未曾有の災害といわれた関東大震災で、東京の街は、江戸と訣別した。
「古い浅草の目じるし―十二階の塔は、大正十二年の地震で首が折れた。(中 略)地震の騒ぎが少し静まってから、大きい建築の死骸を、工兵隊が爆破して 廻った。十二階もその一つだ」と、ノーベル賞作家の川端康成は『浅草紅 団』(昭和四年)で、浅草十二階(凌雲閣)の崩壊について記している。この大 震災で、銀座からレンガ街が消え、浅草の名物だった十二階もなくなった。冒頭 で江戸との訣別と述べたが、実は、明治の古い東京の終息でもあった。
 だが、悲しみばかりでもなかった。新しいモダン東京、大東京の時代が始まっ たのだ。「今日の東京は、実に過去の東京ではない。全然跡方なく変つてしまつ たと云へる程に。今日の東京を知るには、先づ真先きに、あの東京駅前の地域に 立つて、昔には、いな十五年前までは予想も出来なかつた新メトロポリスとして の光景を仰ぎ眺め入らなければなるまい」とは、昭和四(一九二九)年に今和次 郎が編纂した『新版大東京案内』の「大東京序曲」だ。
 本書の視線は、まさに、この地点からスタートしている。関東大震災から復興 した街、モダン東京がどのような形で形成されていったか。そこをゼロ地点にし て、不幸な戦争をはさみながら、再び、戦災から復興していった新東京の図像を 追加していくことになる。ゴール地点は、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』 が描いている、昭和三十年代の街角といってもよいだろう。ここにも、現在とは 異なる東京が見えてくる。振り返れば、なつかしい街の姿、そして、若い世代に は、失われた異次元の魅力的な風景としてとらえられる「ロスト・モダン・トウ キョウ」という、本のタイトルを選んでみた。

 未来を夢見ていた過去の「モダン東京」は、ある意味、主役不在の〝舞台〞 だった。いや、いい方に解釈すれば、だれもが主役になれた都市空間だったのか もしれない。
 手彩色絵葉書の王者だった浅草十二階が姿を消した後、代役はなかなか現れな かった。震災復興計画の中で、近代的なビルや道路、公園、デパート、橋や夜 景、花電車、地下鉄などが「大東京」という舞台の上に次々と飛び出して、その ときどきに華やかなスポットライトを浴びた。だが、ステージの中央にいる時間 は短く、さらに新しい存在に取って代わられた。
 街も同じだ。江戸以来の威光を放っていた浅草、日本橋から、その先の銀座、 丸の内へと、時代の波は移っていく。さらには、山の手の新宿や渋谷が、次世代 の主役の座をうかがっていた。そんな新宿や渋谷、池袋を包括して、三十五区で 編成される「大東京」が昭和七(一九三二)年に誕生。帝都の威容を誇った。だ が、時代は戦争に突入していく―。
 かくして空襲にさらされた東京もまた、焦土からの復興の道を辿った。そして 終戦から十三年後の昭和三十三(一九五八)年、ようやく誕生した東京の風景の 新しい主役が、当時、高さ世界一を誇った東京タワー。高度成長の日本、オリン ピックを迎える東京の街を象徴する存在だった。そして、半世紀が経ち、今度 は、江戸以前の古い伝統をもつ下町に、二十一世紀東京のシンボル、東京スカイ ツリーが建つ。
 江戸から東京、そして、トウキョウ。
 常に変貌しつつあるこの街の、絵葉書に遺された光景の旅へ、ようこそ。さ あ、ご案内しましょう。