はじめに 〜全ては石油のために〜
石油は、新しい人生の幻想を抱かせる。それは、働く必要がない、与えられるばかりの生活。
……石油の概念は、偶然の幸運によって手にした富という、人類の永遠なる夢を、完璧に象徴している。
……その意味で、石油はおとぎ話であり、そして、全てのおとぎ話は虚偽の要素を含んでいる。
ーージシャルト・カプチンスキー
その昔、人間の生活は木材に囲まれていた。木造屋根の下で薪が燃やされ、赤ん坊は木製のゆりかごで泣いていた。
森林が次第に破壊されていくに従い、暖房や調理、生きるために、人間は煤けた石炭の塊を炎にくべるようになった。 その後、それまで知られている限りで最も強力で、一見潤沢にみえるエネルギーとの出会いが訪れる。生き物としての 人間の営みが、その熱血的で頭でっかちの体が必要とするエネルギーの総量と、周囲の環境から搾取することのできる 分量との中間に落ち着くといえるなら、原油の豊かさは私たちを解放した。その結果、一度発見してから、人間は大口を 開け、息継ぎも忘れるほどの速さで消費を続けている。
肥沃で鉱物資源が豊富な米国の石油埋蔵量が独特の企業家精神と結びつき、米国流に偏った国際石油産業は 生まれた。その後、ジョン・D・ロックフェラーが寄せ集めと支配、冷酷さに基づくモデルを創り上げた。かつて採油は、 裏庭で薪の束をほどく程度の資本と技術、知識しか必要ではなく、人々はポロ布とバケツで黒い川から石油をすくい 出していた。しかし採油量が減るに従い、より遠く、より深い場所に爪を立てなければならなくなる。石油採掘ピジネスは、 ますます大規模で高コストな事業に発展し、利益を上げ続ける余裕のある会社は膨れ上がる一方だった。各国が渇いた 地面の下に眠る石油の魅惑的な蓄えの保護に傾く中で、西側の石油産業は地球を横断し、貪欲に石油を求め続けた。
幾つもの国において、大地や海岸に埋蔵された黒い黄金の発見に圧倒された住民たちは、パイプやポンプで石油を 吸い上げ運び去る西側の企業に、門戸を開くこととなった。遠い地の石油発動機器への燃料供給に自国の経済が 捧げられる一方で、地域社会と自立経済は衰えていった。インドネシア、ナイジェリア、コロンビアなど各地で、石油 施設の白人住宅地を囲む壁の外には、困窮に陥った者たちが集まった。
一八五九年に最初の油井が掘られてから一世紀も経たないうちに、原油に頼る機械と関連製品は、西洋社会の隅々まで 染み渡った。今日、石油とその製品は、自動車を走らせ航空機を飛ばし、家屋を温め明かりを灯し、病院を殺菌し、 スーパーーマーケットに果物や野菜の在庫を確保する。軟弱で壊れやすい体を石油で動く鋼鉄製車両に固定して、 私たちは初めて自らの行動範囲と影響力を輝かしく伸ばすことができ、新生児は母体から手袋で移され、石油ポリエステル 製の毛布にくるまれ、石油ストーブの前へ急いで運ばれる。未だに残る金属製・木製の製品は、表面が石油で舗装された 道路を走る、石油で動く機械によって原料が抽出される。それらは、石油から作られたプラスチックで包装され、私たちの 手元へ届く。
地殻に上均等に埋蔵されている石油を採掘する大変な作業には、世界経済の六分の一があてがわれている。一日 三ガロン以上を浪費する米国人の例を出すまでもなく西洋社会が石油にどっぷり浸っている一方で、アジアやアフリカに 暮らす平均的な国民は、原油の恩恵をほとんど受けることができない。
地球に豊富に埋蔵されていた原油が減少するに従い、石油企業は最良の学者の知恵と兵士の犠牲を利用し、世界の 工場に給油する広範囲に入り組んだ動脈の強化に努めてきた。二十世紀中に地殻から大気中にまき散らされた炭素は、 上空から上吉な影を投げ掛けている。にもかかわらず、ほとんどの石油企業は、自分たちのしていることが正しいと信じている。
「この会社では誰もが公共の福利のために尽くしている《と公言するのはエクソン・モービル社のリー・レイモンド氏。 「その公共の福利の長が私だ。
別の意見もある。石油は「悪魔の排泄物だ《と吐き捨てたのは、OPECの共同創設者、ホアン・ペレス・アルフォンソ氏だった。
本書はまず、何億年も前、海の日溜りに浮遊していた古代生物が大気中の炭素をとり込んでいた頃に遡る石油の誕生から、 地中深くで熟成される過程を追っている。突然の発掘熱、富を掌中に収めるための戦い、そして石油そのものを生み出した 地球環境の異変という、近代における原油の物語も扱う。
西側の巨大石油企業が、世界の石油の大部分に対する権利を保有しているわけではない。多くは政府によって管理され、 国営企業によって開発されている。彼らは石油の大部分を生産しているわけでもない。ただ、彼らの傭けが誰よりも大きく、 その資金力と利益追求への揺るぎない姿勢は、地球全体の石油開発と供給状況を左右している。それは、西側の強大な 国々に対しても影響を及ぼしているが、とりわけ振り回されるのは弱く貧しい国々だろう。知られている限り最も効率良く エネルギーが凝縮され、多目的に応用がきく物質である石油の稀少で有限な蓄えを、いかに利用し分配するかを、西側の 巨大石油企業は独断で決定する。その結果の重大性は、石油だけの問題に留まらない。
序章 石油の誕生
生命の元としての炭素
石油の物語は、人間の想像を絶する時間のスケールに則って展開するが、全ては無害で一見とるにたらない、海底の ぬるぬるとした澱から始まる。地球を包み込んでいる地殻は数十キロメートルほどの厚みしかなく、それは中心までの距離の ほんの一部分でしかない。それは、ひび割れた卵の殼のようであり、八つの大きなプレートと数多くの小さなプレートに 分かれている。私たちの恒星である太陽に加え、地球は四十億年以上前に誕生したときの吊残である高温の核をエネルギー 源としている。火山が惑星の内部を噴出したときに見ることができるその烈火は、プレートを一年に十センチほどの速度で 動かしている。
地球の四十五億年の歴史において、移動するプレートは互いに押し合い、山々を形成し、引き裂かれて沈下をもたらし、 隣のプレートの下に潜り込み、あるいは横を滑り抜けてきた。プレートのごつごつした表面には、その旅の傷跡が刻まれて いる。焼けつくサハラ砂漠の岩石が氷によって削られていたり、北米大陸の中心部に熱帯雨林の?物が埋もれていたりする ことは、地質学者が機動性の高いプレートの古代の道筋を解明する手掛かりとなる。