発刊によせて
                                         森本公誠 東大寺長老

 むかし、インドに善財童子という、心の浄らかな若者がいた。貪欲と憎悪に苛まれ、策略と欺瞞で心がすさび、あげくは邪悪な道をとぼとぼと歩く、そのような世の人々を苦しみから救い出すにはどうすればよいか、と若者は心を痛めていた。そこに文殊菩薩が通りかかったので、その手立てを尋ねた。文殊は若者の志をけなげと褒め、南の方、徳雲比丘に尋ねなさいと指示した。徳雲は一つの教えを諭すと、南の方、海雲比丘に尋ねなさいと告げた。海雲は南の方、善住比丘に尋ねなさいと告げた。善住は弥伽長者に、弥伽は解脱長者にと、若者善財は指示されるまま、次々に指南の旅を重ね、仙人、婆羅門、童女、優婆夷、王様、船師、比丘尼、女性、インドの神々と女神、観音ら菩薩と、五十三人の善知識にめぐり合い、その都度心を深め、遂には確かな境地を得た。善財童子が出会った五十三人の善知識は、日本風に言えば神さま仏さまたちなのである。
 いま世界中にグローバル化の波が押し寄せ、世界を隔てる壁は取り除かれて一つの経済圏へと大きなうねりが逆巻いている。人々は経済の激流に溺れまいと、日々目先の利益を求めて苦闘し、競争から脱落するのではと恐怖をおぼえている。それもこれもお金がすべてと考えることから生じる恐怖心なのであろう。日本でも例外ではない。かつて幕末から明治にかけて日本にやってきた欧米人たちが一様に感嘆した日本人の正直さは、金銭的利益のまえに霧散し、「偽装」がはびこってしまった。
 幸い人間には、日常の生活とは異次元の精神の働きに感動する心性がある。そのような心を取り戻すのにはどうすればよいか。神仏の世界に身を置く者が何かお手伝いできることはないか。このたびの神仏霊場会はそのような趣旨で発足した。時は非日常の日時をつくり、この案内書を片手に、神々の鳥居・仏たちの山門をくぐり、手を合わせて神の声を聞き、仏の眼を感じてみませんか。