【私のコレクション】
少年時代、父にもらったイギリス煙草ウエストミンスターの空き罐に、私は、気に入った小さなオブジェのようなものを、たくさん収蔵しておいた思い出がある。ウエストミンスターの青い四角いブリキ罐は、近ごろ、あまり見かけなくなってしまったようであるが、少なくとも私が子供の時分には、何だかそこらじゅうにごろごろしていたような気がするから不思議と言えば不思議だ。あれも流行だったのか。
むろん、私はそのころ、煙草を吸っていたわけではなく、オブジェなどという言葉もつゆ知らず、煙草の空き罐にガラクタを集めるという幼い自分の衝動が、どんな心理的な源泉から発するものであるかなどということも、一度として考えたりしたことはなかった。子供だから当り前であろう。いったい、どんなものを集めていたのかと言えば、前にも拙著『夢の宇宙誌』にずらずらと書き並べたことがあるけれども、こわれた懐中時計の歯車だとか、長火鉢の抽斗から盗み出した老眼鏡の玉だとか、スポーツマンの従兄弟にもらったメダルだとか、練兵場で拾った真鍮の薬莢だとか、色とりどりのビー玉だとか、つやつやした大きなドングリの実だとか、万年筆のキャップだとか、鍵だとか、鎖だとか、ゼンマイだとか、レンズだとか、フィルムの切れっぱしだとか、小さな鉛の人形だとか、短くなったバヴァリアの色鉛筆だとかいったような、役にも立たないガラクタばかりである。
しかし、役にも立たないガラクタばかりだったとはいえ、そこにはおのずから選択の基準があって、どんなものでもよいというわけにはいかなかった。たとえば、布製のものや紙製のものは、この私のコレクションから、きびしく排除されなければならなかったし、ゴム製のものも、どちらかと言えば好ましくなかった。私の審美眼にもっとも適う気に入りの材質は、もっぱら金属やガラスやエボナイト(なつかしい名前だ。当時はまだプラスティック製品が出まわっていなかったのだ)などといった、光沢のある、堅牢な、冷たい硬質のものばかりであった。今でも、この私の趣好は生きている。
さらにもう一つ、コレクションにおける選択の基準ともいうべきものを挙げるならば、それは、これらのオブジェが何の役にも立たないという、まさにそのことだったのである。時計はこわれていなければならず、時計としての全体のメカニズムから遊離した、一つの無意味な部分品でなければならなかった。眼鏡は、枠から外れた単なるガラスの玉でなければならなかったし、鎖は、かつて何のために用いられたものか、その使用目的が不明なものでなければならなかった。全体よりも部分、有用性よりも無用性が優先していたので、たとえば前に挙げた、小さな鉛の人形などは、その全体性のために、ここではむしろ価値の低いものと見なされざるを得なかったのである。
少年の私が、これらのメカニズムの断片ともいうべきオブジェの数々に、エロティックなものの反映を見ていたと言えば嘘になろう。ただ、エロティシズムを意識するより以前の、何かうしろめたいような、ことさら秘密にしておきたいような、いわば一種の予感としてのエロティックな気分が、私のコレクションにはつきまとっていて、それが私のヴィタ・セクスアリスとも微妙に交錯していたということは紛れもない事実である。メカニックとエロティックとは、どこかで通底していたのである。
(「足穂アラベスク」より。『洞窟の偶像』所収)