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「第一章 ミクロの現場を無視したリフレ政策」立ち読み

藻谷浩介(もたにこうすけ)

一九六四年、山口県生まれ。(株)日本総合研究所調査部主席研究員。一九八八年、東京大学法学部卒、日本開発銀行入行。コロンビア大学ビジネススクール留学などを経ながら地域振興の研究活動を行う。二〇一二年より現職。主な著書に『実測! ニッポンの地域力』(日本経済新聞出版社)、『デフレの正体―経済は「人口の波」で動く』(角川書店)など。

萱野稔人(かやのとしひと)

一九七〇年、愛知県生まれ。津田塾大学国際関係学科准教授。博士(哲学)。二〇〇三年、パリ第十大学大学院博士課程哲学科修了。主な著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)、共著に『超マクロ展望 世界経済の真実』『没落する文明』(ともに集英社新書)など。

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    第一章 ミクロの現場を無視したリフレ政策

    藻谷浩介×萱野稔人

    ▼現実から乖離したリフレ政策

    ── 藻谷さん、おひさしぶりです。藻谷さんは金融緩和では日本経済はよくならないといろいろなところでおっしゃっていますが、今日はぜひじっくりとその点についてお話をうかがいたいと思っています。
    長引く日本経済の低迷への処方箋として、金融政策、それもかなり大胆な金融緩和が脚光を浴びていますよね。貨幣の供給量を増やすことによって、インフレをおこし、デフレ脱却をねらうという、リフレーション政策(リフレ政策)です。
    しかし、このリフレ政策で本当に日本経済は浮揚するのでしょうか。大胆な金融緩和を掲げる第二次安倍政権が発足して以来、たしかに市場を見れば、株価は上昇し、円安にもなっています。とはいえ、それが日本経済の将来にとって果たして本当にいいことなのか、どこかで致命的な副作用をもたらすことはないのか、冷静に考える必要があるでしょう。
    藻谷さんはご自身のベストセラー『デフレの正体』で、旧来型のマクロ経済政策だけでは日本の経済成長は不可能であり、それを理解するためにはもっとミクロな現場でなにがおこっているのかを注視すべきだ、とおっしゃっています。
    多くのエコノミストたちが都会にとじこもってマクロな数字でのみものごとを判断しているなかで、藻谷さんは年間を通して日本各地を飛びまわって、地方経済の実態に触れたり、大企業から零細企業まで足を運んだりと、実際に経済の現場でなにがおきているのかをつねに確かめている、稀有な存在です。たぶん、日本でいちばん日本経済のリアルな姿を知っているのが藻谷さんでしょう。

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    藻谷 萱野さんのおっしゃるように私は、経済というのは、ミクロな経済的事象が複雑にからみあい、積み上がっている生態系だと思っています。マクロ経済学の本に書かれたセオリーばかり論じていても、その実態には迫れない。現場の無数の現実に触れて、そこからセオリーを組み立て直さなければ本当のことはわからないというのが、私の実感です。セオリーベースではなく、ファクトベースですね。
    これに対してマクロ経済学は、現実には無数にある変数を思いっきり絞りこんでから、「この変数をこう動かせば、ほかのこの変数がこう動く蓋然性が高い」というセオリーを構築する、一種の思考実験です。ですが実際の経済社会では、セオリーを構築する際に便宜上無視してしまったほかの変数も動いていて、結果に影響を与えます。「摩擦がないと仮定すると……」ではじまる初歩の物理学の公式が、摩擦のある現実の世界では通用しないのと似ていますね。
    そのうえ「蓋然性が高い」ということと「一〇〇%そうなる」ということは、まったくちがう話です。ものごとには常に例外があり、しかも日本というのはおよそなにをやらせても世界のなかでは例外のほうに属しがちな、面白い島国です。
    ですから現実には、世界に稀な長期の金融緩和をつづけてきたのに、一向に効果がでていなかったりするわけです。

    ―― たしかに日本では、一九九五年から政策金利はほぼ一貫してゼロですし、量的緩和も二〇〇一年から五年間もつづけられたにもかかわらず、デフレから脱却できませんでした。

    藻谷 萱野さんのおっしゃっているのは、まさにファクトベースの考え方です。これに対して、「貨幣供給量を増やせば経済が活性化する」というリフレ論は、マクロ経済学的な思考実験の産物の典型です。理論構築の都合上、途中でいろいろ変数を切り落とした結果、貨幣供給量の調整だけで複雑な経済をコントロールできるという美しい理論ができあがった。

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    ―― 私自身、金融緩和策に対して感じる最初の違和感もまさにそこにあります。貨幣の量をコントロールするだけで本当に経済の実態までよくなるのか、という疑問です。

    藻谷 仮想世界の話としては面白いのですが、実際に「理論どおりにやりさえすれば万事OK」と唱える人が増えているのはどうしたことでしょうか。
    私が大学に入ったころにはまだ、昔のマルクス主義の「労働者階級が政治権力を握ればものごとは解決する」という方法論を唱える人がかなり残っていました。彼らに「ソ連はひどいことになってしまったじゃないか」と現実からのフィードバックを説いても、「あれはスターリンがいけなかったんだ、マルクスの理論自体は間違っていないんだ」と言い返してきたものでした。理論が間違っていないのであれば、なぜスターリンの登場を防げなかったのか。複雑な現実から帰納する習慣がなく、一度信じこんでしまった理論のなかに閉じこもってしまう姿がそこにありました。
    そんなマルクス主義者が権力の奪取を目指していたように、リフレ論者も、中央銀行のテクノクラートを押しのけて自分で貨幣供給量をコントロールしたがります。先頃の日本でおきていたのがまさにそれで、戯画化していうならば、「殿、ご乱心!」と叫びながら必死に止めようとしていた前日銀総裁を張り倒して、「俺にこの万能の貨幣供給量調整ツマミをまわさせろ」と、学者や政治家が殺到していたような感じでしたね。
    日銀の職員だってマクロ経済学は知っているわけですが、多年の金融緩和が効いていないという現場での経験があるから、リフレ論者と幻想を共有できないのです。実際問題、世界中の金融セクターがダメージを受けたユーロ・ショックを無事乗り切った日銀の手腕は、海外では高く評価されていました。彼らも懸念しているでしょうが、単純化された理論どおりに金融政策をとりつづけるというのは、まさに日本経済を実験台にした巨大な社会実験です。思考実験だけではがまんできなくなったのでしょうが、リフレ論者たちに気がすむまでいつまでもやらせつづければ、日本経済がいたむリスクもあります。

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    ▼働いてお金を稼ぐ世代が減りはじめた

    ―― では、金融緩和で経済が浮揚する、あるいはデフレから脱却できる、と主張するリフレ論が間違っているとするなら、どこが間違っているのでしょうか。そこを具体的におききしていきたいと思います。

    藻谷  順番にひもといていきたいのですが、なにより最大の問題は、金融緩和の始まった九〇年代後半以降の日本の景気低迷は貨幣供給量の不足が引き起こしているわけではないということです。足りないのはモノの需要です。いまの日本では貨幣を増やしてもモノの需要を増やすことにはなりません。

    ――  わかる気もするのですが、リフレ論者たちは逆のことを言っていますよね。貨幣の量が少ないから、みんなお金にしがみつき、お金をモノに変えないのだ、つまり消費しないのだ、と。

    藻谷 リフレ論はそもそも「供給されたお金はかならず消費にまわる」という前提に立って構築された理論ですから。「人はお金さえあれば無限になにかを買いつづける」というのが、とくに実地で証明された話ではないのですが、彼らの理論の基盤になっているのです。
    実際にご商売をされている方からすれば信じられない話だと思いますが、商品を並べて置けば売れたモノ不足の時代が、浮世離れした一部の経済学関係者の頭の中ではいまもつづいているわけですね。たしかにこの理屈に従えば、「消費が活性化しないのは、十分なお金が世の中にでまわっていないからだ」ということになる。
    ところが現実の日本では、企業も家計も金融機関も資金収支は黒字で、政府だけが赤字です。つまり企業も家計も金融機関も、投資しても消費しても使い切れないお金を余して、国債を買っているわけです。リフレ論者が検証もせずに当然とみなしている前提が、事実としては崩れてしまっているのです。

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