(1)黄表紙のマンガ的デザイン
 日本人は昔も今も、文章に絵をつけたがる。物語を文字で追ったり聞くだけでなく、眼に見えるイメージとして体験することが好きなのだ。
 平安時代に絵巻物が発達したのはそのためにほかならない。その絵巻物は、中世の御伽草子絵巻や奈良絵本となって普及する。近世の木版冊子の中では、木版の挿絵が、文字の助け、あるいは文字を読めないものの助けとして、大きな役割を果たしてきた。
 江戸時代後期の町人文学といえば、遊里の機微をうがった洒落本から黄表紙へと進む戯作の動きがまず取りあげられる。子ども向けの絵本である草双紙の中から大人の文学としての黄表紙が現れたわけだが、この黄表紙や洒落本作家を代表する恋川春町(一七四四〜一七八九)や山東京伝(一七六一〜一八一六)は職業絵師そこのけに挿絵も得意とした。 黄表紙のはじまりとされる恋川春町の『金々先生栄花夢』をはじめ、黄表紙には自作自画のものが多い。のちに読本挿絵の第一人者となる葛飾北斎(一七六〇〜一八四九)も、春朗と称した若いころは、自作自画の黄表紙作家だった。
 黄表紙のデザインの特徴として、細かなテキストの文字が絵の余白をびっしり埋め、あたかもマンガの吹き出しの無限延長のように見える点が見逃せない。そのような黄表紙は挿絵本というよりむしろ絵本といったほうがよいだろう。もともと子ども向けの絵本から出発した黄表紙だから当然ではあるが、大人の文学になっても「絵本」なのが江戸の戯作の特色である。

(2)黄表紙から読本へ――「読む」本にも絵が大切
 「もじり」や茶化しを用い、遊里を題材に世の中や人間の有様をおもしろおかしく揶揄する黄表紙や洒落本は、子ども相手の空想からなまじ大人の現実にその眼を向けたのが災いし、寛政の改革(一七八七〜一七九三)で手厳しい弾圧にあう。寛政三年(一七九一)、山東京伝は風紀を乱したという理由で手鎖五〇日の刑にあった。以後、洒落本はしばらく刊行されなくなり、黄表紙はやたらと教訓的、道徳的なものとなって、何冊か合わさった体裁の長編仇討物に活路を見出そうとする。これが合巻である。黄表紙の本来の軽妙さ、発想の自由さはもはやそこに見られない。
 代わって注目されたのが読本である。洒落本、黄表紙の行き詰まり状況から転向を試みた山東京伝や、博学の曲亭馬琴(一七六七〜一八四八)が、読本作者の二大スターであり、京伝は歌川豊国(一七六九〜一八二五)と、馬琴は葛飾北斎と、それぞれコンビを組んで活躍した。文化年間(一八〇四〜一八一八)が読本の黄金時代である。
 読本は、当時長崎経由で江戸の文人たちが手にすることができた、中国の大衆的な伝奇小説(白話小説)のスタイルを翻案して、複雑で波瀾にとんだストーリーを展開させる。仁義忠孝という封建道徳の吹聴を建て前としながら、実際には、文化年間に入ってしだいに怪奇でグロテスクな様相を帯びるに至った歌舞伎の舞台の小説仕立といった要素を持っている。
 読本は、その名のごとく「読む」ことを主眼とした小説である。もともと上方でつくられた当初は文字中心のものであった。だが江戸ではそれに、意匠をこらした口絵や独立した挿絵頁を加えて読者の視覚に訴えようとした。これが江戸読本の全盛を招くことになる。
 読本のテキストは、それだけを読んだのでは、入り組んだ筋書きと荒唐無稽な場面の連続が読者を当惑させ、ついてゆくのが大変だ。挿絵がそこで大きな役を果たすことになる。国文学界で読本の挿絵があまり重要視されていないというのも、当然のことながら、挿絵よりテキストのほうにまず目がゆくせいだろう。だが、読本はテキストと挿絵とが一体となって読者の想像力に訴えるものではないだろうか。
 ただひとり、山口剛という優れた江戸文学の研究者が昭和のはじめにいた。この人の著作(「日本名著全集 江戸文芸之部」13『読本集』、昭和二年)は、読本の代表作を、テキストだけでなく挿絵とも関係させて取りあげ、その鋭い視点は、今日でも先駆的意義を失っていない。
 じっさい、読本の挿絵は、江戸後期の大衆文化の生んだ妖しい花ともいうべき魅力的な存在なのである。挿絵あっての読本ではないかとさえ、わたしは思う。
 読本のテキストの波瀾万丈、摩訶不思議な内容を、読者にイメージとしてより強く訴えるため、画家は白黒木版画の小画面という厳しい制約を逆手に取って、さまざまな表現手法を編み出し、斬新で強烈な画面をつくり出す。絵巻のお株を奪った二頁続き、三頁続きの長い画面が物語のクライマックスで現れ、頁を繰る読者の好奇心をいやが上にもかきた てた上で、最後の頁に驚きのイメージが出現するという仕掛けである。
 こうした表現に、現代のわれわれにも共通する想像力、つまりは奇想の横溢することを感じ取ってほしい。観点を変えれば、当時の歌舞伎の演出や舞台の雰囲気を伝える上でも、おそらく貴重な資料であろう。

(3)白黒世界の想像力――マンガ・劇画・アニメの先達
 この本の図版をパラパラとめくって見てほしい。まるで現代のマンガではないか。カラーでなく、白黒である点もマンガを想わせる。
 マンガや劇画は基本的には白黒の世界である。一色ないし数色のカラーオフセットが巻頭の一篇を彩ることはあっても、全巻カラーということは稀だ。大量印刷、廉価販売という制約がそれに関連するだろうが、ともかくも読者が、マンガ・劇画は白黒である、ということに満足していることに疑いはない。
 実際のところ、マンガ・劇画は、江戸時代の草双紙から読本への発展のように、白黒画面の中で展開してきた。少女マンガはそのマイナスといってよい条件のもとで、白黒画面の制約を逆手に取って、むしろ白黒画面の中でしか発揮できない効果――黒と白の色面の対比、線描の表現力といったものを追求し、それをときには芸術性にまで高めている。読本挿絵に見られる、白黒の木版でしか味わえない独特な表現の魅力は、この点で現代マンガの先達の役割を果たしているといえるのだ。さらにいえば、黄表紙はマンガに、読本挿絵は劇画に、それぞれつながりを感じさせる。
 この本の仕事をしていて感づいたのだが、読本挿絵の画面は、どれ動きのイリュージョンをつくり出そうとしている、つまり「動きたがっている」ということである。篠原資明氏によれば、「ベルクソンは、物質を徹底して運動の相のもとに理解しようとする。これは、通常の物質のとらえ方とは食いちがう」(『ベルクソン』岩波新書)という。人間は「動く物質」であるのに、それを「動かない物質」としてスタティック(静止的)にとらえるのが西洋流だとすると、人間や妖怪や自然までもを「運動の相のもとに」とらえる読本挿絵の手法、ひいて世界観は、近代の哲学者ベルクソン先生のお眼鏡にかなうやもしれない。
 ともあれ、人間や自然や妖怪を、徹底した「運動の相のもとに」とらえ、表現しようとしている読本挿絵が、現代のマンガ・劇画さらにアニメにつながる太いパイプであることを指摘しておきたい。