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多様性を考える言論誌[集英社クォータリー]kotoba(コトバ)
 
本能行動の獲得は自然選択説では説明できない 池田清彦(生物学者)

『昆虫記』には昆虫のもつ本能の巧妙さが、繰り返し何度も描かれている。
本能は実に不思議な働きをする。ファーブルが観察した本能行動の事例をもとに、
生物学者・池田清彦が「ファーブルのダーウィン進化論批判」について語った。

 ファーブルは膨大な数の昆虫の観察を通じ、驚くべき「昆虫の本能行動」を記録しました。本能行動とは「外部の刺激に対して引き起こされる、学習や思考によらない行動」のことです。一八五九年に『種の起原』を著したチャールズ・ダーウィンは「本能も自然選択により進化していく」と考えたのですが、ファーブルはその主張を一貫して否定し続けました。ファーブルは、「本能は学習でも習慣でもなく、生得的に取得していて、厳密に決まっているものである」と考えたのです。
 昆虫の観察を積み重ねてきたファーブルは、「生物は生きていくのに都合のいい本能行動を長い時間かけて徐々に獲得し、その性質をもつ子孫が自然淘汰によって生き残った」というダーウィンの主張に違和感を覚えました。そして『昆虫記』に、次のように記しています。

 私は、「ハチは知っている、わきまえている」といったけれど、本当はこういうべきであろう、「ハチはまるでもとから知っており、わきまえていたように振舞う」と。ハチの行為はすべて霊感に基づいている。虫は、自分のしていることを少しも理解せずに、ただ自分をせきたてる本能に従っているのである。それにしても、この崇高な霊感はいったい何に由来するのか。遺伝説、自然淘汰説、生存競争説は、それを合理的に解釈できるであろうか。
(『完訳 ファーブル昆虫記』第一巻下)

 そしてファーブルは『昆虫記』の中で、折に触れてダーウィンの進化論批判を展開します。

 難問が迫ってくると、あなた方進化論者は、何世紀という時間のなかに逃げ込んで雲隠れしてしまう。空想力の及ぶかぎりの大昔の暗闇のなかに退いてしまうのである。
(同書第二巻上)

 ただ、昆虫はすべて本能行動に従っているのかというと、そういうわけではありません。たとえばチョウはさなぎから成虫になると花の蜜を吸いに行きますが、このとき最初に採蜜した花の色を覚えています。そして二回目以降も、同じ色の花を探すようになるのです。
 春先に菜の花の近くで生まれたモンシロチョウは、黄色い花の近くに行けば必ず蜜が吸えることを覚えます。モンシロチョウの成虫の期間は二〜三週間程度ですので、花の季節よりも寿命のほうが短い。蜜が吸える花の色を覚えておけばずっと食事にありつけるので、チョウは学習していくのです。
 チョウからすれば、蜜を吸える花の色を覚えることは最小の努力で最大限の成果を挙げることになります。その戦略がうまくいかなくなると──つまり蜜を吸うことができなくなったら、今度は蜜を採ることができる別の花を探し、その色を覚えます。後天的な学習行動は本能を補完し、環境に適応しやすい状況をつくる上で、大きな意味をもってくるのです。
 ただし、昆虫もいくら学習することがあるとはいえ、すべての行動から考えると、その割合は微々たるものでしかありません。昆虫の行動の大部分は、本能によって決められている──つまり「生まれつき決められたことしか実行できない」と言ってもいいでしょう。
 人間の場合は、学習によって行動を後天的に変化させられるので、同じ刺激を受けたとしても、どのような行動を取るかは人によって変わってきます。しかし昆虫は脳が小さいので、学習によって新しい神経回路をつくり出す余地がほとんどありません。だから外部から刺激を受けたときの行動は、どの個体も同じようになります。これは昆虫が先天的な本能行動に支配されていることの証と言えるでしょう。

ナルボンヌコモリグモの消える本能

 こうした昆虫の本能行動を、多くの人は生まれながらにもっているものであると同時に、一生変わることはないと考えています。しかし、昆虫の世界は我々が考えているほど、単純なものではありません。昆虫の中には、私たちの思い込みを打ち砕くような、驚くべき行動を示すものが存在します。昆虫の不思議な本能行動についての面白いエピソードを、いくつか紹介しましょう。
 まずは「ナルボンヌコモリグモの木登り」です。ナルボンヌコモリグモは徘徊性のクモで、メスが背中に子どもを乗せながら育児をすることで知られています。ファーブルはこのクモの本能が、一生のうち一度だけ大きく変化することを発見しました。
 その変化が現れるのは、母グモの背中の上で育った子グモが、母親のもとを離れるときです。保護期間が終わり母グモの背中から降りた子グモは突然、高い場所へ登ろうとします。ナルボンヌコモリグモがこの「登攀の本能」を発揮するのは、そのときだけです。それ以降は、再び地上での生活に戻ります。この行動をファーブルは、『昆虫記』第九巻に記録しています。

 このクモにおいては、旅立ちの時期に、ひとつの本能が突如として現われるわけだ。それは数時間ののち、出現したときと同じように突如消えてしまい、二度とふたたび現われることはない。その本能とはすなわち、上へ上へと登ろうとするものであって、これは成長したクモにはない本能であり、住居を定めず長いこと地上をさまようことになる解散後の子グモにおいて、すぐに失われてしまうものである。     (同書第九巻上)

 一生のうちに、ほんの一瞬しか現れない行動は、はたして本能と呼べるのでしょうか。かといって、ナルボンヌコモリグモの子グモは、母親から高いところに登る方法を教えてもらったわけではないので、学習行動とも違います。なぜナルボンヌコモリグモにこのような習性があるのかはわかっていませんが、昆虫の不可思議な本能行動のよい例と言えるでしょう。

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池田清彦(いけだ きよひこ)

生物学者、評論家。一九四七年、東京都生まれ。構造主義を生物学に当てはめた「構造主義生物学」を提唱。その視点を用いた科学論、社会評論等も行っている。『「進化論」を書き換える』(新潮文庫)、『進化論の最前線』(インターナショナル新書)など著書多数。