の自由がなかった哀れな自尊心である。つまり見おろされる側が長かったので、文章などを書いてちやほやされるようになっても、なかなか自然に世界を俯瞰することができないのだ。
 ゆえに、この文章を書くにあたって偽悪を意識することとした。美文名文の類はもとより薄気味悪い。かといって露悪にまで陥るのも精神的安定を欠いている証左にすぎず、それではせめて偽善を排除しましょうというあたりでまとめあげていくことに決めた。じっさいにここらあたりまできたら、ですます調にもほころびがみえて、文体が変化してしまった。ま、この程度ということなのだ。