桑田佳祐に対する共感
 桑田佳祐の音楽は、洋楽の要素と邦楽が渾然一体となった、奇妙にして絶妙なバランスの上で成立していた。そのバランスの微妙な揺れとグラデーションは、すくなくともそれ以前の邦楽の世界には存在しないものだった。もちろん洋楽志向をもったミュージシャンは、大なり小なり同様の傾向にあるが、その“分かれ目” はくっきりしていた。つまり接合の仕方が、幼く、イノセントにすぎた。桑田は、洋楽と邦楽の新しい調合法を発見した。だがそれは桑田が優れた感覚と才能をもったミュージシャンだったが故に発見できたということだけですまされるものではない。桑田とは、優れたミュージシャンである以前に優れた聴き手であり、その聴き手としての経験と驚異的な吸収力が、調合法発見へとつながる最初の扉を開く鍵となった。
 桑田に対して最初に抱いた共感は、その音楽から聴き取れる、桑田佳祐というひとりの聴き手としての佇まいと冷静な視線だった。ちなみに日本の洋楽的邦楽の世界は、優れた聴き手にも優れたミュージシャンにもなれないミュージシャンによって形成され、優れたミュージシャンがいたとしても優れた聴き手である場合は極端に少ないという構造的宿命を背負っている。したがって桑田が一九五六年生まれであることを知ったときは、いささか驚いた。というのも一九五六年に生まれた一般の音楽好きな少年には知りようもないミュージシャンや楽曲を桑田は知っていた。それは家庭環境や周囲の影響によるものばかりではない。自覚的に過去に遡ろうと思わなければ出会えないような音楽を、桑田はインプットしている。