猥褻裁判
 官能小説の文体の歴史は、戦後の猥褻裁判からたどるのがわかりやすい。
 刑法一七五条は次のように言う。

 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

 ここでは猥褻の定義はなされていないが、戦後、最高裁判所が示した判例によると、以下のようになる。

 いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、しかも普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道徳観念に反するもの。

 これにひっかかって起訴され、大きな話題となった猥褻裁判が『チャタレイ夫人の恋人』と『四畳半襖の下張』である。両作品の性描写をみてみよう。

 チャタレイ夫人の恋人
 イギリスの作家D・H・ロレンス(一八八五〜一九三○)の『チャタレイ夫人の恋人』は伊藤整によって翻訳され、一九五○年四月、小山書店から出版された。
 物語は、第一次世界大戦中の戦傷によって性的不能になった、領主クロフォード・チャタレイ卿の妻コンスタンス・チャタレイが、領地内の森番メラーズと性愛関係を結ぶことで、女としての自分に目覚めるという内容。
 猥褻と指摘された部分は多いが、ここでは官能度がきわめて濃いと感じられる一部を紹介する。(読みやすく新字体に統一)

 そして彼は純粋な優しい欲望に駆られて、その手のあの不思議な気の遠くなるやうな愛撫で彼女の腰の絹のやうな手触りの曲線を撫で、彼女の柔い暖い尻の間を下つて、彼女のあの急所に次第に近づいた。彼女は彼を欲望のやさしい焔のやうに思つた。そして彼女は、自分がその焔の中に融けてゆくやうに感じた。彼女は自分がさうなるのに委せた。彼女は彼のペニスが不思議な力と確信で彼女の身体に触れて起き上るのを感じた。そして彼女は自分を彼に委せた。(中略)
 強く無慈悲に彼が彼女の中に入るとその不思議な怖ろしい感じに彼女は再び身震ひした。彼女の柔く開いた肉体に入つて来るものが剣の一刺しであつたならばそれは彼女を殺したらう。彼女は突然激しい恐怖に襲はれてしがみついた。しかしそれは、太初に世界を造つた重たい原始的な優しさであり、安らぎの入つて来る不思議な感じ、秘密な安らぎの侵入であつた。そして彼女の胸の中の恐怖は鎮まつた。(中略)
 その刺し込まれるものが深く更に深く入つて行き、もつと底の方に触れると彼女はより深く、より深く、より深く開かれて行き、彼女の波はもつと強く何処かの岸辺へうねつて行つた。それは彼女をむき出しにし、その不可解な触感を持つた物は更に更に刺し込まれた。彼女自身の波は彼女から彼女を残して更に更に遠くうねつて行き、遂に突然、柔い身震ひする痙攣の中で彼女の全身の細胞の急所が動かされた。彼女は自己が動かされたことを知つた。至上の悦びが彼女を襲ひ、彼女は終つた。彼女は終つた。しかし彼女は終らなかつた。彼女は生れた、女として。
 ああ、余りに楽しい、余りに楽しい! 引き潮の中で彼女はあらゆる楽しさを実感した。今彼女の肉体のすべては優しい愛をもつてその不可解な男性に、また盲目的にその萎縮するペニスにしがみついた。力をもつて激しく刺し込まれたそのペニスは、今柔かに、弱々しく、それとも解らずに退いて行つた。

 旧かなのせいで、今読むとぎこちない感じがするが、なかなかの名訳である。当時としては衝撃的な描写だっただろう。その衝撃性が猥褻とみなされたのである。表現の自由をめぐって争われたが、判決は有罪だった。「芸術作品でも猥褻物はある」という判断だった。ちなみに『チャタレイ夫人の恋人』は現在、伊藤礼の補訳による完訳本が新潮文庫に入っていて、初版当時より、ずっと読みやすくなっている。

 四畳半襖の下張
『四畳半襖の下張』は永井荷風の作とされている。一九四八年に一度摘発されるが、荷風は検察に自作ではないと主張した。地下本として巷間に流布された本にはいろいろ種類があるが、猥褻裁判になったのは、一九七二年、月刊誌「面白半分」七月号(野坂昭如編集)に掲載されたからである。擬古文調で、かなり直截な描写が見られる。
 物語は、ある老人がかつて待合だった家を買って住むことになり、あちこち造作の手入れをしているとき、小部屋の襖の下張りに書かれた戯文を見つけ、はがしながら読んでいくという趣向である。戯文の主人公は五十歳を過ぎた好色な男で、自分の性歴を振り返る内容になっている。以下は、娼婦の膣、陰核、肛門を責めて快泣させる場面。

 これではならぬと上になつて、浅く腰をつかひ、只管親指のみ働すほどに、女は身を顫はせ、夢中に下から持上げて、襦袢の袖かみしめ、声を呑んで泣き入る風情。肌身と肌身とはぴつたり会つて、女の乳房わが胸にむず痒く、開中は既に火の如くなればどうにも我慢できねど、こゝもう一としきり辛棒すれば女よがり死するも知れずと思ふにぞ、息を殺し、片唾を呑みつゝ心を他に転じて、今はの際にもう一倍よいが上にもよがらせ、おのれも静に往生せんと、両手にて肩の下より女の身ぐツと一息にすくひ上げ、膝の上なる居茶臼にして、下からぐひぐひと突き上げながら、片手の指は例の急所攻め、尻をかゝえる片手の指女が肛門に当て、尻へと廻るぬめりを以て動すたびたび徐々とくぢつてやれば、女は息引取るやうな声して泣ぢやくり、いきますいきます、いきますからアレどうぞどうぞと哀訴するは、前後三個処の攻め道具、その一ツだけでも勘弁してくれといふ心歟。髪はばらばらになつて身をもだゆるよがり方、こなたも度を失ひ、仰向の茶臼になれば、女は上よりのしかゝつて、続けさまにアレアレ又いくまたいくと二番つゞきの淫水どツと浴びせかけられ、此れだけよがらせて遣ればもう思残りなしと、静に気をやりたり。

 描写は微に入り細をうがっている。ちなみに、ここに出てくる「開中」とは女性器のこと。現在は使われないが、当時はめずらしくなかった。書かれたのは一九一五年といわれ、地下本として好事家のあいだで読まれていたが、「面白半分」に全文掲載されて世間に広く知られることになった。
 裁判では、被告と弁護人側が、言論・出版の自由への国家権力の介入を拒む姿勢を強く打ち出したが、敗訴している。