集英社新書
『江戸っ子の意地』

定価:735円(税込)
ISBN978-4-08-720592-3


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『江戸っ子の意地』

一夜にして、歴史の敗者となった幕臣たち。
しかし彼らは、「明治の東京」を逞しく生き抜いた!
俺たちは「薩長の使い捨て」じゃない!

 徳川幕府が倒れた明治維新。それは、時代劇でお馴染みの与力や同心たちなど、大量の徳川家家臣=幕臣たちの失業を意味した。しかし彼らは、そのまま負け組として消えてしまったわけではない。新政府への反骨を胸に秘めながら、政界、言論界、実業界などで多くの「元幕臣」たちが頭角を現し、日本の近代化を下支えしていく。そして明治中期には、自分たちを育んだ「江戸」を後世へ伝える活動を立ち上げるのだ。
 薩摩・長州藩を主役とする従来の歴史叙述では描かれることのない、新たな幕末維新史。

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プロローグ もう一つの無血開城

 慶応四年(一八六八)五月二三日、午前一〇時。
 現在のJR有楽町駅のすぐ前にあった江戸南町奉行所において、旧幕府(徳川家)から新政府(官軍)への町奉行所引き渡しが、まさにおこなわれようとしていた。かつては、大岡越前守忠相も役宅としていた江戸町奉行所「無血開城」の日である。
 町奉行所内では、官軍に引き渡すことに反対意見もあったが、最終的には抵抗せず明け渡すことに一決する。最後の南町奉行佐久間信義が町奉行所を代表して、官軍からの使者を出迎えた。使者のなかには、明治七年(一八七四)に佐賀の乱で処刑される佐賀藩士江藤新平の顔もあった。
 続けて、JR東京駅近くにあった北町奉行所も引き渡された。最後の北町奉行は石川利政。この日、両町奉行は奉行所を去る。
 同年七月一七日、江戸は東京と改められた。八月一八日に、東京都庁の前身東京府庁が開庁となり、九月二日、与力・同心の名称が廃止される。ここに、いわゆる〝八丁堀の旦那衆〟は歴史からその姿を消す。
 そして同八日、元号が明治と改元された。一〇月一三日、明治天皇が江戸城に入る。江戸城は皇居と定められ、東京城と改称された。江戸城はこの日、名実ともに明治政府に明け渡されたのである。

 西郷隆盛と勝海舟が主役となった江戸城明け渡しは、あまりにも有名な出来事である。しかし、官軍に引き渡されたのは江戸城だけではない。江戸にあった旧幕府の各施設も引き渡されている。
 江戸の市政を預かる町奉行所もその一つだ。江戸っ子にとっていちばん身近な存在である町奉行所の明け渡しとは、政権交代の現実を何よりも思い知らされる出来事だったに違いない。
 だが、江戸城明け渡しにひきかえ、江戸町奉行所明け渡しという出来事が幕末維新史で語られることはほとんどない。まして、その後の町奉行所与力・同心たちの動向など、歴史の闇に消えてしまっている。その理由とは、いったい何か。
 何といっても、江戸城明け渡しを境に、江戸から明治へと歴史が移り変わるという従来の歴史叙述の方法に最大の問題がある。これをもって明治維新が達成され、以後、明治政府による近代化が進められるというお決まりのパターンだ。歴史教科書では定番の記述である。そこでは、江戸城を明け渡して下野していった幕臣、つまり徳川家の家臣たちが歴史の敗者として転落していった姿が描かれることはない。
 拙著『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)では、そんな歴史叙述の問題点を踏まえながら、従来、光が当てられることのなかった明治維新後の幕臣の姿を追いかけた。江戸城明け渡し後、静岡に移住した幕臣たちが苦難の生活を強いられた様子を明らかにしたが、彼らはそのまま歴史の闇の中に消えていったわけではない。敗者としての誇りを持ちながら、明治という時代を生き抜いていた。
 本書では、このなかで十分に取り上げることのできなかった、そんな幕臣たちのポジティブな姿に光を当てる。明治を生きた幕臣の姿を掘り起こすことで、新たな明治維新史の構築を試みたい。

 さらに本書では〝東京と改称させられた江戸〟にも焦点を当てる。既述したように、江戸城以上に江戸っ子にとって身近な存在だったのが町奉行所である。江戸市政を担った与力・同心たちも幕臣(御家人)であり、彼らも奉行所と同じ運命を辿ることになる。
 明治新政府は町奉行所に代って東京府庁を開庁した際、そのまま与力・同心たちを府の役人(下級官僚)として採用し、東京府政を担わせた。横滑りさせたのである。政府の中核である薩摩・長州藩士たちは江戸(東京)の事情は何も知らないわけだから、よくよく考えてみれば当然の処置だろう。
 だが、明治政府が東京を名実ともに掌握していくにつれて、与力・同心たちは東京府から免職を申し渡される。彼らは、明治政府にとって「つなぎ」でしかなかった。
 政権交代期にはよくみられることではあるが、与力・同心たちとしてはたまらない。明治政府に体よく利用されたことへの思いは、さまざまな形で噴出することになる。
 彼らが決して敗者の地位に甘んじていたわけではなかったことは、以下明らかにしていくが、切り捨てられたのはもちろん与力・同心だけではない。江戸が解体されるなか、歴史の敗者に転落した他の幕臣たちも、無念の思いを秘めながら明治という時代を生きるが、敗者の地位に甘んじたのではなかった点では同じである。
 政府に言論をもって対抗しようとした者、政府奨励の産業に投資することで自活していこうとした者、文明開化の時流に乗って新たな事業に乗り出そうとした者……。明治の実業界で名を轟かせた渋沢栄一や三井の大番頭として知られた益田孝も、元を正せば幕臣だった。
 以下、薩摩・長州藩を主役とする日本近代史では描かれることのない幕臣(徳川家家臣)たち歴史の敗者の生きざまを、江戸改め東京を舞台として明らかにしていく。
 まずは、政権交代の象徴ともいうべき江戸町奉行所明け渡しの日に、時計の針を戻してみることにしよう。

安藤 優一郎(あんどう ゆういちろう)

一九六五年生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。JR東日本大人の休日倶楽部、東京理科大学生涯学習センター、NHK文化センターの講師を務める。『勝海舟と福沢諭吉』(日本経済新聞出版社)、『江と徳川三代』(アスキー新書)、『大名行列の秘密』(生活人新書)、『幕末下級武士のリストラ戦記』(文春新書)、『大名屋敷の謎』(集英社新書)、『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)、『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)など著書多数。


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