集英社新書WEBコラム
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深夜、目覚めた場所

資本が無軌道に人びとを苛む一方で、国家が国境の壁をせり上げている。押し出された者は、当て所もなく荒野を彷徨うのみ。私たちの居場所はいま、どこにあるのか――。開高健ノンフィクション賞受賞作家が、未曾有の規模で崩落する21世紀の「人間」を描出する。

第5回 アジールの崩壊

 十年ぶりに会ったその男の名刺を見ると、姓こそ昔と同じだったが、名が変わっていた。
「インターネットっていうのは迷惑なもんですわ。務めが終わっても、検索すると昔の肩書で名前が出よる。銀行口座も開けん」
 こちらの怪訝な表情を察したのか、男は自分から改名の理由を説明し、苦笑交じりに頭をかいた。久しぶりに大阪を訪れた。この街の喧騒はそうした当人にとっては深刻な悩みも、どこか笑い話にしてしまう。
 男とはかれこれ二十年以上も前、とある事件の取材で知り合った。いまは「堅気」である。だが、ネット上に出ている肩書は、かつて大阪・ミナミで名を轟かせた山口組系組織の幹部で、ある時期から年賀状が息子さんの名で届くようになり、服役したことを風の便りで知った。
「今回の問題が公になる三、四日前だった。その日は井上(邦雄・山健組組長。現・神戸山口組組長)の誕生会で自分も行ったんだけど、彼は(分裂を)おくびにも出さんかった。後から『何で言わんかったの』と聞いたら『知っても困るかなと思って』の一言。分裂したのは弘道会(名古屋市 司忍・六代目山口組組長の出身母体)が利権を独り占めしていることが最大の原因だろうね。これは関西地区の誰もが思っとること。要は『幹が太って、枝は細る』ということですわ」
 男は「自分はもう堅気」と何回も繰り返したが、言葉の端々からは「神戸」の旧友たちへのシンパシーがうかがえた。
 日本最大の暴力団、六代目山口組が分裂してから、一年が経とうとしている。同団体は昨年八月二十七日の緊急執行部会で、直系組長五人の絶縁と八人の破門を決定。切られた側は九月五日、新団体「神戸山口組」を立ち上げた。
 当初は四代目の座をめぐって山口組と一和会に分裂し、二十九人の死者を生んだ「山一抗争」(一九八四~八九年)の再来が懸念された。実際、神戸山口組の有力組織、池田組(岡山市)の若頭(ナンバー2)は今年五月、弘道会の組員に射殺された。ただ、全面的な報復合戦にエスカレートするということはなく、不気味な静けさを保っている。


 少なくとも私にとって、この分裂は青天の霹靂(へきれき)だった。極道ネタを生業にするライターたちは分裂が表面化した後、「自分は何カ月も前から知っていた」と情報通ぶりを競っていたが、内部でも問題が顕在化したのは緊急執行部会のわずか一週間前。後に神戸山口組に加わった幹部の一人が本部の当番に来る途中、引き返したことで分かったのだという。ちなみに分裂した二〇一五年は、山口組にとっては創立百周年の記念すべき年だった。
 分裂をめぐるあれこれの事情については後に回すとして、大きな背景としては九二年に施行され、その後、五次にわたって改正、強化されてきた暴力団対策法(暴対法)と、警察主導で都道府県が制定してきた暴力団排除条例(暴排条例)による締め付けがある。
 暴対法は近代法の見地からは、かなり危うい法律だ。一種の「身分法」だからである。ヤクザ罪と言い換えてもよい。ヤクザの違法行為については現行刑法で十分対応できるにもかかわらず、この法律はヤクザの存在そのものを「社会の敵(反社会的勢力)」として否定することを目的につくられた。
 例えば、指定暴力団の構成員らが興行のチケットを誰かに購入するよう求めれば、取り締まり対象になる。構成員という属性やチケット売りという合法行為が構成要件となることは、「法の下の平等」や「罪刑法定主義」という憲法概念に抵触する恐れがある。
「ヤクザはろくでなしだから構わない」というのが、大方の世論の反応だ。しかし、そもそも社会には敵と味方があるのか。誰に敵と規定する権限があるのか。敵という規定とその排除の論理を肯定すれば、知らぬうちに誰もが対象とされかねないのではないか。この法律はそんな危うさをはらんでいる。
 暴排条例はより深刻な問題を内包する。例えば、東京都暴排条例には「都民等の責務」という項目がある。「暴力団排除活動に資すると認められる情報を知った場合には、(中略)当該情報を提供すること」が都民の責務だと記されている。警察当局にではなく、市民にヤクザとの対決を強いているわけだ。
 とはいえ、その効果はじわじわと浸透している。俳優の高倉健が二〇一四年に亡くなった際、大半の一般紙はその訃報記事で、彼が主演した任俠映画のスチール写真を使わなかった。「ヤクザ賛美」と受け取られることを恐れて、自主規制したのだ。すでに極道ネタを扱う一部の実話系雑誌やコミックは、コンビニなどの店頭から排除されている。
 そして現実のヤクザからは事実上、人権が剝奪された。ヤクザと認定されれば、証券取引はもとより、銀行口座は開けず、住居の賃貸契約もできず、ホテルや料亭、ゴルフ場の利用を禁じられ、生活保護など社会保障制度からも閉め出される。ヤクザだけが子どもの給食費を現金で収めざるを得ないのだ。
 それだけではない。市民もヤクザと付き合えば、ペナルティーが課せられる。ある建設業者は中学時代の同級生だったヤクザとゴルフをしただけで、役所から「密接交際者」と認定され、公共事業から外された。市民社会においては違法行為がない限り、相手が誰であろうと交流は自由なはずだ。だが、こうした「常識」はかき消され、ヤクザを踏み台にした「村八分」や「非国民」の論理が蘇っている。


「おれは昔、正業を持てと言うたけど、実業家になれと言うた覚えはない。いま、みんなどないしてカネもうけてンのやろうなぁ。外車に乗って、派手にして、みんなカネもってるやろ」「ええ、そうみたいやわね」「そりゃあなァ、警察の人間も腹立つやろな。外で、暑い暑い中、防弾チョッキ着て、給料安いのにやってはる。一方は涼しい顔して外車に乗って、なんや訳のわからん仕事してる奴がええカッコしとったら、そら腹も立つで」(『さようなら お父さんのせっけん箱』由伎著)
 一九八一年に亡くなった山口組の三代目組長、田岡一雄との会話を長女の由伎さんは自著にこう記している。
 暴対法や暴排条例によってヤクザ包囲網が狭まる中、二〇〇五年に前任の五代目組長、渡辺芳則(山健組二代目組長)を後継した山口組の六代目組長、司忍(本名・篠田建市)が掲げた路線は田岡イズムへの回帰だった。
 司は若い時分から、熱烈な田岡の信奉者で知られる。その田岡の真骨頂はリアリズムにある。はぐれ者が社会に存在し、暴走しかねない以上、それを食い止めるのは生活の安定(正業の獲得)と「組」という集団による抑制しかないという論理である。司もこの考えを踏襲するとともに、暴対法などを堅気(市民)が受け入れた背景には、ヤクザ自身の堕落もあったと考え、堅気と共存しうる「俠客」の復権を掲げた。
 現代社会に俠客など冗談か、時代錯誤にしか聞こえないが、司をよく知る愛知県警のOBは「あれは本気だ。そもそも弘道会の求心力は司の人間性、カリスマ性にある。裏表がなく、化石のようなヤクザだ。彼は五代目と違って『銭ゲバ』のタイプではない。暴対法以前は、われわれにも『若い者が何かやらかしたら遠慮なく言って下さい』とよく話していた」と振り返る。
 とはいえ、海千山千がひしめく極道世界である。言葉だけでは通じない。カリスマをカリスマたらしめた「右腕」がいた。かつては弘道会のナンバー2で、現在は六代目山口組若頭である高山清司だ。子分の一人は「親分(高山)は朝、顔を洗っているときからヤクザ。二十四時間、ヤクザという人」と漏らす。第三者には意味不明だが、緻密な情報力と群を抜いた戦闘力はその世界の誰もが認める。その豪腕により、名古屋の新興団体にすぎなかった弘道会(旧弘田組)を全国区の頂点にまで押し上げた。
 弘道会関係者の一人は「高山さんはかねがね『親分(司)は人が好い。俺は嫌われ者に徹する』と言っていた」と語る。先の愛知県警OBは「司と高山は『陽と陰』。司だけでも高山だけでも、あの世界のトップには登り詰められなかっただろう」と解説する。
 いずれにせよ、司の六代目就任により、弘道会の厳しい規律が山口組総体に持ち込まれた。しかし、奔放だった世界にある日、厳しい統制が持ち込まれれば、摩擦なしとはいかない。ただでさえ山口組は歴史的に関西が主流の組織で、名古屋の弘道会は外様だ。その外様がトップとナンバー2の座を独占し、「次の七代目も弘道会出身者から選ばれる」という憶測が流れる中、巨大組織のどこかに反逆の芽が吹いても不思議ではない。
 加えて、六代目山口組では下部団体に会費(上納金)のほか、一括した飲料水や日用雑貨の購入も課していた。会費とは別のその費用は「月に五万から二十万円」(神戸山口組系組員)など諸説あるが「収益は全て弘道会に吸い上げられている」(同)という非難が広まった。この点について、六代目山口組側は「暴対法下、民間の葬斎場が使えず、組の関連企業が組葬などの施設を運営している。水などの収益はその会社の運営資金だ」と反論し、水掛け論になっているが、どちらが本当かにさして意味はないだろう。ようは気にくわないのだ。
 水面下で不満が膨れる中、二〇一四年六月に高山が恐喝事件で収監された。満期出所まで五年四カ月。この不在が分裂の歯車を大きく回した。「鬼の居ぬ間」は分裂の好機に違いなかった。改正暴対法も分裂組には追い風になった。というのも、弘道会にどれだけ戦闘力があろうと、一昔前のような抗争を展開すれば、「特定抗争指定暴力団」規定などにより、組織ごと潰されかねないからだ。
 弘道会関係者も分裂が明らかになったころ、「若い者が下手にはねれば、親父(六代目組長)がパクられかねない。だから、自重を徹底している。抗争相手の死体が見つからなきゃ分からないなんて言う人もいるけれど、これだけ防犯カメラが溢れているご時世に、それも容易ではない。しばらくは互いにメディアを使った舌戦になるだろう」と見通した。


 この分裂はヤクザ界を動揺させた。最大団体の内紛という意味だけではない。極道世界は本質的に弱肉強食とはいえ、掟や筋目が絶対の世界だ。それに照らせば、「神戸」側に心情を寄せる人でも、その行動の正当化は難しかった。
ヤクザ組織は疑似家族である。その紐帯(ちゅうたい)は「盃」によって結ばれている。親子の盃を一度交わせば、親分は「親」。その出来がどんなに悪かろうと、子は耐えねばならない。それがヤクザ組織の原理だ。神戸山口組による分裂劇はそうした掟に反していた。
 盃システムの本質について、アウトロー学の碩学である作家の猪野健治が「極道になる人間は自分に自信がない人が多い。それゆえ、上の者に徹底して尽くすことで自らの存在証明を得ようとする」と説明してくれたことがある。すでに引退した山口組系の元組長も「神戸(山口組)の行動は謀反と見られても仕方がない。『盃』の重さが絶対だった自分たちの世代にはとても理解できない」と嘆息した。
 この元組長は続けて「今回は『山一抗争』のケースとは全く違う。山一のときは竹中(正久)さんの四代目(山口組組長)就任に不服な人たちが一和会をつくった。ただ、彼らは四代目と盃を交わす前に袂を分かっている。だが、今回は親子の盃を交わした者たちが反旗を翻した。これを許せば、ヤクザ社会の秩序が崩壊してしまう」と危ぶんだ。これが動揺の正体だった。
 もちろん、そうした掟はすでに幻想にすぎないという声もある。映画「仁義なき戦い」(広島死闘篇)で、千葉真一が演じた大友勝利というヤクザの「わしら、うまいもん食ってよ、マブイスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの!」という名セリフにこそ、ヤクザのリアリティーがあるという見方だ。
 俠客や仁義を前面に押し出した一九六〇年代の任俠映画と、「仁義なき戦い」など七〇年代のリアル感を強調した実録もの作品。前者を司路線、後者を神戸山口組になぞらえ、今回の分裂劇をヤクザ観の対立とみる向きもある。しかし、冒頭の神戸山口組に近い元幹部はそんな見方を一笑に付した。
「そんな面倒なことじゃないわ。神戸側の行動が筋目に反すると言えば、その通りやし、出て行った人間にはそれぞれ逡巡があったとも思う。けれど、しのぎ(稼ぎ)が乏しい時代に、水のことやら上納がきつすぎる。ヤクザは看板料を払ってしのぎをするが、看板料が実利より多ければ、商売は成り立たない。特に大阪は若い衆が独立し、跡目もいない『ひとり親方』が多い。財力も限られている。実情は謀反じゃなくて『逃散(ちょうさん)』ですわ」
 逃散とは平安時代、農民たちが領主の苛烈な徴税などに抗うため、他の領地に逃げた行為である。この説に従えば、今回の分裂劇は差し詰め、疑似家族からの集団家出ということになるのだろう。


 ちなみに暴力団の弱体化はアウトローの減少を意味しない。アウトローを生み出すのは暴力団ではなく、社会だからだ。そんなシンプルな現実が新たな問題を醸成する。
 そもそも、ヤクザの「先祖」は十九世紀前半ごろの無宿人である。追放刑などで村や人別帳から外れた者たちが徒党を組み、表社会の外に一家組織を形成した。彼らは博打などを収入源にしていたが、近代以降は炭坑や港湾、土木建設など肉体労働の領域での人材供給と統制役、または不安定な興業世界に根を下ろした。その後、敗戦直後の混乱期には弱体化していた警察の代役を務め、とりわけ関東のヤクザ組織は一九六〇年代前半まで「反共抜刀隊」「東亜同友会」など、右翼の党人政治家たちのお抱え暴力装置となり、体制の一部に組み込まれた。
 だが、産業構造が変わり、芸能はテレビと大手プロダクションが仕切り、治安維持も警察や自衛隊で完結できるようになり、党人派が官僚派の政治家に敗北するにつれ、その存在根拠は次第に薄まった。バブル期の地上げなど金融資本の下請けともいうべき汚れ役も担ったが、バブル崩壊後に資本の側の脅威になるや、「社会の敵」と突き放された。
 パチンコの景品買いといった伝統的な利権は警察の天下り機関に奪われ、建設業などへの介入はこの市場に参入を狙う米国から「非関税障壁」の一部と見なされ、ヤクザ排除は米国政府からの要求にもなった。こうして暴対法が登場してくるのである。
 だが、組という組織が崩されようと、アウトローは存在する。社会のモデルから外れる者はいつの世にも必ずいるのだ。一九六八年の警察庁の統計では、ヤクザになる動機の大半が差別と貧困で、九四年の全国暴力追放運動推進センター(暴追センター)の調査では、動機の二割が「自分のような者でも認めてくれる」という自己承認欲求型だった。動機は時代とともに変化するが、二〇一六年の現在、貧困も自己承認欲求も、そのレベルが昔より低くなったとはとても言いがたい。
 暴対法施行前夜、当時は現役だった先の愛知県警OBは「社会の矛盾がなくならない限り、ヤクザになる者は必ず生まれる。それをなくすことは警察にはできない。それゆえ、われわれの役割は彼らが市民に迷惑を掛けないようにすること。いわば、少年法の精神に近い。ヤクザ者の一掃など、現実を知らない霞が関の官僚の戯言。むしろ関係が遮断されれば、捜査もコントロールもできなくなる」と憤りを隠さなかった。
 猪野も「暴力団を考えるときに忘れてはならないのが、こうした社会的病理集団がなぜ生まれるのかという視点だ。『こんなに悪いことをしている』なんてメディアが書いたところで、当人たちがそれを一番知っているし、反発すらしない。問題はそうした人びとの受け皿が壊れてしまえば、彼らは抑えなく社会をウロチョロすることになる点。そのことの方が余程危ない」と、暴対法時代を懸念した。


 暴対法が施行されて、間もなく四半世紀。たしかに暴力団員は減った。
 警察白書によると、二〇〇五年には全国で構成員四万三千三百人、盃を受けていないか返した準構成員が四万三千人、計八万六千三百人いた暴力団勢力は、二〇一五年には構成員が二万百人とほぼ半減し、準構成員も二万六千八百人、計四万六千九百人にまで減少した。だが、この数字は暴力団が組織防衛のため、素行の悪い組員を破門、絶縁処分してきた結果であり、組の外縁部まで網羅した数字ではない。
 冒頭の大阪の元幹部は「大阪では愚連隊というか半グレまで含めれば、その数は全然減ってない。むしろ、増えている。反グレの後ろには組が控えている。飲食店のみかじめ料も、現在は『暴力団員』とはされない半グレが集めてきて組に上納している。半グレが途中で(みかじめ料の一部を)抜くから、集まる金額は昔より減っているが」と苦笑した。
 東京のある暴力団関係者も「堅気の人たちにとっては半グレの方がたちが悪いだろう。連中を含めれば、潜在的なヤクザ人口は減っていない。一般社会と同じで、ヤクザ世界も格差社会になってきた。例えば、反グレはヤクザの非正規雇用だ。連中も結局は組に使われ、何かやらかしても誰がやったのか、組員でないからなかなか分からない。それと一部の組は経済マフィア化して資金力を増している。証券会社などを不祥事でクビになった連中を『共生者』として集め、株式市場にも参入している。一方で、技能もなく、厄介ごとを起こしがちな連中は組からも破門され、行き場所を失い、ただの犯罪者集団に成り下がっている」と、極道業界を俯瞰した。
 暴力団が表だった活動を控えた分、盛り場も荒れがちだ。名古屋一の歓楽街、錦三丁目(通称・錦三)では、かつて作業服のような制服と帽子姿の弘道会の若い組員が夜間、二人一組で「パトロール」をしていた。酔客のケンカを見つければ、素早く仲裁し、タクシーに押し込んでしまう芸当を何回か見たことがある。
 しかし、十数年前に愛知県議会でこのパトロールが問題視され、それを機にパトロールは中止された。地元のタクシー運転手は「あれ以来、錦三でも妙な店が増えた。ぼったくりやら、不良外国人とつるんだ強引な客引きやらも横行してしまい、いまは荒れ放題」とぼやいた。
 ヤクザと縁の深い建設業はどうか。名古屋のある解体業者は、弘道会系の組長の「後援会」会員だった。後援会は十数年前に解散した。組側からの申し入れだったという。
「会費は会社の規模にもよるが、月に一万円から五万円ほどだった。一般に工事には住民との折り合いなど事前の『前さばき』が欠かせず、それにはヤクザの存在が不可欠。その意味で、会費は必要経費だった。以前はヤクザが地元下請け業者の意を酌んでゼネコンに対してにらみを利かせていたが、それもなくなって、最近はゼネコンのやりたい放題が目立つ。元請けのゼネコンがピンハネする工事代金の方が後援会費よりはるかに大きい。暴排の建前には逆らえないが、私らにとってメリットは何もない」
 暴排運動によって、大企業には「警察の指導」で警察官OBが暴力団対策の専門家として再就職し、各都道府県には「暴力追放運動推進センター」や「社会復帰対策協議会」といった官製団体ができた。作家の宮崎学はこれらを「天下りのための警察のコンプライアンス利権」と批判する。
 ただ、それらの機関がさして機能しているとも思えない。愛知県警OBは「例えば、企業の担当者がセンターに『取引先の誰それは暴力団の関係者か』と問い合わせたとする。しかし、たいていの場合、個人情報保護ということで回答を控える。結局、途方に暮れるのは企業の担当者だ」と実状を明かした。


 ヤクザなどいない方がいい。そう話すヤクザは少なくない。ただ、人も社会も生身ゆえ、完璧ではない。こけることがある。
 魔も差すだろうし、病に伏せることもある。そうした人生のままならなさに人が謙虚だったころ、社会には相互扶助のための各種の自治や自律があった。自律とは掟であり「一宿一飯」はその典型だったといえる。
 だが、バブル期を頂点に人びとは次第に不遜になっていったのだろう。バブルが弾け、新自由主義が社会を席巻し、食えないことが「自己責任」と片付けられる時代になって、気がつくとしがみつこうとした相互扶助のシステムはすでに崩壊していた。自治や自律に基づく人間関係は、法の名の下に国家にがんじがらめにされていた。
 人間社会は複雑系だが、最近ではそれを国家の法に反するか否かを絶対基準とする警察的な単純思考が支配している。人としての情理が上位で、法は下位なんてことは一昔前には当たり前の話だった。敗戦直後、闇市を糾弾する者などどこにもいなかった。しかし、いま、ネットを見れば、何かにつけ「違法行為」と鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる人びとがいる。「コンプライアンス」信仰は社会の奥深くに浸透している。
 かつてヤクザ組織はアジールだった。アジールとは古くはユダヤ教の祭壇やギリシャ、ローマ時代の神殿、日本の寺社仏閣であり、そうした聖域には世俗的な権力は侵入できなかった。つまりは困窮者の逃げ場所である。六〇年安保闘争を担った全学連の委員長、唐牛健太郎らも一時、山口組三代目組長の田岡の世話になり、糊口をしのいでいる。
 そうしたアジールを支える自律性をヤクザ自身が疎んじ、それも一因として「暴力団排除」の嵐が吹き荒れ、生き残るために再びその自律を取り戻そうとしたのが、六代目組長の司による俠客原理主義路線だったのだろう。六代目山口組の直系組長の一人は「地下に潜行してマフィア化する道もあるだろうが、日本のヤクザは社会の片隅で堅気と共存してきた。その道を警察なんぞに潰されてたまるかという意地がある」と意気込んだが、その山口組はいま、分裂という隘路にはまっている。
 人は誰もがこけかねない。アウトローに転落しかねない。転落者を叱りながらも、そうした人びとをどこまで抱き込むことができるのかが、社会の懐の深さのバロメーターである。だが、日本ではいまやヤクザになる自由すらない。ときに追い込まれ、孤独に苛まれた人びとが同類を巻き込むように自爆している。
「社会の敵」と喧伝されるアウトローの窮状は、一人一人の市民の生きにくさに直結している。(敬称略)

(第5回 了)
(2016年08月09日掲載)

田原牧

「1962年生まれ。87年、中日新聞社入社。名古屋社会部、カイロ支局勤務などを経て、現在、東京本社(東京新聞)特別報道部デスク。2014年、『ジャスミンの残り香――「アラブの春」が変えたもの』で第12回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『イスラーム最前線』『ネオコンとは何か』『ほっとけよ。』『中東民衆革命の真実』などがある。

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