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特設エッセイ
『羽生結弦は助走をしない』
~羽生結弦を語り足りない~

高山真(たかやま まこと)

エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。

 

第2回 エッセイストから言葉を奪う、羽生結弦の『ノッテ・ステラータ』をあえて言葉にしてみた

「フィギュアスケートは美しいスポーツである」

 この言葉には、ほとんどの人がうなずくことでしょう。

 ただ同時に、「美しい」という言葉は非常に難しいというか、やっかいなもので、その基準だったり好みだったりは、人それぞれに違います。

 絵画を例に挙げるなら、クリムトの『接吻』と、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』。私はどちらも大好きな作品ですが、両者から受けるイメージは、当然のごとく同じではありません。

『接吻』から私が感じるのは、息詰まるような官能性と、その中にひっそり息づく、ある種のはかなさ。『我が子を食らうサトゥルヌス』から感じるのは、圧倒的な不穏さ、不吉さと、その中にある哀しみ。そのふたつの絵画を、「ひとつの基準」でもって優劣をつけたりすることは、私にはできない。ただただ、「どちらも、それぞれに素晴らしい」と感じるばかりなのです。

 

 さて、話をフィギュアスケートに戻しましょう。

 フィギュアスケートは、クリムト的なプログラムを演じるスケーターもいれば、ゴヤ的なプログラムを演じるスケーターもいます。そして、審判たちは、仮に自分がクリムト的なプログラムが好きであったとしても、それよりもクオリティの高いゴヤ的なプログラムのほうを高く評価するわけです。つくづく、

「大変な任務だなあ」

 と思います。

 もちろん私は審判の資格など有しておりません。単なる観客にすぎないのですが、選手全員をリスペクトする以上、それぞれに違うプログラムの、それぞれの美しさを見出したい、と強く思っているのです。

 そんな私にとって、「美しいプログラム」は、さらに2種類に分かれます。

 ひとつは「言葉を尽くして、その素晴らしさを語りたくなるプログラム」。

 私にとって、羽生結弦という選手はそういうプログラムの宝庫みたいな存在でして、拙著『羽生結弦は助走をしない』でも、2010年ジュニア世界選手権のフリーから、自分なりの「ツボ」を詳細に書いているつもりです。ちょっと言い方を変えれば、「私に言葉を与えてくれるプログラム」と言ってもいいかもしれません。

 そしてもうひとつは、「私から言葉を失わせてしまうプログラム」です。

 一応、私も文筆業の端くれですので、

「『美しい』以外の言葉を使って、美しさを表現できなければ、言葉を使うプロとは言えない」

 と、自分なりのルールを定めているのですが、こういうプログラムを見ると、言葉より先にため息が出てしまい、結局最後まで言葉を探しあぐねてしまう……。そんな美しさと言いますか。

 私にとって、羽生結弦のプログラムの中で、そんなプログラムの筆頭格は、エキシビションのプログラム、『ノッテ・ステラータ』です。今回は、このプログラムの自分の「ツボ」を書くことに挑戦したいと思います。

 

 『ノッテ・ステラータ』は、サン・サーンス作曲の『白鳥』にイタリア語の歌詞をつけた、クロスオーバー的な作品です。

 サン・サーンスの『白鳥』というと、私はどうしてもバレエ『瀕死の白鳥』を思い出しますが、もちろんフィギュアスケートでも忘れがたいプログラムがあります。

 1994年のリレハンメルオリンピック女子シングルのチャンピオン、オクサナ・バイウルのエキシビション(Oksana Baiul 1994 Olympics EX)。そして、いまでも日本に多くのファンを持つアメリカのジョニー・ウィアーの2006年のトリノオリンピックのショートプログラム(Johnny Weir 2006 Olympics SP)。

 オクサナ・バイウルのプログラムは明確にバレエからインスパイアされた振り付けでした。ショートプログラムの『黒鳥』(『白鳥の湖』より)とともに、

「フィギュアスケートで、ここまでバレエを叩きこんだアームの動きを見ることができるなんて!」

 と驚愕したことをはっきり覚えています。

 また、オクサナのリレハンメルでの輝きをテレビで見たことがフィギュアスケートに打ち込むきっかけになったジョニー・ウィアーの『瀕死の白鳥』も、

「男子選手が、こういった形でのエレガンスを表現できるんだ」

 と、テレビを見ながら拍手を送った私です。

 

 羽生結弦の『ノッテ・ステラータ』の印象を私なりの言葉で言えば……。

「バレエ『瀕死の白鳥』をリスペクトしつつ、羽生のスケーティングスキルをじっくり見せることに主眼を置いている」

 という感じでしょうか。

 バレエ『瀕死の白鳥』は、ダンサーが片足のつま先で立っている場面は、ごくごくわずか。両足を小刻みに震わせるような動き(パ・ド・ブーレ)をメインに、ステージを滑るように進んでいきます。観客に、ステージが湖面であるかのような錯覚を抱かせます。

 その「基本」にのっとっているのでしょうか、羽生のこのプログラムは、あえて両足滑走にしている部分が非常に多い。また、片足で滑っているときも、フリーレッグを高く上げている箇所はほとんどありません。

 競技プログラムでは、「右足/左足」「フォア/バック」「インサイド/アウトサイド」の8種類のエッジを複雑に組み合わせてプログラムを組んでくる羽生結弦ですが、この『ノッテ・ステラータ』では、その能力を見せること以上に、「湖面を滑っていく白鳥の姿を、スケーティングで見せるには、どうすればいいか」ということに向き合っているように感じられます。

 結果、「非常になめらかで、ポジションの保持時間が長い、ムーヴス・イン・ザ・フィールドを多種多様に取り入れる」、そして「組み合わせの複雑さではなく、単体のエッジワークのクオリティ、なめらかさで魅せる」という選択をしているのでは、と。

 ここからは、ロシア杯のエキシビション(2017 Rostelecom Cup EX)の要素の実施順に「ツボ」を書いていきます。


  • 音楽が始まって20秒後から始まる、左足のフォアアウトサイドエッジを使った大きなカーブ。
  • ツイズルの回転の速さとスムーズさ、そして距離の出方。
  • 腕の振りの勢いではなく、筋力のみで見事な背中のアーチを作る、レイバックイナバウアーの完成度。
  • 両足ともバックインサイドにして、上体を斜め後ろにひねった状態にしてカーブを描くムーヴのバリエーション。私はこのムーヴが大好物でして、ミシェル・クワンの1997年世界選手権のフリー(Michelle Kwan 1997 Worlds FS)は、このムーヴが見たくてリピートしているくらいです(トリプルフリップの着氷後です)。
  • それぞれに美しいポジションでおこなうコンビネーションスピンをはさんで、非常に距離の長いハイドロブレーディング。
  • そしてそこから、ほとんど間髪入れずに、「左足をフォアエッジにしたインサイドのイーグル」→「ターンをはさんで、右足をフォアエッジにしたインサイドのイーグル」→「またターンをはさんで、もう一度左足をフォアエッジにしたインサイドのイーグル」へとつないでいく。そのなめらかさと、足の開き方の厳密さ。
  • シットポジションのツイズルとインサイドのイナバウアーの組み合わせの妙。現在のルールでは競技プログラムで見ることは難しいだけに、エキシビションで披露してもらう喜びがあります。
  • ディレイのシングルアクセルの大きさ! このジャンプのための助走が、次のトリプルアクセルのための助走よりも明らかに長いのは、いかにこのジャンプをドラマティックに見せようとしているかの表れだと思います。
  • トリプルアクセルの着氷後、ただちにツイズルへとつなげるテクニック。ジャンプに入る前のトランジションも、着氷した後のトランジションも、いったいどれだけのバリエーションを持っているのでしょうか……。
  • ラストのスピン。キャメルポジションのまま上体を天井のほうにそらしていくポーズ。これだけでも難しいポジションなのですが、ここからさらに、ひざを曲げて回転をキープします。
    「軸足のひざを途中で曲げていく」ということは、「回転しながら『体重をかけるポイント』を意識的にずらしていく」ということです。回転が乱れるリスクが飛躍的に上がってしまうわけです。
     ベーシックなキャメルスピンでこのポジションの変化を取り入れるのは、伊藤みどりもさまざまなプログラムで披露していますが、難しいポジションによるキャメルスピンの間でこれを入れてくるとは……!
     そして、こういった「スケート」を実施している間、上半身、特に「アーム」は、一本芯が入ったようなしなやかさ、たおやかさをキープしたままになっている。このプログラムを見て「白鳥そのもの」というご感想を持つ方が多いのも当然と思わせる素晴らしさだと思います。

 初めてこのプログラムを見たとき、私はただただ息をのむばかりでした。オクサナ・バイウルの『瀕死の白鳥』は、当時オリンピックの解説を務められていた五十嵐文男さんがおっしゃった通り「バレエを氷上に持ち込んだ」わけですが、羽生の『ノッテ・ステラータ』は、「バレエにリスペクトを払うことと、あくまでスケートとしての美しい表現を追求すること、その両立を目指した」作品だと私は思っています。

 このプログラムは、オリンピックのエキシビションでもこのうえない光を放つはず……。私はそう確信しているのです。

 羽生結弦の「目標に進む姿勢の激しさ、一途さ」を、ひとりのスケートファンとしてよく知っている私は、すでに羽生にある種の「絶対的な信頼」をおいています。いまはただ、平昌を楽しみに待ち望んでいる状態です。

(2018年01月10日掲載)

高山真(たかやま まこと)

エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。

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