集英社新書WEBコラム
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東京大学大学院 共生のための国際哲学研究センター(UTCP)戦後日本と立憲主義・民主主義――その緊張関係を巡って

 日本国憲法が軽んじられ、その大前提である立憲主義体制が崩壊しかねない状況だ。「美しい日本」を掲げる人びとがこの動きを加速させてきた。それは国民多数の支持を得ているとはいえないものの、それなりの政治勢力となっている。こうした状況をもたらした戦後日本の思想と文化をどのように捉えるか。
集英社新書『「憲法改正」の真実』の樋口陽一氏と『愛国と信仰の構造―全体主義はよみがえるのか』の島薗進氏も登壇し、憲法学、政治学、哲学、宗教学などの視点をつきあわせながら討議した。その報告を一部、公開する。

登壇者:樋口陽一(東京大学名誉教授) 片山杜秀(慶応義塾大学) 島薗進(上智大学)
松平徳仁(神奈川大学) 川村覚文(UTCP)

日時:2016年6月2日(木)17:00-20:00
場所:東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム

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第1部:後半

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』
中島岳志 島薗 進

『「憲法改正」の真実』
樋口陽一 小林 節

松平 司会者としてまず、片山さんのご著書、『未完のファシズム』を拝読した感想から申し上げたい。片山さんは、戦前の軍人の思想・哲学というものをまともに取り上げられています。日本の戦後民主主義――憲法学界ではこれに反発して、本場の洋学紳士なら民主主義だといっているものをも立憲主義と読み替えている方々が主流派ですけれども――は、軍のいない民主主義体制です。この、平和主義と民主主義を両立させる憲法原理のまともな理解・解釈のためにも、ほんとうは軍事と格闘しなければならないと思いますが、戦後憲法学の主流は、天皇機関説事件でひどくいじめられた戦前の記憶を引きずっているせいか、軍事を「ジュラシック・パーク」扱いしてその思想・哲学的価値を認めてこなかった。その意味で片山さんのお仕事からいろいろ学ばせていただきました。

 たとえば『未完のファシズム』。酒井鎬次という元陸軍中将が出てきますが、彼が戦争末期の1944年3月、当時海軍省教育局長であった高木惣吉少将に、戦争と国内政治の見通しをこう語っていますね。①敗戦は必至、②海軍内閣で戦争終結、③ドイツの敗戦は決定的、④東条一派をまず撃退しなければ和平工作は進展しない、⑤重臣と天皇が協働すればそれだけで終戦にもっていける、⑥陸軍大臣の人事について自分の恩人である柳川平助、そして片山さんがその思想性を高く評価される小畑敏四郎の二人をともに酷評、下村定を推している。これらは、その後の1年半ですべて実現されることになります。

 また酒井は、陸士の同期で終戦時陸相であった阿南惟幾についても「精神家で平泉澄の弟子だが、頭はバカだ」と近衛文麿元首相に語っています。これは、国体護持が第一という自分の信条や、徹底抗戦を叫ぶ陸軍青年将校をなだめる必要から、ポツダム宣言受諾に最後まで反対した阿南の的確な人物評価であるいっぽう、相手が友人・恩人でもずけずけとこき下ろしてしまう彼の性格の欠点をも示しています。陸軍きっての合理主義者で、軍事に対する法と理性の優越をよく理解していた酒井がなぜあれだけ嫌われていたのか、片山さんの本を拝読してよくわかったような気がします。

 ところで前出の高木惣吉も、じつは戦争末期、海軍首脳(米内光政大臣―井上成美次官)の密命で終戦工作に従事していた政治的軍人ですが、彼が書き残したメモによると、遅くとも1945年7月の段階で、すでに陸軍上層部は、ソ連の満州侵攻だけでなく侵攻の時期まで正確に知悉していました。これらの出来事は、高木自身も認めたように、敗戦までの1年あまり、自国が待ち受ける運命をわかっていながら、日本の指導層は戦争継続の建前を堅持しながら裏で戦争終結を模索するという矛盾で時間を浪費したことを意味します。その間、軍事エリートたちにとって「呑める」降伏条件を連合国から引きだすために、真実、正義、人道といった一次的徳が前提でなければそもそも語りえない、屈託のない忠誠・服従という二次的徳の強要で尊い人命が消耗品のように使い捨てにされ、最終的には広島・長崎での原爆投下という世界史的悲劇を招いたしまった。余談ですが、この狂気と破滅を導く「国家理性」への拒否が戦後、憲法9条と13条前段の意味連関をつくることになります。

 最後に、岩畔豪雄(ひでお)という、謀略に長ける政治的軍人の一人でエリート軍政官僚、戦後は京都産業大学の創設にかかわった人物について。『未完のファシズム』にも出ていますが、あの悪名高い「戦陣訓」を発案したのは彼でした。そして驚くことに、あれは南京虐殺の反省から作成されたというのですね。最初は天皇の勅語を考えていたが、勅語だと強姦してはいかんみたいなことは書けない。そこで、陸軍大臣の訓令にすれば軍紀違反行為を網羅的に書けるから将兵を教育できると。官僚制的合理主義ですね。

 岩畔は、陸軍大学校学生のときに憲法の講義を聴いた上杉慎吉を「極右」と評し、民主主義の機能的代替物としての立憲主義を唱えていた美濃部達吉が国賊呼ばわりされていた時代の異常さに批判的でした。また、島薗さんのお話にあった戦前の国家神道や精神右翼の系譜を引く人たち、たとえば井上日召の天皇観についても、「頭が変じゃないか」「純粋な奴はやはり危険」ときわめて冷淡でした。片山さんがいうところの「未完のファシズム」を冷めた目で見ていたわけですね。

 ところが彼は、政治学者の岡義武さんや丸山眞男さん、まだ若かった三谷太一郎さんも入っていた「木戸日記研究会」の聴取で、かなり不気味な発言もしています。「憲法改正などという問題は血をもってしなければ購なえない問題である、議論ではどうしてもいかん問題だ」とか、「なにか事が起こって「これではとてもいかん」という時には(改憲を)やらなければならない」と学者さんにいうのですね。

 なぜ岩畔の話をしたかというと、いまの政権の中枢に彼の弟子筋の人がいるからです。岩畔は日独伊三国同盟の推進派だったが、戦前、まさに軍部といわゆる革新官僚が、武力の国際競争で国家と国益を考え、そういう意味の国家理性にもとづいて国権発動を濫用し、高木惣吉の言葉を借りれば、「内は国政に介入して憲政の道からファシズムに走り、外は政府の方針にそむき、隣国を侵して世界の信用を失い」、国家を破滅の瀬戸際にまで陥れてしまった。その教訓として生まれた戦後民主主義の憲法体制は、武力によらない国際競争を求めているわけですが、こうした憲法上の制約と可能性を生かして専守防衛・日米安保・高度経済成長を担ってきたのが経済・外務官僚です。しかし、安倍政権の特徴はまさにこうした担い手の質的変化、つまり官僚制の一部が右傾化して新たな革新官僚=安保官僚制を形成しつつあることです。「これではとてもいかん」と思ったら憲法破壊も辞さないという戦前の国家理性に逆戻りしていることですね。なぜこういうことが起きてしまったのかというのは実践的な問題関心ですけれども、まずはこれについてご教示願いたい。

樋口 洋学紳士は、このテーマについては発言することはありません。(笑)

片山 外務省と経産省! なるほど。この2つの役所は、対外的な日本のプレゼンスが常に高くないといけないということを考える伝統があります。経産省に相当する役所というのは、1945年までは変遷がございますけれども。例えば昭和10年代のことを考えていただいても、今ご紹介いただいたように、軍人の中でもいろいろな人がいたわけで、それと同じで、官僚にもいろいろな人がいたわけです。日独伊三国同盟を推進する白鳥敏夫一派の「外務省革新派」とか、国家総動員体制によって日本の経済力を高めるということに情熱を傾けるような商工省の岸信介とか。大蔵省なら迫水久常とか。いろいろな人たちがいたわけですけれども。

 とにかく日本の国というものを強くして、欧米、西洋列強といかに対等に外交でも付き合っていくか。話がさかのぼり過ぎて煩雑になりますが、日本の近代の歴史というのは、言うまでもなく条約改正の歴史から始まっているわけで、常にヨーロッパとかアメリカにばかにされる日本が、いかに自分を大きく見せて対等の地位を獲得できるのかという問題が、陸奥宗光のころからずっとある。だから、外交官というのは非常に国際的で紳士的で、外国に友達が多くてナショナリストにならないみたいな錯覚を持っておられる方も結構いらっしゃるかもしれませんが、岡崎久彦さんとか、たいへんなナショナリストの外交官をわれわれは思い出すことが出来るわけでして。

 やっぱりリアリストでナショナリストであってというのは、類型的には外交官がはまる。戦争をやる軍人はもっとはまるかもしれない。軍人はほんとうにやったときに勝てるのかを考える。負けたらたいへんですから。冷静に突き詰める人は外交官より多いのではないですか。ただ、口が裂けても負けるとは言えないので。そのポーズが内実を見誤らせるところはありますが。例えば、酒井鎬次なんかは、情勢判断としては、絶対負けると。石原莞爾でも昭和10年代、戦争やったら負けると思っていたし。さっきのお話で酒井にばか者あつかいされていた小畑敏四郎も基本的にはソ連とアメリカと戦争したら負けると思っていた。東条英機は「大東亜共栄圏」で経済建設をしながらやったら、もしかすると負けないかもしれないと思っていたのかもしれませんけれども。軍人のほうが概して真剣で内心はビクビクですよ。人が大勢死にますから。外交官のほうが、日独伊三国同盟でアメリカを牽制すれば大丈夫だとか、かなり乱暴なことを考える伝統というのが実はあるのではないですか。

 英米に協調する態度の外交官は、国際派で平和的に見えるかもしれませんけれども、彼らもやはり第一には国威とかを考えている。吉田茂でも誰でも、アメリカやイギリスと仲よくしたい人は国際協調で平和的だということはないわけですね。吉田茂でも白鳥敏夫でも、どこと仲よくすると日本が強く見えて滅びないかということを考えているわけで。

 外交官というのはそういう人たちであって、私の理解では、ナショナリストであって、リアリストであって、日本が勝ち残る、強い立場で残るために、どこと組めば一番うまくいくかということしか考えてない人種である。外交官が最近右傾化しているということはなくて、もともと愛国者の集まりだと私は思うんですね。ただ、どこと仲良くするかという問題で派閥ができるということで。

 それから、経産省、商工官僚みたいな人たちは基本的に経済力で立ち向かうとしか考えていません。説明は外務官僚に準じます。そういう人々の中から、安倍政権が都合のよい人を登用しているということではないでしょうか。

島薗 日本の軍隊にも、特に海軍には相当穏健な保守という人がいたはずで、そういう人のおかげもあって、何とか最後は終戦に持っていけたのだと思います。にもかかわらず、もちろん政党や官僚の中にもいろいろな人がいたんだけれども、なぜそういう無謀な戦争に向かっていったのか。そう考えると、やっぱり世論がすごく大事だと思います。

 世論を動かしているのはマスコミであり、マスコミはまわりのメディアを窺い、民衆の反応を窺いながら、売れて喝采を受けるようなことをやるわけです。ですから、どうやって民心をそういうほうへ持っていったかというところが重要です。それは政治史とかだけを見ていても必ずしもわからない。やはり社会史的なところで見ていかなければならない。宗教や大衆行動の動きを見ているとよくわかる側面があるということなんですけれども。

 例えば、日露戦争の後、乃木大将は軍人とか官僚とか知識人からはかなり批判を受けたわけですね。それも引きずって明治天皇の葬式の日の殉死というのにも、最初の報道はかなり厳しかった。しかし、民衆は圧倒的に乃木を支持する。それで世論もガーッと変わってしまうわけです。こういうことはその後もたびたび起こって、「当然こういう方向をとったほうが、日本の将来は確かだ」という冷静な考えが通らなくなってしまう動きがずっとあったということだと思います。

 そういうことから考えると、さっき片山さんの言ったことで、現在の政治は、選択肢が狭まってきたというお話でしたが、実は違う面がある。ナショナリズムのようなものを強調するということは実際の政策にも影響して、確かに大きな方向づけになってくる。世界的にそういう宗教ナショナリズムのようなものがあちこちで広がっているんですね。先ほどのハーバーマスのような人も、ある時期から宗教的転回ということを言われるぐらいで、やっぱりキリスト教との連携、カトリック教会などとの連携ということを、EUの民主主義にとって基本的なものとして考えるようになってきていますね。

 そう考えると、日本の場合、今や東アジアとの対抗関係の中で、日本国家の独自性を強調しながら国民の支持を取りつけ、強硬路線をとるということが確かに現実的な選択として出てきている。これは石原慎太郎あたりが火をつけた面もあるわけですけれども。こういう煽りが一番危ない。そういうふうにして長い時間をかけて民心が動くと、その民心が、社会の中にあると思われるいろいろな制御機構を超えてしまうようなことが起こる。現代は世界的にそういうような危うさが吹き出しているという状況じゃないかと私は思います。洋学紳士先生にも、ぜひその辺のところを伺いたい。

樋口 島薗さんから片山さんへの問いかけの間に私を挟ませてください。島薗さんが片山さんにおっしゃったのは、国民主権の建前をとっていなかった時代ですら、民衆が問題なんだというご指摘ですね。

 私は全く同じ認識だからこそ、先ほど申しましたように、立憲には甘いけど民主には厳しい。先ほど佐藤幸治さんの名前が出てきましたけれども、憲法研究者の中では、樋口陽一と佐藤幸治が立憲派なのです。<民主>とあえて際立たせる場合の話ですが。

 もちろん実際は立憲民主制でやっていくわけです。実際の憲法解釈はそうなのだけれども、<立憲>と<民主>のどちら側からアプローチするかというと、<立憲>のほうからアプローチする。

 私自身、1973年に『近代立憲主義と現代国家』という初めての単行本を出しました。それが、思わぬ今のご時世の効果か、かつては箱に入った野暮ったい本だったのが、つるつるしたカバーをかけた今どきの本になって、改めて日の目を見て本屋に並んでいるようです。

佐藤さんも、1970年代の後半に出した彼の主な憲法概説書のはしがきで、「立憲主義へのアフェクション」という言葉を使っています。その中でも、三、四年前に、いわば「二酔人経倫問答」をやっておりましたときに、「樋口さん、もう少し人民を信用しましょうよ」という言葉が、彼の口から出ました。

 ところで、先ほど片山さんが直近に話された中で、日本を大きく強く見せるために、というお話がありました。そもそも大日本帝国憲法が日本を大きく強く見せる道具だったわけです。条約改正を勝ち取るとう必要はもちろんですけれども、もっと大きなパースペクティブで、君主もしくは民主の国にして「開明旺盛ヲ以テ」というのが基本認識ですからね。

 これは憲法学者共通の認識とは言えませんが、第1条以下の憲法本文は、立憲主義そのものです。第3条、天皇は神聖にして侵すべからずという、1930年代に入って猛威を振るったあの条文すら、もとはフランス革命ですから。

 1791年憲法では、国民主権は宣言するけど、王様はいるわけです。王様を位置づけて「まさに侵すべからずして神聖」と。お隣のプロイセンが、後に19世紀の後半になってから、国王の不可侵という言葉を受けつぎます。大日本帝国憲法もそういう流れを受けている。要するに、法的責任を問われない、裁判所に引き出せないということです。フランスの場合は引き出されないどころか処刑されるわけですが。

 明治憲法の本文は立憲主義だったのです。告文(こくぶん)と書いて(こうもん)と呼びならわしていますけれども、告文、それから憲法発布勅語は、天皇が万世一系にさかのぼる皇祖皇宗に、欽定憲法を臣民に下げ渡したことを報告するということになっています。告文、憲法発布勅語の路線と、第1条以下の条文を法律家としてどう解釈できるかという、せめぎ合いが、天皇機関説論争でもあり、さらにはもっと日常的に起こっていたということだと思います。

片山 樋口先生のお話に関連してお話させていただく前に、政治の選択肢の話について、多分ちょっとわかりにくいことを申してしまったと思うので戻らせていただきます。

 基本的には島薗先生がおっしゃったとおりだと思うんですけれども、ここで私がちらっとしゃべってメモ書きしてしまった政治の選択肢というのは、基本的に福祉国家、行政国家の進展に伴う政治の選択肢ということです。つまり予算がついて、今やっていることを続けて、しかも例えば福祉国家というのが1回始まると、同じ水準の福祉では人民、民衆は満足しないので、基本的に上がっていくことが常に期待されるわけなので、どんどん予算が増えていくわけです。

 ところが、少子・高齢化とか、経済成長しなくなると、これは手一杯でも水準が保てなくなっていく。今、つまり政治の選択肢がない中で、選択肢がありますよといってやってみせたのが、言うまでもなく民主党の仕分けだったわけですが、あれをやってみても、ほとんどのお金が出てこないということがわかっちゃったわけです。ちょっといじれば、まだまだお金は出てくるというノリで、自民党をやっつけるという論理で実際にやってみたらお金が出てこないということで、あれが決定的な不信を多分招いたんだと思います。あれも二大政党にありがちなことであって、歴史は繰り返すとさっき申したのはそういうことなんです。

 そういう中で、結局お金のかからないところで、社会主義化、資本主義を続けながら、福祉国家化、人民というか、民衆というか、国民というか、凝集性、ナショナリズムというか、この国に生きていてよかったですねというように思って死んでいってもらうということで国はもっていくわけですけれども。そのためは、やっぱり最大多数が幸せになるためには社会主義じゃないかという時代と、そうじゃないんだという戦いがあって、それで福祉国家になるというほうがとりあえずは勝ったわけですが、その延長線上、もうやれなくなってしまった。そうすると、国民というのをどういうふうに束ねていったらいいのか。

 この国に生きていれば、将来お金も心配なくて、社会全体も豊かで高い水準が保たれていて、年金も出てというのだったらみんな安心するわけだけれども、それができなくなる。政治の選択肢という言い方がよくなったかもしれませんが、そこで福祉の手当みたいなことで、国民を満足させることが、日本なんかは大変難しくなってきている。

 その中で、瞬間的なだましでも、国民にとりあえずこの国で生きていたら頑張れるんだと思わせるために、まさに島薗先生のおっしゃったようなナショナリスティックな、愛国的な、日本人ってすばらしいという言い方が持ち出される。日本的な伝統、日本のすばらしさ、近代西洋とは違う物の考え方で日本国は成り立ってきたので、そこに明治憲法を復活させましょうということを言ってきた人たちも改憲勢力に合わさっている。それは基本的にお金がかからない精神論ですよね。福祉国家の代替としての精神論ですね。日本陸軍が戦車や機関銃があった方が良いと分かっていながら予算が足りないので突撃精神で代替したのと同じです。ただ、お金がかからない精神論で済めば、愛国の身振りだけでいいんですけど、それが東アジアの緊張とか、北朝鮮が、中国が、南シナ海が、東シナ海が、アメリカが弱体化するからその穴埋めを、というふうになってきて、ほんとうに戦争になるかもしれないとなると、今度は予算的な手当をどうするかという話になってくるから、そこら辺が今めちゃくちゃになっている。とりあえず国民をまとめるためのポーズで、愛国みたいに言っていた時期がちょっとあったと思うんですが、だんだん本気になってきた。日本も日米安保が危なかったら核武装で平和憲法を守るしかないとか、わけのわからない勢いになってくるわけですね。平和国家を守るためには核が必要ですみたいなことを清水幾太郎は1980年代に言っていましたけれども。あのときは、清水を軽蔑的に冷笑して批判して否定する人が知識人の大半でしたけれども、そういう人たちは今どこに行ってしまったのか。憲法学者以外はかなりいなくなってしまったような印象があるんですけれども。私が1982年、慶應義塾大学法学部の学生になりましたとき、小林節先生は学部の先生として「右寄り」の代表でした。ところが今は体制批判の先頭に立っておられて、その頃、リベラルといっていたほかの人たちの影は薄くなっている。日和見主義という言葉を思い出しますね。

島薗 松平さんが言いたそうにしている話を、私が取っちゃうようなことになるかもしれません。松平さんはサンダースが大好きなんです。それからヨーロッパ情報でも、選択肢が出てきていますよね。つまり、安倍政権は瞬間的に気持ちを高ぶらせてくれるだけじゃなくて、かなり人権を制限する政策を具体化することに熱心で、そっち側のほうに大いに努力している。それは経済界の望むところとも、場合によっては一致する。役人ももちろんそれは歓迎するところだと。これは要するに、新しい全体主義というふうに言える側面があると思うんです。そういう路線に取り組むと。そういうときには、樋口先生にこれは怒られてしまうかもしれないのですけれども、やっぱり民主主義というところを、もう一つ言う必要があるんじゃないだろうかと。つまり、安倍政権派が言うのは、要するに権利ばかりで義務がないじゃないかと。社会がみんな個人主義でばらばらになって、他者のため、共同体のために何かをしようという意欲が衰えてきているから、それを自分たちは矯正すると。そういう社会に変えていくんだと。

 そういうことで、実際は全体主義的なものを呼び込むということなのですが、そこでやはり民主主義というものの、人民の権利、身分制とか階級制の社会よりは封建と対立する中で権利を獲得してきたというところで言われるような民主主義が問われている。基本的人権が次第に広がってきていますよね。それはほとんど人間の尊厳というふうなことと通じるようになり、ある種の普遍主義的な倫理とつながるようになってきている。こういう面、あるいは格差是正ということから平等主義があらためて光を浴びる。そのように宗教的なところにつながるような面が民主主義という言葉のほうにあるので、それは立憲主義と民主主義というのが、実は補い合って近代の大事な価値を支えるんだというふうに思うのですが、いかがでございましょう。

樋口 島薗さんとの間で、言葉の使い方が逆になっています。今いろいろおっしゃったことは、私の用語では全て立憲主義になるのです。権利を守るというのは、一人一人の個人までさかのぼる個人の尊厳の問題なのであり、そこから出てくる人権を基本に置くということです。その人権は、近代、現代の中でいわば耕されて、その中から当初はなかった労働基本権とか生存権が出てくる。それを憲法を盾にして守ろうというのが立憲主義なのです。

 民主主義というもののメイン・ロードは、やっぱり選挙です。選挙を通して権力につくということです。そういう意味では、現政権は既に3回、全国規模の国政選挙で、国民主権のレジテマシーを得ています。そういう制度的な普通のルートの民主主義に対して、いや待ってくれといっているのが先ほどのSEALDsの諸君です。ああいう民主主義が一緒にセットにならなければ、いくら選挙の制度が整えられても仕方がない。と申しますのは、私は西欧諸国も含めた中で、日本の選挙管理はおそらく一番公正に行われていると思います。開票作業の恣意的扱いも時々ありますけれども、これは希有なことでしょう。そういう枠組みはちゃんとしている。選挙に行くだけの民主主義、あるいは選挙に行きもしないということをどうするか、それが民主主義という枠組みの中での問題なのです。

 デモクラシーはデモス=人民の支配です。デモスの支配として選挙、議会という土俵の上で権力を取るという、その制度的なメイン・ルートと、それを腐らせないために、本質的には日常的な市民活動をどうやって組み立てるかが、民主主義論の本体であって。権利保障は立憲主義のほうで、というのが私の議論の立て方です。

 権利保障自身にいろいろ問題があり、松平さんが権利保障の前提として問題にしていることがらはもちろん踏み込んで議論しなくちゃいけないけれども、当面はそんな何段階も突っ込んだ議論どころか、立憲主義という言葉を持ち出すだけで、憲法研究者が疲れ果ててしまったという(苦笑)、それが率直な状況なんです。

片山 今の島薗先生と樋口先生のお話で、大事なお話になっていると思います。基本的に、確かに自民党の改憲案をどう見るかというと、基本的人権とか、従来の常識とかなり違うことが書いてあるところもあるけれども、いわゆる個人の権利とか自由みたいなものを全部なくしましょうと正面を切ってはなかなか言えないぐらいの、まだ民衆理性とでもいうべきものが日本にはまだあるとは思います。今、島薗先生のご心配になっていて、実際に進行しつつある、近代の人間のさまざまな自由みたいなものをいじっていくような方向というのは、樋口先生の横で私が申すのは大変恥ずかしいんですけれども、カール・シュミットとかを思い出していただければわかるように、危機とか例外とか、そういうときはある程度制限しても仕方がないんですよというのをものすごく誇大に言って演出するという方向の宣伝ですよね。電通的というと語弊があるかもしれないけれども、

 それで危機的な状況を演出するということで、安倍首相は伊勢志摩サミットでリーマン・ショックを持ち出しましたし、それから中国は危機だ、北朝鮮が危機だ、日米安保を今こそ守らなければ、とか、とにかく大変な危機だ、危機だの連呼になってしまっていて。確かに危機はあると思うのですが、戦争がらみで言えば、第三次世界大戦が起きて人類が滅亡するといっていた1980年代までほどの危機なんだろうかと、私は思うんですけれども。今のほうが、今までにない危機だということになっているんですが。ちょっと私には信じられないんですが。

 とにかく、そうして例外をたくさん日常的につくっていくことによって、やっぱり東アジアで軍事行動などがあるかもしれないという危機の中で、今までみたいに防衛省の役人だけじゃなくて、ほかの省庁のいろいろな官僚も戦争絡みで国家機密にかかわるようなことが増えてくるんだったら、ああいう国家機密を守るための法律は例外的には必要なのかもしれないなと。そういう例外状況的なところでの、まさに解釈改憲でもあったわけだし、そういうような例外だから、とりあえずこのぐらいまで今は一瞬譲ってくださいという形で、行政ファッショで、法律というものをどんどん浸食していく過程というのが非常にやっぱり顕著になっています。

 これは2011年以降、あと安倍政権以降の話です。2011年以降、原発事故もしてしまったし、今までの常識ではもう通用しないことがたくさん起きるんだと。だから、熊本の地震でも、すぐ例外的だから、やっぱり国家緊急権が憲法に必要だという話になる。地震の対策なんかはちゃんと法律つくっておけば大丈夫だと私は思うんですけど。そういう話になったときに、ある程度の民主主義で、民衆が頷くパーセンテージが上がっていますよね。これによって、どんどんどんどん立憲主義のなし崩しが進行していて、これが日に日に進行しているような気がして。

 だから、近代主義的な当たり前が通じない人が、毎日ほんの少しずつ減っているのかなという印象を私は持っているんですけれども、いかがでしょうか。

島薗 おっしゃるとおりなのですが、用語のところで、そういうふうに寡頭制的になっているというか、官僚や大企業や資産家が自分たちの意思を通しやすい。それにいわゆる一般人のある層が支持する。こういうふうな傾向ですよね。だから、民主主義がうまく機能していないなというふうに感じられるんですけれども。

 しかし、それに対してやっぱり民主主義は、こういう民主主義があるべきだという、そういう話をしないと、民主主義じゃない、立憲主義というんだと、何か弱いような気がします。結局、代議制は避けることはできないわけですし、例えばマイノリティーの立場を尊び、選挙を絶対視しないというのはどうか。

 それから、選挙というものが必ずしも民意を代表しないということは、よくわかっていることですから、そのことを共通認識に高める。そういうような議論を積み重ねていくことは、樋口憲法学的にはあまり効果がないということになりますでしょうか。

樋口 大いにあります。片山先生が最初に出された一番深刻な問題、とにかく物を考えたい、ちょっとは物を考えたい、場合によって変えたい、そういう我々にとって深刻な問題を戦前に東北帝国大学で教壇に立っていたドイツの哲学者のカール・レーヴィットが当時の日本を見て書いています。日本の知識層は2階にいる。2階に上がると、カント、ヘーゲルからハイデガーまでがぶら下がっている。しかし、日常生活は下におりてきてやっている。平和なときには1階と2階をいろいろな人が上がり降りできる。しかし、一旦、危機になると、下に住んでいる人たちが梯子を外してしまう。知識人の痛いほどの孤立、あるいは転向という現象が起こる、というのです。

 同じ構図が、現在はもっとひどくなっているのか。そうではなく、1階に住んでいる人たちとのコミュニケーションの幅が広がっているのか。それが私たちにとって突きつけられている一番肝心な問題だと思っております。

松平 たしかに、レアル・ポリティックスとしての戦後民主主義、すなわち社会的権力の個人抑圧的性格を見ぬき、そうした権威主義体制を制約するエリート寡頭制的他者の論理=立憲主義の重要性を説き、20年かけてそれを学界の通説に押し上げた樋口さんの功績は大きい。しかし、1970年代の樋口さんが民主主義についてもっていた違和感を、いまの私は立憲主義について感じています。漢字の民は象形文字で盲目の奴隷の群れを表しているし、古代ギリシアにおける「デモスの権力」も蔑称として始まったわけですが、そういう民主主義への憎悪はもうやめにしませんか。アメリカの憲法学者ジャック・バルキンは近年、「文化としての民主主義」の主題化を試みていますが、それは奇しくも、貴族が独占していた文芸、スポーツ、戦争と政治の民主化を含意している概念です。後ろの2つに限っていえば、政治の民主化から個人の尊厳と個人間の平等が、そして戦争の民主化から平和主義が生まれました。グローバル寡頭制が跋扈する現代にこそ、民主主義をまもるメカニズムとしての立憲主義を強調すべきではないかと思います。

第1部のディスカッションはこれにて終了。ご清聴どうもありがとうございました。

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(2016.07.08)

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