▲先頭に戻る
多様性を考える言論誌[集英社クォータリー]kotoba(コトバ)
 
見えないタブーを明らかにする 中島岳志(政治学者)

政治学者の中島岳志が、自身の作品を書くうえで大きな影響を受けたという
『ミカドの肖像』『テロルの決算』『放送禁止歌』。見えないタブーの仕組みや
当事者の内面に寄り添う姿勢を、三作品から読み解く。

 私は二〇〇五年に、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水Uブックス)というノンフィクション的な作品を上梓しました。この本の主人公であるラース・ビハーリー・ボース(一八八六〜一九四五年)は、過激派としてイギリス植民地政府に母国インドを追われ、一九一五年に日本に逃れてきました。インドの急進的革命家であると同時に、戦前の日本の陸軍に協力した活動家としても知られています。
 私は二〇歳のときにボースという人物を知り、興味をもちました。ただ、彼について調べていくうちに、当時の論壇の右派・左派どちらも、ボースの苦悩や挫折を掬いとれていないと感じました。当時の歴史観では、左派から見るとボースは「日本の帝国主義に寄り添った革命家」で、右派にとっては「アジア解放の思想を正当化するのに都合のいい人物」でした。こうした見方は、ボースが抱えた複雑な思いや悲哀を、正しく受け止めているとは言えません。そこで、左右の図式的な歴史観に収まらないボース像を描こうと思って書き上げたのが、『中村屋のボース』という作品でした。
 同書をノンフィクション的な手法で書くうえで大きな影響を受けたのが、猪瀬直樹の『ミカドの肖像』です。『ミカドの肖像』のおもしろさは、「ミカド」が主題であるにもかかわらず、天皇自身は作品に登場しない点にあります。
 この作品は、皇居付近に建設された「東京海上ビル(東京海上日動ビルディング本館)」の話から始まります。東京海上ビルは、一九一八年に完成した「東京海上ビルディング旧館」の建て替えとして、七四年三月に竣工しました。もともと高さ一二八メートル、地上三〇階で東京都に建築申請を行った東京海上ビルが、高さ九九・七メートル、二五階建てに制限されてしまった。天皇が命令しているわけではないのに、都政も国政も皇居を見下ろす高層ビル建築に反対し、結果として〈皇居の御文庫から仰角四・五度でずっと線を引っぱっていって、その線より下ならいい〉(『ミカドの肖像』小学館文庫)となったわけです。その力学の中に、猪瀬は「天皇をめぐる不可視の禁忌」を見いだしました。

 彼ら(引用者注:東京海上ビル建設担当者と設計者)の忘れられた冒険をいま掘り起こそうというのである。冒険とあえて表現したのは、禁忌に挑んだがためだった。計画が難航したのも、ビルの高さが当初の計画より低く押さえられたのも、すべて〝空虚な中心〟から発する奇怪な電波によって引き起こされた結果であった。そこで、電波の発生源を探し求めて歩くことになるのだが、追い詰めるとその都度、発生源は雲散霧消してしまうという不思議な現象にぶち当たった。
 僕は、それを天皇をめぐる不可視の禁忌と呼ぶことにする。(前掲書)

 この東京海上ビルの話題に続いて、原宿駅の皇室専用ホームの話が語られます。猪瀬は、緻密な列車ダイヤを作成する「スジ屋」と呼ばれる職人から、天皇・皇后・皇太后の専用列車である「お召列車」の三つのタブーについて聞き出します。

一、ふつうの列車と並んで走ってはいけない。二、追い抜かれてはいけない。三、立体交差の際、上を他の列車が走ってはいけない。(前掲書)

 もちろん、これらのタブーも天皇が命じたわけではありません。では、なぜ三つのタブーが必要だと信じられているのか。

宮廷ホームを警備していた原宿警察署のお巡りさんが首に手刀をあて、「なんかあったら、これだもんな」といった姿が思い浮かぶ。あたかも〝危険物運搬〟の責任を順送りに回していくように、早く手放さなければならない。なにかあったら、署長、警視総監、警察庁長官、はては総理大臣の進退にまでいく。国鉄の場合は、駅長、当該線区管理局長、国鉄総裁、運輸大臣、そして……というわけである。ドミノゲームのように責任体制は終わりを知らない。ミカドという、はかりがたい存在についての恐怖を、日本人は本能的に知りつくしている。(前掲書)

 この二つの話をプロローグとして、いよいよ本題の西武グループと皇族の問題に切り込んでいくわけですが、その入り方も実に巧みです。猪瀬は始めに「プリンスホテルとは何か」と読者の関心を引く問いを投げかけ、西武グループの創業者である堤康次郎が皇族の土地を次々と取得し、西武王国を築いていった経緯を明らかにしていきます。
 皇居付近の高層ビル、原宿駅の皇室専用ホーム、プリンスホテル──読者にとって身近な事象を出発点にして、近代天皇制という問題に引き込んでいく手法は、非常に新鮮であり刺激的でした。
『中村屋のボース』で、新宿中村屋の「インドカリー」から説き起こしているのは、『ミカドの肖像』から「読者を引き込む入口」の作り方を学んだことが大きいと思います。
 みんなが知っている「中村屋」を入口にして、そこからボースという人間やアジア主義の論理を書き込む。そういう描き方ができたのも、『ミカドの肖像』があったからです。

当事者の内面に寄り添う

 ノンフィクション的な手法という点では、沢木耕太郎の『テロルの決算』からも大きな影響を受けました。『テロルの決算』は、一九六〇年に起きた浅沼稲次郎暗殺事件のシーンから始まります。日比谷公会堂で演説をしていた社会党委員長・浅沼稲次郎のもとに、一七歳の右翼少年・山口二矢が短刀を握って駆け寄り、体当たりする。
 いったいなぜ、終戦から一五年を経た時代に、右翼少年がテロに走ったのか。一見、その行為は時代錯誤のようにも感じられます。沢木は、そんな二矢の内面を丁寧に描きながら、彼がテロ行為へと至ったプロセスや論理を詳らかにしていきました。
 二矢の父親は職業を転々としており、彼はそのたびに転校を繰り返していました。そのことが二矢の内面にも暗い影を落としていきます。

 転校を繰り返すことで深まっていた学校に対する違和感は、父親の防衛庁入りによって社会全体に対してまで拡大され、さらに深まった。学校への違和感は教師に対する反撥という形で表現されていた。だが、社会に対する違和の感情は、暗い苛立ちとなって沈潜していった。(『テロルの決算』文春文庫)

 この暗い苛立ちは、やがて「反共」という明確なかたちをもつようになります。〈彼には「強いもの、流行するもの」に対する反撥心が強かった。彼にとっては左翼こそが強者であり、流行に便乗するもの、と映っていく〉(前掲書)わけです。
 そんなときに、右翼活動家・赤尾敏の演説に衝撃を受けた二矢は、すぐに大日本愛国党に入党しました。しかし、しばらくすると「赤尾のやり方では手ぬるく、そんなことでは共産化は止められない」と感じるようになります。そこで二矢は赤尾のもとを飛び出し、左翼指導者をテロによって殺すことばかり考えるようになりました。
 二矢は殺害する目標を、労働運動家の小林武、日本共産党議長・野坂参三、そして浅沼稲次郎の三人に絞りました。最初は共産党の演説会が行われる一〇月一三日に、野坂を殺そうと決意します。しかし、前日の一二日に読売新聞の告知欄で、自民党・社会党・民社党による「三党首立会演説会」が、日比谷公会堂で開催されることを知りました。三党首というからには、間違いなく浅沼も登場するはずです。日比谷公会堂での演説会は一般にも公開されるので、自由に入場できる。その人々に紛れてテロを決行すれば、標的に達するのも不可能ではない。野坂よりもはるかに実行しやすいと考えた二矢は、殺害対象を浅沼に変更しようか迷いました。  それからの二矢の描き方が、特に秀逸です。彼はひとまず家を出て、池袋の西武デパートに入り、屋上に上りました。

この続きは本誌でどうぞ!

中島岳志(なかじま たけし)

政治学者、歴史学者。東京工業大学教授。一九七五年、大阪府生まれ。南アジア地域や近代政治思想史を研究するほか、政治・社会問題など幅広い分野で言論活動を行う。二〇〇五年、『中村屋のボース』(白水Uブックス)で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞を受賞。『アジア主義』(潮出版社)、『愛国と信仰の構造』(島薗進との共著、集英社新書)など著書多数。