増補版・序文

「終わり」のはじまり――二〇〇四年〜〇六年の危機を越えて

 二〇〇七年二月一三日、六者協議は、やっと共同文書の採択にこぎ着けることになった。
 思えば、二〇〇五年九月一九日の第四回六者協議の共同声明から、実に約一年半近く、北朝鮮をめぐる情勢は悪化の一途を辿り、「朝鮮有事」が現実味を帯びる危機の連続だった。
 とくに、二〇〇六年一〇月九日に核兵器の実験を実施したという北朝鮮の発表は、世界を震撼させた。これに対して、国連憲章第七章第四一条に基づく制裁措置(安保理決議第1718号)が発表され、日米協力による海上臨検の可能性すら浮上し、有事は避けられないという雰囲気が漂っていた。
 ここに至り、多国間協議による北朝鮮危機の解決を図るとともに、東北アジアの平和と安定のメカニズム構築を提言してきた本書は、お目出度い理想論の類として消えゆく運命にあるかのように思われたに違いない。
 だが、本年一月の米朝二国によるベルリン会談以後、急速に両国の接近が実現し、冒頭の共同文書の採択が実現したのである。それがどんな意味をもっているのか、この点については本書の「結びにかえて」で具体的に取り上げることにしたい。
 ここで触れておきたいのは、日本の中の対北朝鮮強硬論が、なぜ事実上破綻せざるをえなくなったかということである。
 日本国内には、米朝接近に強い不快感を露わにし、「初期段階の措置」に関する共同声明を「茶番」と揶揄やゆする論調が依然根強い。共同声明では「拉致問題」への具体的な言及がなく、日朝国交正常化のための作業部会が明示されているだけにとどまっているからである。
 しかも、米朝正常化が、日朝正常化を出し抜いて先に進む可能性も否定できず、米国の強硬姿勢を拠り所に北朝鮮への圧力を強めようとしてきた対北朝鮮政策そのものに赤信号が灯ともり始めている。
 さらに「初期段階の措置」以後、日本が「拉致問題」をタテに北朝鮮に対する九五万トンの重油提供に加わらないとすれば、日本の「孤立化」さえ危惧されるのだ。
 この事態を避けるためには、日朝作業部会で「拉致問題」解決に何らかの進展がなければならない。その重要なテコは、米朝国交正常化の作業部会で、「拉致問題」解決をテロ支援国家指定の解除と結びつけ、北朝鮮に「拉致問題」解決に向けた柔軟な対応を迫ることである。
 しかし、共同声明には、原則としてある作業部会の進捗しんちよくが他の作業部会の進捗に影響を及ぼしてはならないと明示されている以上、そのような「拉致問題」解決の方針に明確な展望があるわけではない。
 このようにみれば、対北朝鮮強硬論が、現実の展開とともに行き詰まりつつあることは明らかである。
 その理由は三つある。
 第一に、「拉致問題」解決に向けて北朝鮮に政策的な転換を迫ることと、北朝鮮の体制転換を図ることを事実上同じことと考え、「拉致問題」という人道上の問題を、戦争や平和にかかわる国際政治上の問題と結びつけてしまったために、硬直した原則論に陥ってしまった。
 第二に、第一の目的を達成するために、米国内のネオコン(新保守主義者)の力を頼みにした点である。イラク戦争の失敗と米国議会内の民主党の勢力挽回とともにブッシュ政権の対北朝鮮政策も転換を余儀なくされ、ネオコンの影響力は著しく退潮することになった。ブッシュ政権が、単独行動主義から多国間協調主義へ舵を切り、六者協議はより重要な問題解決の切り札として浮上するようになったのである。
 第三に、日本国内の対北朝鮮強硬派の人々の中には、「北朝鮮問題」の背景に冷戦下の半世紀余りにおよぶ米朝間の確執の歴史があることが、すっぽりと抜け落ちていることである。「北朝鮮危機」の本質が、朝鮮戦争以来の米朝対立にあることが理解できるならば、米朝交渉を核とする周辺諸国間の宥和ゆうわこそ、危機を平和的に収束させるもっとも望ましい選択であることがわかるはずだ。六者協議とその共同文書は、このような和解への道筋の第一歩を示した画期的な合意として高く評価されるべきである。
 本書が、六者協議の新たな進展とともに増補版として日の目を見ることになったのは、このような行き詰まりを打開する道筋を、すでに二〇〇三年の時点で明らかにしていたからであると自負している。
 六者協議の進捗は、今後紆余曲折が予想されるとしても、確実に「北朝鮮問題」の終わりを、したがって朝鮮半島における冷戦と分断の時代の終わりを告げることになるに違いない。今まさしく終わりの始まりの第一歩が印されようとしているのである。
 ただしそれは、決して独裁的な国家社会主義体制の延命を意味しているわけではない。むしろ逆に、そのような旧体制をそのまま温存させるのか、それとも正常化を通じて改革・開放を成し遂げるのか、このギリギリの二者択一の前に北朝鮮が立たされることを意味しているのである。その意味では、異様な専制的社会主義の終わりの始まりでもあるのだ。
 この「歴史の狡智」を見定めることができるならば、「拉致問題」の早期解決には、日朝国交正常化が不可欠なのだ。
 本書を通じて以上のような見解の真意を理解していただければ望外の喜びである。
 なお、特に「序章」と「終章」については、二〇〇三年五月という状況に即した記述が散見されるが、論旨の骨格や方向性は四年後の現在でも十分有効であると判断し、最低限の加筆修正を除いて、あえて発表時のママとした。
 また、二〇〇七年以後を見据える政治構想については、本書初版のあとがきにかえて掲載した「『東北アジア』から『東アジア・フォーラム』への道」の中で、詳細に展開した。