青春と読書「エッセイ」
文字の大きさ

『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』おおたとしまさ著
回り道は学びの神髄 大島保彦

『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』
おおたとしまさ 著

ご購入はbooknavi

 読書、音楽、演劇。何かに身を入れ込んでしばらくすると、さまざまな要素がミシリと音を立てるかのように集結し、結晶化するときがある。バラバラだった断片がつながり合って、雄弁に語り出す。
 もし、武蔵の卒業生や在校生を何人かご存じなら、本書を読む過程で、そんな瞬間を経験できるかもしれない。「あ、だからあの人は……この人は……」と。
 とはいえ、この文章をお読みの方々で、武蔵出身者を何人も知っている人は少ないはず。そこで、私自身の経験から拾い出して、道筋をつけていくことにしよう。
 ある朝、予備校の講師室にやってきて、遠慮がちにドイツ語で話しかけてきた男子学生がいた。大学入試の得点に直結するわけでもない。それでも、努力した様子がよくわかるドイツ語だった。落ち着きと熱意の不思議な不均衡が印象的。今から思えば「あいつ、武蔵だったんだ」。
 高1のときからずっと知っていた男子。いろいろと興味は広いのに、そして、こだわりだすと力が出るのに、点数に直結する勉強が、からきしダメ。しかし、様々な局面で、無駄だと思っていたことが妙に役に立って、大学合格。今はたぶん医師。「あいつも、ここだった」
 数え出したら、きりがない。だが、いずれをとっても言えること――武蔵の連中は、生きるのがうまいのだか、へたなのだか、よくわからない。
 そんな謎に形が与えられ、ほぐされていくのが本書の楽しみ。OBたちへのインタビュー(東大総長も東工大学長も武蔵出身……と、この二人だけ書くのも違和感があるくらい豊かな顔ぶれ)、先生方の座談会(学びの世界の匠たち)、そして生徒諸君の生の言葉の混沌と熱気。
 ひょっとすると、本書を読んだ後に、「思いは分かるが、一言では要約できない」とモヤモヤを感じる人もいるだろう。それは正解のうちの一つ。なぜなら、武蔵という学校が、そして本書が、知識の完成品を美しく陳列する空間ではないからだ。
 意味なんて、後からついてくる。ついてこなかったら、自分で意味を作り出せ。まずは、ズシリとした虚学だ。とにかく体験せよ、やがて結晶化する。バラバラだった断片が、つながり合う。
 そんなメッセージが、この本の奥底からは響いてくる。

青春と読書「本を読む」
2017年「青春と読書」10月号より

ページトップへ