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多様性を考える言論誌[集英社クォータリー]kotoba(コトバ)
 
「日本会議」と宗教ナショナリズム[対談] 島薗 進(宗教学者・東京大学名誉教授)×山崎雅弘(戦史・現代紛争史研究家)

七月に予定される参議院議員選挙を前に、日本最大級の右派政治団体「日本会議」の存在が今、注目を集めている。安倍政権の政策とその理念に符合が見られる、この組織の源流とはいったいなんなのか。
宗教学の泰斗と、気鋭の戦史研究家が、歴史的な文脈を踏まえつつ、宗教ナショナリズムと「日本会議」の結節点を探った。

「日本会議」は我々をどこに連れていくのか?

島薗 山崎さんの新刊『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)を拝読しました。現在の安倍政権と密接不可分な関係にある政治団体「日本会議」についての緻密な考察から教えられるところが多かった。戦史研究家としての今までの蓄積が存分に活かされていると感じました。
 一方、私のほうは、この春に『愛国と信仰の構造──全体主義はよみがえるのか』(集英社新書)を刊行しました。ナショナリズムなどの研究で知られる政治学者・中島岳志さんと宗教学、とりわけ近年は国家神道について関心を深めている私が、対談を重ねた新書です。
 この本のテーマは、宗教ナショナリズムです。現代の日本では、日本会議に代表されるような宗教ナショナリズムが静かに台頭してきています。そこで私たちが問うたのは、戦前のような宗教ナショナリズム、具体的に言えば「国体論」が、なぜ今、ふたたび、よみがえっているのか、という考察をしました。
 そして、今度、山崎さんは、宗教ナショナリズム運動の一番、有力な勢力である日本会議そのものに焦点を当てた本を出されるという。
 私は山崎さん独特の視点には以前から注目をしていました。今までの歴史家が気づかなかった視角を可能にする力を山崎さんはもっていらっしゃる。
 ですから、今日の対談をとても楽しみにしてきました。
山崎 ありがとうございます。よろしくお願いします。
島薗 さっそく本題に入りましょう。日本会議という団体をどう見るか。山崎さんと私が一致する見解は、日本会議が、戦前日本のナショナリズムを支えた国家神道ときわめて近い思想構造で、政治勢力を支えている、という点でしょう。
山崎 はい、おっしゃるとおりです。読者に向けて順を追って説明しましょう。
 日本会議とは、わかりやすく言うと「神道・宗教勢力」と「保守・右派勢力」が融合した政治団体です。二〇一二年の総選挙によって自民党は与党に返り咲き、第二次安倍政権が発足しましたが、この大勝利に際し、日本会議の組織力が大きな力を発揮しました。
 この事実は、今に至るまであまり報道されてこなかったのですが、日本会議の三好達会長(当時)は、誇らしげにこう言っている。「再び安倍政権を誕生させたのは『私どもの運動の大きな成果』だ」(二〇一三年四月七日の日本会議平成二五年度総会での主催者挨拶、『日本の息吹』平成二五年五月号より)と。
 選挙への協力だけではありません。安倍内閣の閣僚のほとんどが「日本会議国会議員懇談会」のメンバーです。安倍首相はもちろん、菅義偉官房長官、麻生太郎財務大臣、中谷元防衛大臣……。
島薗 内閣府特命担当大臣(規制改革担当)の稲田朋美氏も、日本会議との関係が深い閣僚ですね。
山崎 これほど政権に大きな影響力をもつ政治団体にもかかわらず、大手メディアもほとんど踏み込んだ報道をしてこなかった。

なぜ日本軍はかくも精神論に傾倒したのか

島薗 そのように注目されてこなかった日本会議に戦史研究をしていた山崎さんが興味をもつようになった。どのあたりがきっかけだったのですか。
山崎 太平洋戦争中の日本軍のことを調べていくなかで、彼らがなぜあそこまで人命を軽んじる、非合理的な決定を下せたのかということがずっと疑問でした。多くの論者の結論は、「兵站を軽視していた」「不利な情報を無視し、精神論への過剰な傾倒があった」などでした。
 しかし、なぜ情報や兵站を軽視し、合理性のない精神論に陥って人命を軽視するに至ったのか、という深層までは到達できていないように思いました。
 文献や史料を調べていくと、同じ大日本帝国憲法下であっても、日清・日露戦争の日本軍にはまだ合理性があり、情報も精査され、兵士の命を不当に軽んじるような無謀なことは行われていませんでした。しかし昭和以降に日本軍は突然変化していく。一方、諸外国の軍隊は以前に増して、近代的な合理主義を追求している。昭和の日本軍は、同じ時代の他国の軍隊と比べてきわめて異様でした。
 そのあたりを考えていると、戦前の国体論の影響の大きさをひしひしと感じざるをえなくなった。つまり、国体護持という絶対的価値の前に、人の命の価値がどんどん軽くなっていった。それが昭和の日本軍の姿だったと思うのです。
 そうした昭和の日本軍のありようと国体論に注目しているうちに、平成の現代に生きる自分の目の前で展開されている安倍政権や日本会議の動向が、その延長線上にあるのではないか、という仮説をもつようになったのです。
島薗 その問題意識は、よくわかります。

戦前の宗教ナショナリズムと日本会議

島薗 そして、ここにきて、ようやく日本会議に関する本の刊行が続くようになったわけですが、まだこの団体を仔細にどう見るかは視点が定まっていません。繰り返しになりますが、私と山崎さんの共通点は、戦前の宗教ナショナリズムとの繫がりで、日本会議を見ることが重要だと考えている点でしょう。
山崎 ここで私の仮説と、島薗さんと中島岳志さんとの対談『愛国と信仰の構造』の議論が重なっていくのだと思います。あの本では戦前の日本にも、現在の状況にきわめて近い構造があったことが指摘されていますね。
島薗 明治維新から敗戦までの七五年余と、敗戦から現代に至るまでの七〇余年がよく似たかたちで反復されているのではないかという構図で、日本の近代一五〇年を分析したのです。
 富国強兵に邁進した明治維新からの二五年と、戦後復興に力を注いだ一九七〇年あたりまでの戦後日本は興隆期。日清・日露戦争に勝利し「アジアの一等国」としての地位を確立した高揚期の二五年は、一九八〇年代のバブル経済で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれたころの日本に重なります。明治維新と敗戦からそれぞれ五〇年たったころから、戦前日本も戦後日本も停滞期に入ります。不景気が続き、生活基盤が破壊された人々は不安になり、政治そのものも劣化する。
 この最後の二五年の「停滞期」において、不安になった人々は、自分たちのアイデンティティを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。戦前では、国体論、天皇崇敬、皇道と言われるものに集約される。
 そして、今、我々の経験している「停滞期」について言えば、先の見えない不安の中で、従来自民党の支持層だった地方の農村など、地域社会を基盤にした層は弱まり、票もどんどん減っていく。そんななかでまとまった動員、まとまった票をどこへ求めるか。そのひとつの答えとして日本会議があったように思います。
山崎 この停滞期には、ちょうどオウム真理教事件のあった一九九五年あたりで突入しているわけですが、日本会議の設立もちょうどそのころ、一九九七年。実に象徴的です。

「日本を取り戻す」の日本は、どの日本なのか?

山崎 ここで、視点を変えて、自民党が好きなフレーズ「日本を取り戻す」とは、いったいどの日本なのか、ということを考えてみたいのです。
 私から見ると、彼らの回帰したい日本は、開戦前の国体論に熱狂した日本ではないか、と思うのです。
 日本会議の提唱する政治思想において、あらゆる問題認識の核心部分を占めるのが「天皇」という超越的な存在と、天皇中心の「国体(日本会議の論客が好んで使う言葉では『国柄』)」をどう保持するかということです。
 ですから、自民党が「取り戻す」と言う日本はいつの日本なのかということを精査していくと、まさに昭和の戦争期の日本だったことがわかります。
 戦前に文部省が発行した『国体の本義』(一九三七年)や『臣民の道』(一九四一年)は、いわば当時の日本の精神教育における重要な指針となったものですが、これらを読んでいると、日本会議が今、何を目指そうとしているかがよくわかります。
島薗 山崎さんは、一九三〇年代半ば、あるいは昭和初期あたりから、急速に国体論への熱狂が進んだあの時代を、日本会議や自民党が理想化しているというお考えですね。おそらくそのとおりでしょう。
 ただ、国民が天皇を神聖なものと感じ、天皇のために死ぬことが崇高なことだという価値観そのものが、いつ国民にインストールされたのか、という問題については、もう少し時代をさかのぼって見る必要があるように思います。
 どこまでさかのぼるのか。それは、つまり幕末・明治維新です。
 幕末から明治維新にかけての尊皇攘夷思想の中にもすでに、天皇のために命を捧げ、その名のもとに人を殺すこと、つまりテロリズムを正当化するような考え方がありました。
 たとえば、一八六三年には、靖国神社の源流とされる下関の桜山に招魂社が創設されています。当時は招魂祭とともに、楠木正成を祀る楠公祭も盛んに行われていました。楠木正成は『太平記』において、多勢に無勢の中、南朝に忠誠を誓って戦った人物で、その後天皇を中心とした国体論の重要なシンボルになりました。
山崎 そうですね。太平洋戦争末期に行われた特攻作戦にも、楠木正成の家紋にちなんで「菊水」の名がつけられていましたし、過去の事例をシンボリックに使う例は多くあったと思います。
島薗 明治維新で近代国家日本が始まる際に、二つのOSがインストールされたのだと思います。明治のエリートたちは「近代国家を創っていくには合理的な立憲主義が必要だ」というOSをもとに動いていた。しかし、哲学者の久野収さんの比喩を借りれば、「密教」、つまりエリートのあいだだけの暗黙の了解だった。
 一方、庶民に対しては、「天皇は神である」という神権的国体思想をインストールした。
 明治維新からすぐにそれが完全に普及したわけではないのですが、国家神道が、列強諸国のキリスト教に準じるかたちで国民の団結力を強めるために、大衆に「顕教」として広まった。
 明治維新から二十数年たち、日清・日露戦争に勝ったあたりから、神権的国体思想が、インストールを施した明治の元勲たちの予想以上に、庶民のあいだに浸透してしまった。その結果、「下からのナショナリズム」が暴走する軍部を支えたというのが戦前の大きな流れです。
山崎 日清・日露戦争の日本軍にはまだ合理性があった、という私の分析とも一致する話ですね。
島薗 近代的な立憲主義と信仰としての神権的国体論の両輪でやっていたはずが、結果的には神権的国体論が優位になっていく。国家神道的なOSの導入で、国民が天皇を神聖なものと感じ、天皇のために死ぬことが崇高なことだという価値観が国民に身体化されていく過程で、合理的な考え方や、冷静に、世界における日本の国力や立ち位置を分析するというような思考法を失っていったのではないでしょうか。
 一つ大きなきっかけになったのが、明治天皇の崩御に伴う乃木希典大将の自決です。その後、明治神宮ができ、急速に天皇の神格化が進んでいった。
山崎 それが明らかなかたちで完成したのが、昭和初期の、国体明徴運動でしょう。
島薗 そうです。
山崎 天皇を統治機構の一機関と見なす天皇機関説は、先ほど指摘された近代の合理的な立憲主義と、天皇が神の子孫であるといういわば「信仰」の領域を、かろうじて結びつけていました。しかし国体明徴運動はそれを否定して除去し、天皇を統治の主体として、いくらでも神聖視してよいという方向にもち上げていった。その結果、合理的な思考はいつしか失われ、最終的に天皇に話を結びつけさえすれば、どんな犠牲でも許されるという図式が、形式的に完成してしまいました。
島薗 そのようにして、戦前の立憲主義は消え去り、戦争の時代に突入していったわけです。先ほど説明したように、戦前の七五年と酷似した道を、戦後日本もたどっているとしたら、私たちはよほど気を引き締めて、今の時代を考えなくてはなりません。

GHQによる「国家神道廃止」と神道勢力の反撃

島薗 さて、戦争が終わり、国体論は影をひそめた、というのが、つい最近までの世間の見方でしたが、私自身はそうではない、と以前から考えていました。
 実際、静かに脈々と生きてきた。たとえば、ジョン・ブリーンというイギリスの歴史学者が『神都物語 伊勢神宮の近現代史』(吉川弘文館、二〇一五年)という著書で指摘していることですが、GHQによる占領終了後の一九五六年ごろから、伊勢神宮の国家的地位を認めさせるべく「神宮の真姿顕現運動」が起こります。この「神宮の真姿」は戦争中に使われていた「国体の真姿」から来ている言葉だとブリーン氏は言っています。
 これは、戦後のGHQが、国家神道の廃止と政教分離を命じた「神道指令」をひっくり返すための最初の運動だったわけですが、その後も、紀元節復興運動や、元号法制化運動が続いた。
 そして、今、安倍首相がやろうとしていることは、まさにその路線の上に乗ったものです。彼は、二〇一三年の伊勢の式年遷宮の際に、遷御の儀という一番のクライマックスの式に参列しています。現職首相の式年遷宮行列参列というと、一九二九年の浜口雄幸首相以来の出来事です。
 国家と神道の問題で言うと、靖国神社のことばかりが大きく報道されますが、伊勢神宮こそ、国家神道における最高位の施設です。その文脈で、G7伊勢志摩サミットも捉える必要があります。
山崎 GHQの「神道指令」に対する神社界からの反撃の流れは、現在の日本会議の源流として非常に大きな影響をもっていると思います。
 神社本庁傘下の神社新報社が一九七一年に出版した『神道指令と戦後の神道』を読むと、「神道指令」という「強制」によって日本が「洗脳」され日本の伝統が破壊された、という表現が繰り返し出てきます。
「GHQにより洗脳された日本人」という言葉は、戦後の神道界やその流れを汲む日本会議などいわゆる「保守派」の政治家や論客、それに共感する一般市民が好んで使うキーワードです。これはGHQの「洗脳」の象徴としての「日本国憲法」への拒絶反応や、その被害者意識にもとづく「改憲」運動にも繫がっています。
 念のため、神社本庁についても説明しておきましょう。日本各地の神社を束ねる神社本庁は、庁とはつくけれども、公的な機関ではなく民間の宗教法人です。
 ただし、神社本庁は戦前の内務省の外局・神祇院の役割を限定的に引き継ぐかたちで、神祇院の廃止翌日(一九四六年二月三日)に誕生した。ここは大事なポイントです。
 神祇院は軍事組織ではないので、直接的な戦争責任は問われませんでした。しかし、彼らは「国民の戦意高揚と戦死者の顕彰(礼賛)」というかたちで戦争に加担し、精神面で重要な役割を果たしていました。ところが、神社本庁の出版物を見ても、戦前・戦中の歴史についての反省がないどころか、自分たちが負けたという認識が欠落している。神道指令によって一時的に邪魔をされているが、それを取り払い、神道指令の永続化を目論んだ日本国憲法を破棄さえすれば、戦前の国家神道の社会的地位を取り戻せるはずだ。そんな幻想を抱いているように見えるのです。
 そうした情念が、神社本庁の視点を通して見たときの日本会議の姿と思えるのです。

この続きは本誌でどうぞ!

島薗 進(しまぞの すすむ)

宗教学者。東京大学名誉教授、上智大学大学院実践宗教学研究科教授、グリーフケア研究所所長。日本宗教学会元会長。1948年、東京都生まれ。専門は日本宗教史。主な著書に『国家神道と日本人』(岩波新書)、共著に『愛国と信仰の構造』(集英社新書)など。

山崎雅弘(やまざき まさひろ)

戦史・現代紛争史研究家。1967年、大阪府生まれ。雑誌『歴史群像』『歴史人』等に戦史の分析研究記事の寄稿多数。昨年刊行された著書『戦前回帰』(学研マーケティング)は高い評価を受け、膨大な史実のデータをもとに現代日本を分析する注目の書き手の一人である。

● 山崎雅弘著『日本会議 戦前回帰への情念』(760円+税)が集英社新書より7月15日に発売予定。 中島岳志、島薗 進著『愛国と信仰の構造──全体主義はよみがえるのか』(780円+税)が集英社新書より好評発売中。