青春と読書「インタビュー」
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『若者よ、猛省しなさい』 下重暁子 著
★青春と読書2月号 巻頭インタビュー★
『若者よ、猛省しなさい』
下重暁子  

『若者よ、猛省しなさい』

下重暁子 著

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自分の中の「若者」に、
もう一度出会ってほしい

下重暁子さんの『若者よ、猛省しなさい』が集英社新書より刊行されました。若者とは感性の人、抵抗の人、変わり者──。現在の若者、そして「元若者」だったすべての人におくる、自分の人生をいつまでも若く生きるためのヒントが満載の一冊です。刊行にあたり下重さんにお話を伺いました。
聞き手・構成=小元佳津江

 

下重さん1

誰もが〝元若者〞である

──今回のエッセイは若者に向けてということですが、書かれるにあたり最初に考えられたことはどんなことでしたか。

 いわゆる若者向けに、とは考えていないんです。通り過ぎてしまうと特別なもののように感じられるかもしれませんが、我々はみんな「元若者」なわけでしょう。だから私はこの本を、私を含め、元若者も入れたすべての人に向けて書きました。ほんとうのことを言うと、私自身は自分がすでに若者を通り過ぎてしまったとは思っていない(笑)。若者とは、年齢だけではありませんから。
 それから、タイトルに「猛省しなさい」とあるけれど、お説教をするなんて私にとっては一番嫌なことですから、まったくそんなことは思っていません。でも、最初に企画をいただいたとき、〝おやっ〞と目にとまった。タイトルは内容とはまた別の、ひとつの生き物だと思うんですね。そういう意味でおもしろい言葉だと感じたので、タイトルにしました。

──みんな「元若者」だという考え方は興味深いです。では、下重さんの考える「若者」とはどんな存在でしょうか?

 まず、本来、人間の感性というのは年齢を重ねても変わらないんです。私はすでに八十歳の大台に乗ったわけですが、この年になってよくわかります。感性は自分が若かったころと何も変わっていない。若者というより子供のときにはもう、未完成ながらその素地ができているんですね。そして、形としてでき上がるのが若者のとき。だから、若者とは感受性の強い、感性の人間だということですね。常におもしろいものがないかとかぎまわるし、路地裏のスミレにも紅葉する木々にも目がとまり、感動する。そう、感動が感性につながるんです。
 お友達でもある黒柳徹子さんなんてまさに感動の権化みたいな人ですよ。学校の授業中でも、近くにちんどん屋さんが来て「おもしろそう!」と思ったら見に行ってしまうような子だった。そんな子供のころの感性を持ったまま大きくなった人。だから今でもあんなにすばらしいし、若々しいのだと思います。誰しも本来は自分だけの感性を持っているのに、大人になるにつれてなくしていく人が多いんです。もったいないですよね。

──どうして多くの人は自分の感性をなくしていってしまうのでしょうか?

 今は「人と同じがいい」という価値観が蔓延していますよね。お母さんたちも子供が小さいうちから「いじめられないように、人と同じようにしていらっしゃい」と教えがち。それは、自ら個性をなくしなさいって言っているようなものです。
 本の中にも書きましたが、最近、若者たちが飲み会などで、誰かの一言に反応していっせいに笑う場面を見かけます。私はあれが気持ち悪いんです。どこもかしこも人と同じであることがよしとされているけど、その「人」って誰ですか?「その他大勢」ですよ。顔が見えないんです。もちろん自分がおもしろいと思ったら笑えばいいのですが、人が笑っているから自分も笑うという行為を続けていると、自分の感性がすり減っていくと私は思います。

若者よ、「変わり者」たれ

──本書に登場する下重さんの子供時代や学生時代のエピソードには、下重さんならではの感性をうかがわせるものがたくさんあります。

 私はクモが大好きで、小学校の夏休みの自由研究でクモの研究をしたら、みんなに気持ち悪がられたんです。でも全然気にならなかった。だってそれが私の感性だし、人と違うほうがうれしかったから。人と同じなんて自分に何もない証拠ですからね。高校時代は制服が気に入らなかったから、自分でデザインしてガラッと変えちゃったんです。そうしたら先生からとんでもないと𠮟られた。そこで少し譲歩して、ちょっとアレンジを加える程度にしたの。遠目にはほぼ同じに見えるくらいにはしましたね。そしたら先生もそれ以上は何も言いませんでした。ありがたかったです。
「変わっている」ということは大事なことです。私はみんなに変わり者になってほしい。変わり者であることこそ、若者だと思っているんです。そして、ちゃんと抵抗すること。抵抗というのは若者のひとつの力であり、権利です。反発、反抗、批判、それなくして若者ではありえません。

──経済的自立と精神的自立、このふたつが不可欠であるともおっしゃっています。

 今は確かに大変な時代ではあると思うけど、人に食べさせてもらっていたら自由なことはできないし、言えません。人を食べさせるのは大変だけど、最低限自分一人を養うことは健康な人間ならば使命かなと思うんですね。
 精神的自立のためには自分で決めることが大事です。すべてに対して自分で感じ、考え、決める。自分で決めたのなら文句の言いようがないから腹の据わり方も変わるんですよ。
 先日、たまたま作詞家の阿木燿子さんにお会いし、私の大好きな山口百恵さんの話になりました。歌唱力に加え、あれだけの歌詞の咀(そ)嚼(しやく)力を持った人ってなかなかいませんよねという話をしたんです。阿木さんがおっしゃるには、百恵さんは何事も自分で決めて行動するそうです。阿木さんに作詞を依頼したのも百恵さんのほうからだったと。まだ百恵さんが十代のころの話です。本当にすごい人だとおっしゃっていました。
 経済的自立と精神的自立がなければ、本当の自由は手に入らないんです。もちろん今すぐでなくてもいい、試行錯誤を重ねてそれらを獲得していくのが人生なのかもしれません。

──「環境を変えると自分が変わるのではなく、自分を変えると環境がひらけてくる」という言葉も印象的でした。

 うまくいかないときに環境のせいにしたらそこで終わりですよね。そうではなく、まず、その場で自分が少しでも楽しむための努力をするんです。楽(らく)をするためじゃなく、楽しむため。「らく」と「たのしい」が同じ漢字を使うことに、私は違和感があるんですよ。楽しみは楽なところにはなく、しんどいところにこそ存在するものだから。私の人生も、しんどい状況でもがいた先にひらき始めました。
 今はネットなどで情報がすぐにとれる時代です。だから楽しいことも恋愛も何もかも、向こうから形になってやってくると錯覚してしまいがちかもしれませんが、そんなわけはないんです。楽しいことは自分の中からつくり上げなきゃ。

下重さん2

自分が何者なのかを知るために

──本書では「自分を掘る」ことの大切さについても繰り返し述べられています。

「自分を掘る」には、何についても「なぜ、なぜ」と問いかけていくんです。たとえば、自分が美しいと感じるものについてなぜそう感じるのか、幼少期の思い出やきっかけがあるのかなど、どんどん自分に問いかけていく。するといつか〝根っこ〞に行き当たります。
 若いときの話ですが、「紫陽花寺」として有名な鎌倉の明月院にある男性と行ったんです。だいぶ年上の人で、恋人ではないけれど結構仲はよかったのね。紫陽花の盛りの季節でした。二人で参拝を終えると、彼が「先に行くよ」と階段を降りていったんです。そのとき、それまでどこかよそよそしく感じられていた紫陽花たちが、パッと心を開くように彼の方に向かうのが私の目にはっきりと見えました。私にはつれない紫陽花が彼には親しげに何か訴えかけている──これはなぜ? なぜ? って考えて、「あ、そうか、彼は以前、ほかの誰かと、ここに来たことがあるんだな」と思い至りました。いままでにない奇妙な感覚でした。
 私のこの気持ちは何? ってまた自分に問いかけた。で、ずーっと考えていって気づきました。嫉妬ですよ、嫉妬。嫉妬なんてできればあまり持ちたくない感情ですよね。彼とは恋人ではなかったけど、それでも私はあの瞬間、嫉妬したんだとわかって納得しました。これが「自分を掘る」ことだと思うんですね。

──掘る作業が、自分の知らない自分や埋もれていた感性に出会わせてくれることもあるわけですね。自分の人生を切りひらいていくことにもつながりそうです。

 そうです。だから自分を掘ることはとても大切。だって自分が何者なのか知りたいでしょう? 人と同じことだけして気づいたら一生が終わっていたなんて、そんな人生おもしろくないですよね。人生は長いんです。自分の道を一歩ずつ歩いていくのは大変なことではあるけれど、どんなに楽しいことか。今現在の若者と元若者、すべての人たちがそのことに気づいてくれたらと思っています。そのためにももっと自分本来の感性に目を向け、それを大事にしてほしい。そして死ぬまで「若者」でいてほしい。この本はそんな思いで書きました。
 読みながら、みなさんの中の「若者」にもう一度出会ってもらえたらと願っています。

1 9 5 9年早稲田大学卒業後N H K入局。アナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経て文筆活動に入る。著書に『鋼の女―最後の瞽女・小林ハル』『老いの戒め』『持たない暮らし』『家族という病』『家族という病2』『母の恋文』等多数。

青春と読書「本を読む」
2017年「青春と読書」2月号より

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