映画との出合い
 僕は漫画家ですが、とにかく昔から映画が大好きで、今でも映画館に出掛けたり、ビデオ店でレンタルしたりして、新作旧作にかかわらず、毎月かなりの数の作品を観ています。
 映画との出合いを振り返ると、おそらく小学生のころにテレビで観た『日曜洋画劇場』や『ゴールデン洋画劇場』が最初だったと思います。だから、クリント・イーストウッドといえば山田康雄だし、山田康雄の声でないとどうにも観ていられないという時期もありました。
 中学生になるとひとりで映画館に行くようになり、当時はホラーブームだったこともあって僕自身もすっかりハマってしまい、ホラー映画以外は観る価値なしというくらいにのめり込みました。なかでもジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』(一九七八年、米・伊)の影響が大きく、ゾンビ映画が大好きでした。
 僕は一九歳のときに東京に出てきたのですが、上京して真っ先にしたことがレンタルビデオ店の会員になることでした。そこで初めて借りたのが、ロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(一九八五年、米)です。友達が褒めていたから、どんな映画なのかもよくわからないまま借りて観たところ、これがもう衝撃でした。誰もが知っているSF映画の名作ですが、この映画が僕の漫画家人生に大きなインパクトを与えることになったのです。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の衝撃
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、マイケル・J・フォックス演じるマーティや風変わりな科学者のドクを筆頭にしたキャラクターの人物造形が秀逸で、脚本もいろいろなところに伏線がちりばめられています。どこをとっても手を抜いていないというのか、すべてにおいて穴がない。三〇年前にタイムスリップしたマーティが若き日の父と母の恋を成就させるために奮闘するストーリーはそれだけでもワクワクしますし、一度終わったように見せて、もう一度盛り上がりをつくる展開の妙も含め、人を楽しませることが徹底的に考えられている作品だと思います。
 最初にマーティが巨大スピーカーの音圧で吹っ飛ばされるシーンがあって、「センスがいい映画だな」と思っていたところに、今度はやたらとカッコいいクルマが登場する。しかも、デロリアンという名のこのクルマはなんとタイムマシンなのです。かつてこれほどクールなタイムマシンを見たことがなかったので、俄然テンションが上がりました。
 そのタイムマシンの描き方もすごく画期的でした。それまで観ていた映画だと、タイムスリップするときは周りの景色がぐるぐると回るだけで、マシン自体は止まっているという描写が多かったように思うのですが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンは、あるスピードを超えると車体が消えて炎の轍だけが残る。そこにとてもリアリティを感じました。
 また、タイムマシンに乗っている側の描き方も実によく出来ています。マーティの乗ったクルマがばっと消えて、納屋に突っ込んでいくシーンがあるのですが、そのときカメラはマーティの視点になっていて、あたかも自分もタイムスリップしたかのように、臨場感たっぷりの演出でした。

ハリウッド映画の虜
 それまで僕にとって映画と言えばもっぱらホラー映画ばかりだったので、世の中にはこんなにも面白いものがあったのかと、とてつもないカルチャーショックを受けました。当時は一四インチの小さなテレビで観ていたのですが、そこには誰も見たことがない夢の世界が描かれていて、クライマックスの場面では文字どおり画面にクギ付けになったことをよく覚えています。
 タイムスリップというSFの世界、言い換えればウソの世界に説得力を持たせるために、徹底的に考え抜いてつくられたストーリーと設定。まさしくエンターテインメントのひとつの理想形ともいえる作品と出合った僕は、いつか自分もこんな作品がつくりたいと思うようになりました。
 以来、急速にハリウッド映画に傾倒し、ジャンルを問わず面白い作品をレンタルビデオ店で一日一〇本くらい一気に借りてきては、ぶっ続けで観るという日々を送っていました。映画を観ないと呼吸ができないような感じで、そのころが人生で最も集中的に映画を観ていた時期だったと思います。
 とくに一九八〇年代後半から九〇年代にかけてはハリウッドの円熟期だったのか、わりとどの作品もアイデアが素晴らしく、とにかく観客を楽しませよう、先を読ませないようにしようという精神にあふれていたような気がします。
 人によって意見は違うでしょうが、僕は最も優れたエンターテインメント作品をつくっているのはやはりハリウッドだと思っています。そんなハリウッド映画のスタイルにどっぷりとハマるきっかけをつくってくれたのが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったわけです。
 大袈裟でも何でもなく、この映画がなければ今の僕の漫画のスタイルはありません。とくにストーリーのつくり方において決定的な影響を受けた一本でした。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』との出合いは、まさにその後の人生を変えるほどのインパクトだったといっても過言ではありません。

誰も観たことがないものを描くために
 現在、『週刊ヤングジャンプ』で連載している『GANTZ』は、漫画ではありますが、実はハリウッド映画の仲間に入りたくて描き始めた作品です。とはいえ、たんなるモノマネではまったく意味がないので、ハリウッドでもまだ誰もやっていないことをやってやろうという意識で描いています。
 ハリウッド映画は、いかに観客に楽しんでもらうかにこだわってエンターテインメントを追求しているため、脚本にしろデザインにしろ、そこでは次々と新しいものが生まれ、未知の刺激であふれています。そういったエンターテインメントの精神をハリウッド映画から学んだ身なので、自分が漫画を描くときも「これはどこかで見た」と言われるような表現はしたくありません。
 ハリウッド映画を浴びるように観ていたのは、漫画を描くうえで何かヒントを得たいからではなくて、あくまでも似ないようにするためであり、もっと言えば「誰も観たことがない世界を描くために映画を観続ける」のです。漫画家となった今でも、映画を多く観続けている理由のひとつは、実はここにあります。
 エンターテインメントの世界において、世界最先端・最新鋭の技術を用い、最高のスタッフを集結してつくっているのは間違いなくハリウッドです。つまり、僕が今まで見たことのないものを漫画で描けば、それはきっと世界で誰も見たことがないものになるに違いありません。「どこかで見たことある」では、読者は決して驚かない。ハリウッドの後追いをやっていることがいちばんカッコ悪いと思うので、ハリウッドですらまだやっていないことを漫画の中で表現したいのです。
 ただ、残念ながら、漫画と映画を比べたとき、表現のスケールという点では敵わない部分が多い。もちろん漫画ならではの利点もあって、現実にありえないシーンを映像化しようとしたら、莫大なお金と労力を費やしてコンピューター・グラフィックス(CG)でつくることになりますが、漫画だと自分で描いてしまえばいい。そういった小回りのよさは漫画ならではの魅力だと思います。しかし、それでもやはり映画のほうが表現力は強いと言わざるをえません。
 映画は、画面が動きますし、サイズも大きくて迫力がある。なおかつそこに音楽がついて、俳優の演技も入る。まさに総合芸術と言われるだけあって、目の前で本当に起こっていると思わせる力、そこにリアリティを感じさせる力は映画のほうが圧倒的に優れています。僕自身も漫画を描いているときに、ここで音楽を流せればなあとか、実写で空撮ができたらなあと思うことはしょっちゅうですから、その点は本当に羨ましいかぎりです。
 では、絵は動かず音も出ない漫画が映画に対抗していくにはどうすればいいのか。重要なのは、ファースト・インプレッションです。誰も見たことのないものを最速で見せることだと僕は思います。これまで見たことがないものを見たら、たいていの人は驚きます。そこで読者の心をグッと掴み、引き込んでいくのです。でも、もし映画でも同じことを同じタイミングでやったら、間違いなくそっちに軍配が上がるでしょう。だから、どこよりも最速で見せる必要があるのです。

『インデペンデンス・デイ』の巨大感
 先ほど『GANTZ』は、誰も見たことがないものを見せようと思って描いていると言いましたが、あまりにも好き過ぎて、影響を否応なく受けてしまっている映画がいくつかあります。そのひとつが、ローランド・エメリッヒ監督の『インデペンデンス・デイ』(一九九六年、米)です。
 いわゆる宇宙人侵略ものですが、この作品がほかとは違って異質な魅力を放っているのは、高度な科学力を持つ異星人が全世界規模で、力ずくで侵略してくるところではないでしょうか。
 ある日、謎の巨大物体が接近しているとの報せがホワイトハウスに入り、その正体が月の四分の一の大きさにもなる超巨大宇宙船を母艦とする大船団だと判明します。世界中の主要都市の上空に次々と宇宙船が現れ、みながパニックに陥るなか、突然、人類への一斉攻撃が始まるのです。たちまちのうちに廃墟となる都市、為す術もなく逃げ惑う群衆。八〇〇〇万ドルという巨額の製作費が投じられただけあって、そのスケール感にはただただ圧倒されるばかりでした。あれだけの巨大感を演出した作品はそれまで観たことがなかったですし、今もまだ超えられていないのではないかと思います。
 僕が勝手にスティーヴン・スピルバーグ版『インデペンデンス・デイ』だと思っている『宇宙戦争』(二〇〇五年、米)も、莫大な製作費をかけただけあって観るべきシーンはたくさんあるのですが、残念ながら追い越すまでに至らなかった。『アバター』(二〇〇九年、米)のVFX(視覚効果)チームが手掛けたことで話題を集めた『スカイライン 征服』(二〇一〇年、米)も、いまひとつ物足りませんでした。
 ちなみに、この『インデペンデンス・デイ』は、映像表現はいいとしてストーリーに関しては賛否が分かれるのですが、僕にとってはそれもツボでした。たしかに脚本的な穴はあります。
 ラスト近くでジェフ・ゴールドブラムとウィル・スミスのふたりがMacのノートPCを持って敵母艦に突入し、コンピューターにウイルスを仕掛ける場面は、「えっ、それでいいの!?」と誰しもツッコミたくなると思います。
 ただ、僕個人としては、敵の陣地に飛び込んですべてを倒して還ってくるシーンは、子どものころに観ていたテレビアニメ『無敵超人ザンボット3』のラストと似ている気がして、とても盛り上がりました。『ザンボット3』は、『ガンダム』シリーズで知られる富野由悠季さんがつくったアニメです。とても好きなアニメだったので、子ども心にSFアクションのラストはこうじゃなくちゃいけないというすり込みがあるのかもしれません。
 また、登場人物が多いため、ひとりひとりのエピソードがすこし薄いのではないかという声も聞きますが、要所要所に忍ばせた伏線はきっちり回収されていますし、人物ドラマとしてもそう悪い脚本ではないと思います。例えば、ウィル・スミス演じるパイロットが憧れ続けた宇宙飛行士への夢を意外な形で叶えるシーンや、敵母艦への攻撃を終えて帰還してきたふたりが葉巻を吸いながら歩いてくるところや、「花火を見せてやるって約束したろ」と言って空を見上げるラストなど、名場面は多い。主人公コンビのキャラクターもよかったですし、エイリアンに誘拐されたおじさんの最期はすごく好きなシーンです。

僕なりの『インデペンデンス・デイ』を
 ウィル・スミスがエイリアンを殴って気絶させたり、大統領が自分で戦闘機に乗って戦ったり、思わずツッコミたくなるような荒唐無稽なシーンもありますが、それもすべては映像の圧倒的な説得力やリアリティがあってこそ成立しているのだと思います。
 臨場感のある情景をつくることは、映画においても漫画においても非常に重要なことで、僕が作品を描くときにも強くこだわっているポイントです。臨場感があると、読者の感情移入の度合いがかなり違ってきます。だから、『インデペンデンス・デイ』に対しては、つくり手としても妙に意識してしまうところがあって、実は『GANTZ』のカタストロフィ編は「僕なりの『インデペンデンス・デイ』をやりたい!」という挑戦でもあるのです。僕にとっては、そのくらい理想の映画です。

SFとは「サイエンス・ファンタジー」である
 本書では、僕が今まで観たSF映画の中からとくに面白かったもの、あるいは影響を受けたものについて取り上げていきます。映画はジャンルを問わず大好きなのですが、今回はSF映画に絞りました。自作の漫画とリンクすることも多く、僕自身、もっとも観ているジャンルだからです。  序章の最後となりますが、一応SF映画というものを定義しておきたいと思います。尊敬する藤子・F・不二雄先生は、SFを本来の「サイエンス・フィクション」ではなく、「すこし・不思議」と名付けていました。僕も、それに倣うなら、SFとは「サイエンス・ファンタジー」だと思います。だから、単純に「ありえないことが起こっている」のであれば、その映画は正しくSFです。