青春と読書「エッセイ」
文字の大きさ

『「天皇機関説」事件』 山崎雅弘 著
『「天皇機関説」事件』で描いた当時の日本と現在の類似点 山崎雅弘  

『「天皇機関説」事件』
山崎雅弘 著

ご購入はbooknavi

◆ありそうでなかった歴史的大事件の概説書
 このたび刊行された集英社新書『「天皇機関説」事件』は、日本が日中戦争と太平洋戦争へと向かう数年前の一九三五年(昭和一〇年)に起きた、昭和史の重大事件をテーマにしたノンフィクションです。この出来事は、日本における「立憲主義」を実質的に停止させた重要な転機として、歴史書や教科書の年表によく記載されていますが、具体的にどんな内容の事件だったのかについては、よく知らないという人も多いかと思います。
 けれども、今から八二年前に発生したこの事件の経過を詳しく見ていくと、現在この国で進行しつつある社会的な変化と、きわめてよく似ていることに気づかされます。
 天皇機関説事件は、当時の日本で憲法学の最高権威と見なされていた美濃部達吉という憲法学者が、帝国議会(現在の国会)で「国家体制への反逆者」であるかのように糾弾(きゅうだん)されたことが発端でした。美濃部らの提唱する「天皇機関説」という学説は、天皇を「国の最高機関」に位置づけ、当時の日本では絶対的な存在であった天皇の権力も、あくまで憲法に定められた形で行使されなくてはならない、という解釈をとっていました。
 しかし、軍人や右翼団体(愛国者を自任する人々)の活動家たちは、現人神(あらひとがみ)という崇高な存在である天皇を「機関」という言葉で言い表すのは許せない、などの理由で美濃部と天皇機関説を激しく攻撃し、この学説に寛容な姿勢をとる岡田啓介内閣に対しても、さまざまな形で圧力をかけ始めます。その結果、本来は学問の領域に属するはずの憲法解釈が、軍人や右翼団体の恫喝や脅しに屈する形で歪められ、近代国家の基盤としての立憲主義(政治権力を憲法の枠内に収めるという形式)は実質的に破壊されました。
 また、天皇機関説を排撃する議論が高まるにつれて、明治や大正期には一定の範囲で認められていた自由主義や個人主義、政府を批判する言論の自由や報道の自由も大きく制限されるようになり、社会の閉塞感が一挙に強まっていきました。
 この歴史的事件にさまざまな角度から光を当て、事件の起きた背景や天皇機関説の詳しい説明、関わった人々の横顔、帝国議会の内外で進行した事件の推移、そして最終的にこの出来事が日本の政治と社会にどんな影響をもたらしたのかという全体像を、コンパクトな新書という体裁でわかりやすく解説したのが、『「天皇機関説」事件』です。

◆天皇機関説事件当時と現代の日本の類似点
 それでは、一九三五年に天皇機関説事件が起きた当時の日本が、どんな風に現代の日本と似ているのか。
 例えば、自分を「愛国者」というポジションにまず置いた上で、自分と異なる意見や価値観の持ち主を「反日」と一方的に決めつけて罵倒するような昨今の風潮は、天皇機関説事件の最中にもよく見られた現象でした(当時の言い方では「反国体」)。
 実際には、美濃部が天皇機関説を提唱した理由の一つは、天皇の君臨する日本の特殊な政治制度を諸外国に説明する上でも有効な普遍性を持つ理論だからで、彼なりの信念に基づく「愛国」の行動でした。しかし、軍人や右翼団体は、自分たちの考えだけが唯一絶対の「愛国」の思想だと思い込み、美濃部の学説を徹底的に潰すような態度をとりました。
 また、天皇機関説を排撃した軍人や右翼団体は、美濃部らを攻撃する際に「天皇を侮辱している」などと決めつけましたが、実際には当時の昭和天皇は天皇機関説の内容を了承し、美濃部に対しても「優れた学者だ」と認めていました。そして、天皇機関説を排撃する軍人や右翼団体の動きに対して「やりすぎだ」と嫌悪感を示してさえいました。
 つまり、口先で「天皇崇敬」を叫び、自分が天皇の側にいるかのように印象づけて相手を威圧した軍人や右翼団体は、実際には天皇の意志に反する行動をとっていたのです。こうした「表面的には天皇を礼賛するかのような言葉を口にしながら、実際には天皇の意向に反する行動をとる人間」は、現在の日本でもあちこちで目にすることができます。
 もう一つ、重要なポイントとして、天皇機関説事件と並行して進められた「国体明徴(めいちよう)運動」という思想統一運動によって、さまざまな分野の学問が実質的に政治へと従属させられ、文部省の打ち出す方針によって国民の思想や価値観の画一化が強制されたことが挙げられます。
 天皇機関説事件のあと、日本はたった一〇年で破滅的な敗戦へと向かうことになりました。今を生きる我々が、それと同じ轍(てつ)を踏まないためにも、この八二年前に日本の政治と社会を揺るがした出来事を、あらためて検証・理解する必要があるように思います。

青春と読書「本を読む」
2017年「青春と読書」5月号より

ページトップへ