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多様性を考える言論誌[集英社クォータリー]kotoba(コトバ)
 
方言分布図でたどる日本の心 第1回 オマンコ・チンポを学問する【前編】 松本 修(テレビプロデューサー)

女陰を表す言葉はなぜ大っぴらに口にできないのか─。
この連載では、テレビプロデューサー・松本修が
膨大な調査をもとに作成したさまざまな方言の分布図から、
言葉に秘められた日本人の心を読み取る。
人気テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』で徹底調査・作成した
「全国アホ・バカ分布図」で、学者をも驚かせた松本が、
「女陰」と「男根」から新たな言葉研究の旅に出た。

全国アホ・バカ分布図から四半世紀

 私は立命館大学文学部宛で、若き女性研究者・石上阿希氏に、真心こめて手紙を書きました。私の「女陰」「男根」の研究が、上方の文献を探し出せないことで、最後の行き詰まりを見せていたからです。


 初めまして、松本修と申します。  石上さまの博士論文の審査に参加した、見上崇洋の古い友人の一人です。
『日本の春画・艶本研究』(平凡社)を拝読して、石上さまのことを知りました。ご研究に懸けられている、素晴らしい姿勢、いっぺんにファンになりました。
 不躾ながら、きょうはお伺いしたいことがあって、お手紙を差し上げました。それは、「オマンコ」類についての、上方における古い文献の存在の有無についてであります。
 石上さまは、まさに青春のエネルギーのすべてを懸けて、研究に打ち込んでこられました。春画・艶本の民間大研究家(民俗学の柳田國男と同じですね)であった林美一氏が立命館大学にすべてを遺贈された膨大なコレクションの整理をきっかけとして、研究を開始されました。世界中に散らばる多くの諸本にも目を通して文献学的研究を重ねてこられた、世界的権威と感じております。一度お教えいただけたらと、ずっと願っておりました。
 私は大学卒業後、朝日放送に勤務し、二九年前、自ら企画した『探偵!ナイトスクープ』というテレビ番組に今なお携わっております。四半世紀あまり前「アホ」と「バカ」の境界線はどこにあるか、という調査をきっかけに、「全国アホ・バカ分布図」(図1)を作って放送し、大きな反響を呼んだことがあります。方言の教えを乞うた大阪大学の徳川宗賢先生から、「学会で発表しませんか?」、「本にして残した方がいいですね」とのご提案を受け、いずれも実現させました。一九九〇年代前半のことです。
 日本の本土方言の多くは、明治維新まで一〇〇〇年以上、文化の中心地だった首都・京都で流行りすたりした言葉です。京ことばは、あたかも小石を池の水面に投げると、波紋が円を描いて広がっていくように、じわじわと地方に広がっていきました。これはヨーロッパの学問の影響を受けた柳田國男によって、昭和初期に発見された法則で、柳田自身によって「方言周圏論」と名づけられました。そのような分布の形を「周圏分布」と言います。
 言葉が広まったスピードは、一年間に直線距離でほぼ一キロ。京の古い言葉ほど東北の北部や九州の西南部など遠隔地に残り、新しい言葉は近畿に留まっています。
 方言が描く、京都を中心とする円は、柳田國男が自ら発見した「カタツムリ」の名称の方言の五重の円が唯一最多の円であると、六〇年もの間信じられていました。しかし、私たちの娯楽番組が戯れに「アホ・バカ」方言を調べてゆくと見事なばかりに一八周にも達するきれいな円を描いていることが分かって、学界を驚かせてしまったのです。学界では、かつて誰もこんな「バカ」な言葉の研究をした人はいなかったのです。対面調査でなく、通信調査の有効性も、再認識されました。この「アホ・バカ」調査に勢いを得て、私は番組とは関係なく、独自に数百の語彙や文法の方言アンケート調査を、全国すべての市町村(当時は平成の合併前で、三二六一)の教育委員会に向けて行いました。まだパソコンのない時代で、集計にはたくさんの学生(約二〇名。ほとんどが神戸大学の女子学生)を自費で雇って、五年がかりで行いました。
 こうした作業の結果、新たに分かった日本語の真実を少しずつ論文の形で発表しておりましたが、テレビ制作部長になったころから仕事がますます忙しくなり、研究は中断せざるを得ませんでした。
 約一五年の歳月を経て研究を再開しました。六五歳にて朝日放送の勤務と大阪芸術大学教授職から解放されたことが契機となったのです。
 最初に「女陰」「男根」から始めることにしました。「アホ・バカ」の次に世に問うべきはこれだ、という長年の強い思いがあったからです。
 そこで本題に戻ります。上方で生まれたはずの「オマンコ」が、上方の古い文献からは、まだどの言語学者によっても、一例すら発見されていないのです。「チンポ」の場合は、ルーツがどこから来たのか不明です。いまだ公開されず、私たち一般人が目にすることのできない、中世や近世初期の、特に「上方」の春画・艶本も多数お読みになっておられる石上さまなら、京の早い時期の「オマンコ」や「チンポ」の原形を発見されているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。


 このような筆致で、私は石上さんへ手紙をつづったのでした。

「女陰」方言のきれいな円

 そのしばらく前の一一月五日、学生時代から仲のよかった友人で行政法の学者である見上崇洋から親愛の情のこもった「お誕生日メール」をもらいました。私はすぐにお礼とともに、「今は、雑誌に発表すべく『オマンコの分布の謎』について研究しています」と応答しました。すぐに返事がきました。
「そういえば、大学に入って最初にクラスコンパをやったときにその話題が出て、『オマンコ』と『オメコ』の境界は? というような話になったのを覚えている」 
 私はその宴会に参加したはずなのに、まったく記憶がありません。
「それで、どういう展開になったの?」「さて、関ケ原あたりで言葉が変わるのではないかと想像した気もするが、詳しくは覚えていない」
 当時法学部に女子学生は極端に少なく、クラスメートは全員男でした。私たちのクラスは三九名と少数でしたが、関東から九州まで、各地の男たちが集まっていました。男同士親しくなるための話題のひとつが、それぞれの出身地の女陰の呼び名だったのでしょう。私は四八年も前の、若きクラスメートたちの抱いた疑問に、今ようやく立ち向かおうとしているのです。
 さらに私は見上氏に聞きました。
「この言葉を勉強するために、春画の詞書(画に添えられたセリフなど)や艶本に詳しい人に、教えを乞いたい。石上阿希さんを、あなた知っている?」
「もちろん! ぼくが副総長のとき、審査のために博士論文を読んだ。よく書けていると思った」
 彼は数年前まで立命館副総長を務めていました。そして彼らによる判定の結果、石上さんは、日本の春画・艶本の研究によって、世界で初めて博士号を取得したのです。
「ぼくは石上さんに、手紙を書きたいと思っている。その際、あなたの名前を出してもいいですか?」
「お役に立ちそうなら、どうぞ」
 こうして、私は冒頭の手紙を書くに至ったのです。
 この「女陰」「男根」言葉は、「消滅の危機に瀕する」方言のひとつとして、文部科学省のバックアップのもと、東北大学教授の小林隆氏をリーダーにして、二〇〇〇〜二〇〇二年に調査された(私と同じ、全国市町村の教育委員会への郵送によって)数多くの語彙の中に含まれ、そのデータは早くも二〇〇三年に報告書として公開されました。
 この成果はさまざまな研究者に活用されています。「女陰」については『方言研究の前衛』(二〇〇八)に、中井精一氏の研究報告があります。ただしここでは、研究のテーマも異なり、言葉それぞれの分析や伝播順位などは、いっさい示されていません。
 図2をご覧ください。これは私が、一九九一年に集めた資料で作成した「女陰分布図」です。回答者の多くは当時五〇代以上。地元の年配者による回答を求めました。現代のようにマスコミに毒されることの少なかった、戦前に育った世代です。それだけに、歴史的な方言としての資料的価値はきわめて高いものと思われます。
「女陰」も、ほかの多くの言葉と同様、京を中心にきれいな多重の円を描いて分布していました。誰が見ても周圏分布は明らかです。
「女陰」について、本土に限って、遠隔地から見てみますと、「ダンベ」「マンジュー」「ヘヘ」「(オ)マンコ」「チャンベ」「メメ」「オメコ」「オソソ」などが、京を中心に円を描いて分布していることが分かります。ほかに少数ですが「ツビ」「ヤチ」「サネ」「チャコ」などもあります。これらもすべて京を取り囲んで分布するところから、「アホ・バカ」に近い「多重周圏構造」をなしていることは否定しようがありません。
 たとえば東北に数多い「マンジュー」は、九州南部の「マンジュー」と一致し、「ボボ」も北関東・甲信越と、九州に濃厚に分布しています。また関東の「オマンコ」は、高知県全域など四国中国の「オマンコ」と同一です。いずれも京を中心に円を描いています。「オマンコ」は一般に、江戸・東京のオリジナルかと勘違いされていますが、それはまったくの誤りで、やはり京生まれであったのです。
 私は、こうした方言の生成と伝播について考察を試み、日本人の造語に当たっての心性を明らかにしていきたいと思うのです。

『日葡辞書』の京ことば、ボボ

 ポルトガル人のキリスト教宣教師たちが日本人信者の協力を得て作り上げた『日葡辞書』(一六〇三〜〇四)を見てみましょう。『日葡辞書』は、当時の首都・京都の言葉を、三万二八〇〇語も採用してポルトガル語で説明しています。京の卑語・俗語もたくさん拾い上げられていますが、それは京の庶民に布教するためや、庶民の懺悔を理解するためにも必要だったからです。ポルトガル人宣教師のおかげで、京都の言葉が永遠に残されました。『日葡辞書』こそ、当時の標準語であった京ことばを知るための、必須の典籍なのです。
『日葡辞書』には、女陰語はいくつもあって、次のように書かれています(『邦訳日葡辞書』による)。

ボボ(ぼぼ) 女の陰部。婦女子の使う言葉。
ツビ(開)  女子の陰部。卑語。
ソソ(そそ) 女の陰部。
ヘヘ(へへ) すなわち、女性の 陰部。

 女性の陰部を表す言葉が四つもあります。新旧の言葉が、その交代の時期を控えて、混在していたのです。この中で「ツビ」がいちばん古く、『十巻本和名類聚抄』(九三四年頃)に初めて現れます。紫式部や清少納言もまだ生まれていない時代です。そんな古い「ツビ」が、都で捨て去られようとして「卑語」と貶められているのは、印象深いところです。
 これに対して「ボボ」は新語だったのでしょう。わざわざ「婦女子の使う言葉」と書かれているのは、当時の女子供が周囲をはばからずに誇らしく使うことのできた、きれいな言葉だったからでしょう。『日葡辞書』で「婦女子の使う言葉」とされる語は、女房詞(御所ことば)と考えられています。まず宮中の憧れの女官が使い始めて、やがて市中に広まっていった、最高に品格ある表現なのです。
「ボボの意味の分布図」(図3)をチェックしましょう。西日本では、歴史の闇に消え去っていますが、東北の秋田県を中心とする地域や新潟県などでは、「ボボ」は「赤ん坊」を意味しています。もっと南、岐阜県飛?地方に残る「さるぼぼ」は、猿の赤ちゃんの人形として、全国に知られています。この地域ではもちろん「赤ん坊」は「ボボ」と呼びます。
 これらの内側の地域、すなわち京に近い地域では「ボボ」は「女陰」の意味に変わっています。「ボボ」、すなわち「赤ん坊」が生まれるところだから、御所に仕える女房たちによって、新たに女陰は「ボボ」という呼び方を与えられたのでしょう。

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松本 修(まつもと おさむ)

テレビプロデューサー。一九四九年、滋賀県生まれ。京都大学法学部卒業後、朝日放送入社。『ラブアタック!』(七五年)、『探偵!ナイトスクープ』(八八年)など数々のヒットテレビ番組を企画・演出・制作する。著書に『全国アホ・バカ分布考』(新潮文庫)、『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』(ポプラ文庫)ほか。