2008年発行の集英社新書『新・都市論TOKYO』では、汐留、丸の内、六本木ヒルズなど、都心の超高層再開発への取材から、21世紀東京の行き詰まる現状を提示した。
世界同時不況、石油エネルギー危機、格差の拡大。東京の未来は安泰ではない。都市にかかるプレッシャーは今後も重くなる一方だが、それらは、超高層再開発という20世紀的な手法では解決し切れないことが、前回のサイト・ハンティングでは明らかになった。
人々は、時代のプレッシャーから日本人と都市を解放する、次のきっかけを求めている。そのきっかけこそが「都市」の対極にある「ムラ」である。
「ムラ」とは単なる前近代の共同体を指す言葉ではない。「ムラ」とは、固有の場所であり、多様な生き方と選択肢のよりどころであり、人が存在する価値を「エコノミー」ではなく「ライフ」に振り戻す境界地のことである。そして21世紀においては、最先端の感性とネットワークが集まる磁場をも意味する。
東京が抱える限界に突破口はあるのか。東京、そして日本にある選りすぐりの「ムラ」を歩きながら、2人は都市の先にある日本を論じていく。
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第2回「下北沢:後編」
Introduction by 隈研吾
戦後の“亡霊”がシモキタに降りてきた
隈 で、ここに道路が通るんですか?
清野 はい。補助54号線は、こういった店があるエリアに、幅員26メートルでだーっと通されるわけです。しかも26メートルの幅で計画されているのは、スズナリの裏手から東洋百貨店が面している「しもきた商店街」の通りまでなんですね。
隈 でも、しもきた商店街までって、ここ、賑わいのど真ん中じゃないですか。
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隈 しかし60年以上前の計画でしょう。敗戦直後の亡霊のような道路計画が、なんで今ごろ、実施されようとしているんですかね。
清野 きっかけは小田急線の地下化です。住宅街を東西に貫通する小田急線は、高架化が遅れ、「開かずの踏切」が地域のモータリゼーションにとって、ずっと大きな課題でした。しかし高架化にしろ、地下化にしろ、この工事には民間企業単体ではまかなえないほどの莫大な予算を必要とします。その時、問題を解決する手段として「道路特定財源制度」(注10)があったんです。
隈 道路特定財源制度。それこそが高度成長を支えたという、田中角栄が作った妙なシステムですよね。
清野 道路特定財源は過去にも全国の「開かずの踏切」対策に使われてきました。小田急線の「代々木上原」駅(渋谷区上原)から「梅ヶ丘」駅(世田谷区代田)の間を、連続して地下化することは、当該区間にある9つの踏切をなくすことにつながります。ということで、道路開通と抱き合わせにしたプロジェクトが誕生したんです。
隈 小田急の地下化というのは、どんな計画なんですか。
清野 下北沢駅の改札のすぐ隣りに、小田急が設けたコーナーがあるので、そこに行きましょう。
──「工事情報ステーションシモチカナビ」へ。
隈 「私たちは『開かずの踏み切り』などへの重点的な対策『踏み切りすいすい大作戦』に取り組んでいます。東京都・世田谷区・渋谷区・小田急電鉄」だって。
清野 かわゆいモグラのキャラクターが歓迎してくれますね。でも、私の知人がここで人と待ち合わせをしたら、「見学以外の方は使わないでください」って、係の女性から注意されたそうです。
隈 それはまたずいぶんと冷たいですね。
清野 工事区間の町並みの模型が展示してあったりして、確かに待ち合わせ専用スペースではないのですが、でも模型を見たって下北沢駅がどうなるかは、しかとは分かりません。モグラさんたちはノー天気に笑っていますが。
隈 事業費はどうなっているのかな。
清野 ということで、係の方に聞いてみましょう。「東京都が600億円、小田急電鉄が600億円の計1200億円です」──だそうです。
隈 アバウト過ぎて、よく分かりませんね。
清野 実は、小田急線地下化を中心にした、下北沢再開発計画の事業費の内訳は非常に複雑です。全体事業費は1258億円ですが、その内訳を要約すると、以下になります。(出典は注11)
○国:307億5000万円。
○東京都:215億2500万円。
○世田谷区と渋谷区:92億2500万円。
○鉄道建設・運輸施設整備支援機構(国の独立行政法人):593億円。
○小田急電鉄:50億円。
隈 いってみれば、小田急の50億円以外はみんな税金ということですね。1208億円:50億円って、シモチカナビで言われたことと違うじゃないですか。
清野 その辺が超複雑なのですが、鉄道・運輸機構が行う小田急線の複々線事業が、完成後に小田急電鉄に売却されるから、そこを組み入れて、小田急サイドでは「600億円を負担」という言い方になるのです。
隈 なるほど。
清野 ただし、だからといって小田急が事業リスクを負っているかというと、実情はそうではありません。買い取りは25年年賦の低利で、その資金も国からの融資が適用されます。工事や設計も、鉄道機構から小田急に発注されています。(出典・注11と同)
隈 小田急にとっては、ローリスクで線路の地下化が果たせ、しかも駅ビルや線路跡地という不動産の余禄まで付いてくる。道路特定財源のおかげで、非常においしい思いができるわけですね。
逆説的に洗練されていく市民
清野 そういった背景で多額の税金が投入されているのに、再開発の概要や予算の内訳は、一般市民に分かりやすく公開されていません。たとえば線路が地下化した後の地上部分は、まさしく公共空間として市民の新たな資産になるわけですが、そのあたりの情報発信についても、行政の反応は鈍い。再開発そのものへの疑問と同時に、今どきそういう税金の使い方が許されるのか、という声が市民サイドからは上がっています。
隈 それは当然のことだと思いますね。本来ならその跡地利用の方法こそが、下北沢の新しい価値になるのに。
清野 その意味で世田谷区に新しいビジョンはあまり感じられません。世田谷区では、道路開通の暁には、駅周辺で高いビルが建てられるよう、地区計画を見直しています。駅と54号線周辺のビルは17階まで建てられるし、ほかでも5〜7階建てが建てやすくなります。
隈 昭和の発想から一歩も進んでない。
清野 ビルが建ち並べば、おせんべい屋さんや本屋さん、生地屋さんなど昔からの商店や、小さくて個性的なファッションの店、カフェなどが並ぶ、今のシモキタの雰囲気はなくなってしまうでしょう。
隈 路地が壊滅するわけですからね。
清野 それに対して内外から市民運動が起こっていることも、またシモキタらしいといえます。下北沢にある約500の店主による「商業者協議会」や、都市計画の専門家による「下北沢フォーラム」では、行政計画の問題点を指摘するだけでなく、改善案の提出も行っています。再開発の見直しを求める「Save the 下北沢」は、地元住人に限らず、下北沢を愛する多くの人の声を集めて、開発反対のアピールを続けています。その声の中には、坂本龍一さんも入っておられるんですよ。
隈 著名な文化人も多いんですか?
清野 よしもとばなな、ヴィム・ベンダース、リリー・フランキーさんを初め、そうそうたるメンバーです。さらに2006年には「まもれシモキタ! 行政訴訟の会」が国と東京都を相手に開発計画中止を求める行政訴訟を起こし、それが継続中です(09年6月現在)。
私は市民運動のホームページと行政のそれとを読み比べてみました。もう、お話にならなかったですね。
隈 どうお話にならなかったんですか。
清野 行政や企業サイドが説得力において、まったく劣っている、ということですね。町の将来像に対して、市民の方がずっと明確なビジョンを持っているし、それを実現させるためのロジックもアクションも、行政とは比較にならないほど洗練されている。言葉によって誰かを説得する、ということは非常に大事なことなのですが、行政にはそういう言葉がありません。
隈 たとえば市民側はどんな代替案を出しているんですか。
清野 「下北沢フォーラム」が提案する案は、
○補助54号線の第1期工区になっている町中部分は、早期着工の意味が見出せないので、第3期工区に移行する。
○駅前広場は人が集まる場所とし、ロータリー機能は北沢タウンホール近くに整備する。あるいは、バス・タクシーだけ一方通行で駅前広場内に周回させる。いずれにしても車はなるべく誘導しない設計にする。
というものです。ほかに、
○防災は、小田急跡地を災害時の避難路・緩衝地帯として早期に整備し、各所に防災水槽を埋め込んだポケットパークを適切に配置することで対応する。
○地区内の建物の高さは22m、16mの地区計画原案を支持し、高さの特例制限は認めない。
○道路からの壁面後退のルールなどは細かい地区ごとに熟考し合意形成をはかる
という提案がなされています。(注12)
隈 これらは、ものすごく真っ当ですよね。「下北沢フォーラム」には都市プランナーの重鎮である蓑原敬さんや、明治大学工学部教授の小林正美さんといった、経験豊富なプロが参加していますね。彼らが腰を据えて作っただけのことはあるな。普通、巨大な再開発VS反対住民という対立は、どちらもレベルが低くて、感情的にカッカとするだけの事態に陥りがちだけど、この代案は冷静でリーズナブル。20世紀のモータリゼーションに替わる、新しい時代の原理が来つつある、という大局的な歴史観が背後にちゃんと感じられます。
清野 大局的な歴史観こそ、足元の生活感覚の中から生まれてくるものでしょう。
隈 余談ですが、蓑原さんは元・建設省のバリバリのお役人で、自分が法律を作ってきたから、制度というものの必要性も限界も、多分、両方分かっているんですね。単なる評論家とは、そこがまったく違っています。
──駅前市場の中にあるカフェ兼立ち飲み場。ビニールの寒さよけの中に、カウンター含めて1坪ほどの親密な空間がある。チャイ500円。
隈 こういう穴倉的な空間って、都市のモラトリアムとして貴重ですよね。さて、下北沢で起こっていることを整理すると、要するに「開かずの踏切問題」が、すべての再開発計画のルーツになっているわけですね。
清野 そういうことになります。
隈 「踏切」というものは、いまや貴重な文化遺産なのだから、それが残っている、ということをポジティブにとらえるというオプションがあってもいい。踏切のある風景っていいですよ。
清野 つまり、踏切すいすい大作戦は余計なお世話だ、と。隈さんからすごい論理が出てきました。
隈 車の時代が終われば、都市計画はまったく違ったものになるかもしれない。そのぐらいの発想の転換があってもいいってことです。
ファミレス、コンビニが誘導されるまちづくりは失敗作である
清野 でも、隈さんご自身が町を歩くなり、車を運転するなりしていて、「開かずの踏切」に毎日直面していたら、きっと違うことをおっしゃると思います。
隈 「開かずの踏切」が渋滞を引き起こし、住宅街に排気ガスを撒き散らすことで、地域に迷惑を与える、ということは、僕もよく理解できますが、そもそもモータリゼーションを前提として町を判断するから、こういう再開発計画になっていくんです。下北沢ってファミレスがないですよね。新古書店の大型店舗もない。それとコンビニも少ない。
清野 代わりに個人商店の活気がある、という町です。
隈 21世紀に町を再開発するなら、まず、道路を「敵」にする発想が必要だと思います。ファミレス、コンビニ、新古書店が誘導される町は、まちづくりとして失敗だ、ぐらいに頭を切り替えなければ。
清野 日本の現実は、それがいかに難しいか、ということなのですが。
隈 そうですね。でしたら次に、踏切問題だけを解決して、道路はなし、という方策を検討するべきです。つまり鉄道を地下化して、広い道路を作らない。
清野 その場合、ごく単純にいうと、小田急電鉄が事業費をまかなうことになります。すると、運賃をとんでもなく値上げする必要が出てくるでしょう。
隈 まあ、それでは社会的なコンセンサスは得られないですね。
清野 だから公共的な意味合いからいって、道路特定財源を使うのだ、となります。私は決して道路特定財源の利用を肯定しているわけではないのに、そういう理屈に進んでしまいます。
隈 だったら税金は使わない、という選択肢を検討しましょう。道路特定財源制度ではなく、地区の中である種の開発を実行して、それを財源に解決を図る道はないのか、と僕は考えます。
清野 隈さん、さすがです。で、どうやって?
隈 駅前から少し離れた場所で、駅の猥雑さとまったく関係ないところにまとまった土地を確保して、そこだけ容積率を上げて商業的採算が取れる開発を行う、という途もある。それが駅の真上だってかまわないんじゃないかな。
清野 真面目におっしゃってますか。
隈 もちろんです。だいたい道路特定財源という、自動的に道路を作るしくみの税金は、インフラ整備ができてなかった20世紀、それも戦後復興期のもので、それを下北沢に適用しようとするのがムリですよ。
清野 実は小田急線の地下化では、道路を作らない、という選択肢もあるんです。
隈 どういうことですか。
清野 2001年に、道路特定財源制度の採択基準の変更があり、鉄道の地下化は、踏切問題の解決になるのであれば、道路の新規建設と抱き合わせでなくてもいい、ということになったんです。
隈 だったら、それで解決するシンプルなオプションもある。
清野 シンプルに解決できないのは、複雑であることで、利益を得る人がいるからです。
隈 都市計画って結局、「闘い」なんですよね。地主、鉄道会社、行政、住民、とさまざまな当事者が、それぞれの利益を守るために、都市計画という戦場で闘っている。
清野 地元住民の間でも、今の路地的空間を愛する人、再開発で自分の土地にビルが建てられて儲かればいいじゃないかと考える人、と、思惑はさまざまです。
隈 対立する「敵」の思惑、立場を理解した上でならば、闘いはいずれ何かに結び付いていく。でも、事情が複雑になればなるほど、今度は闘いそれ自体が、いつの間にか自己目的化していくこともある。
清野 私たちも当事者ですか?
隈 僕らのような、表面的には下北沢に縁のないように見える連中だって、タックスペイヤーなんだし、今の時代の法律や制度に人生を規定されているわけです。だから、そういう事情をちゃんと分かって発言する訓練をしなきゃいけない。下北沢は、その訓練のためには、またとない「闘い」の場ですよね。
清野 難易度はどのくらい?
隈 とても高いですよ。そもそもこの町って、いちばん20世紀的でない場所でしょう。
清野 どういう意味ですか。
隈 車がないと生活できない郊外ではなく、人の足を優先に発達した品のいい住宅街で、キャピタリズムではなくリベラリズムの産物だという意味です。都市でなく、郊外でなく、ましてや田舎ではない、ある種、特権的な場所です。
だいたい小田急(注13)という電鉄会社自体が、ちょっと浮き世離れした会社でしょう。だからこんな街が残っちゃった。浮き世離れは、時としてとても面白いものを生むんですよ。
下北沢は、意に染まぬ結婚など必要ない、老いたお嬢様
清野 逆に、20世紀的な場所とは、どういうところなのですか。
隈 道路特定財源って、田中角栄の「日本列島改造論」と同時に登場したものでしょう。ですから、例えば角栄のお膝元の新潟県の豪雪地帯のように、大量消費社会に転換する時点で、そういった「改造」が切実に求められた場所のことです。そういう角栄的な制度と、下北沢のような東京の私鉄中流文化は、そもそも合わないですよ。
清野 確かにまったく合いませんよね。
隈 下北沢は、気の進まない結婚なんかしないで、恵まれたモラトリアムを楽しんできた老いたお嬢さまなんですよ。昔、けっこう周囲にいたじゃないですか。戦争のドサクサや何やかやで結婚しなかったけれど、別にそれが不幸でも何でもなかったという女性が。僕の身近にも、読書や芝居が好きで、歳を取ってもゴルフや麻雀といった遊びをマイペースで楽しんでいたような、独身の叔母達がいましたよ。僕は、そういう叔母達が、実は大好きだった。
清野 隈さんのお話を聞いていて、思い出しました。ピアニストのフジ子・ヘミングさん(注14)も下北沢の住人で、2000年公開の映画『ざわざわ下北沢』(注15)にも登場しているんです。
隈 フジ子・ヘミングが下北沢にいるんですか? それ、分かりすぎるなあ。再開発というのは、そんな人に無理やり、つまらない結婚を強いるような行為で。
清野 同じ下北沢エリア、世田谷区代田には、森鴎外の長女、森茉莉(注16)も住んでいました。
隈 元祖ですね。
清野 「老いた」まで行かなくても、今はアラフォーの独身女性の存在が「晩嬢」(注17)などと名付けられ、消費市場でクローズアップされています。目もセンスも肥えた彼女たちが結婚するとしたら、よほどの相手でないと・・・・・・という思いは強いことでしょう。
隈 でしょう。よくある道路抱き合わせの再開発なんかが相手だったら、それまで何のために結婚しないできたか、その意味すら失われてしまう。結婚って、つまりハコモノ建築のことですよ。いろいろな手続きを踏め、と周囲に強制されて、親とか親戚とか、わけのわからない人たちが次々と出てきて、人間関係にがんじがらめにされる。そういう旧弊な地方的因習です。
清野 では老いたお嬢さまはどう生きればいいのでしょうか。
隈 自由気ままを保ったまま、朽ちていけばいいんです。
清野 それって、超難しい・・・・・・。
隈 そう。そこは非常に厳しい点なんです。モラトリアムは、若いうちは心地いい。ですが、それを一生貫くとなると、ものすごい精神的タフネスがいる。
清野 丹下健三の大建築時代から、磯崎新のポストモダンを経て、ポスト・ポストモダンの旗手として隈研吾が登場しました。しかし、旗手といわれた隈さんは今、大御所のポジションに移行しています。建築家の流れを概観しても、建築家が個人の名前で勝負をかけたのは隈さん世代までで、それ以降の世代の建築家たちは、自分たちの会社名に「みかんぐみ」(注18)、「アトリエワン」(注19)といった、ゆるいセンスを、あえて打ち出しています。「隈研吾建築都市設計事務所」と「みかんぐみ」って、すごく対照的なネーミングです。
隈 いえ、僕自身、『10宅論』(トーソー出版、後に、ちくま文庫)なんていう“スタイルの決定不能論”でデビューしたようなユルいヤツだったので、下の世代による戦略的なユルさを否定する気持ちはまったくありませんよ。丹下健三、黒川紀章時代、建築とは権威を補強するシステムのことで、そのシステムと最も相性のいいコンクリートが建築言語でした。僕はそれに対抗する価値をずっと建築に求めてきた。というか、すべての新しい創造はモラトリアムから出発する。悩みに悩んだ末に、新しいものが出てくるんです。現代のムラというものは、そんなモラトリアム人間に居場所を与える、空間的な仕組みの別名なんです。
清野 ただ、モラトリアムって、生きる感度が鈍く、展望がないことにも、容易に転化しますよね。人それぞれの生き方までには関与はしませんが、やはり建築言語には鋭さはほしいし、それはまちづくりに関しても同じです。
隈 確かにモラトリアムの解釈は微妙なものですね。学生時代は、ただモラトリアムの中にだらだらいて、就職したらしたで、サラリーマンというモラトリアムに移行しただけ、という学生も山のように見ていて、教師ともなると、「オマエら、いい加減にしろ!」って言いたくなる(笑)。
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社会科学系の古書を扱う「気流舎」のオーナー、加藤憲一さんは1975年生まれ。大学では物理学を専攻しましたが、中退してデザイナーに針路変更し、日本デザインセンターに勤務しました。
隈 デザイナー志望の若者としては順調な就職先ですよね。
清野 ところが、彼は会社の仕事がまったく面白くなかったそうです。その理由は「高度成長期の企業、大量消費社会を何の疑問もなく肯定するものだったから。企業の言うなりに何かをデザインするのはつまらない」。会社を辞めることに躊躇はまったくなかったそうです。
隈 いいことを言いますねえ。そういう自己懐疑、自己否定というものは、都市計画のような仕事に最も必要とされるものなんです。というか、セルフ・ディプリシエーション(自己懐疑、自己否定)のない人間は、都市計画に携わってはいけない、とすら思う。さきほど、都市計画というのは「闘い」のことだ、って言いましたけど、利害が反する相手の立場がよく分かって闘った時に、この闘いは初めて、豊かな結果を生むんだよね。相手の立場がよく分かれば、当然、セルフ・ディプリエーションやユーモアも生まれてくる。相手を認めないぞ、という子供のケンカでは、都市なんて作れるわけがない。
都市計画は、その辺のオバチャンが笑えるものでなければならない
清野 加藤さんとお話するのは面白かったです。企業組織を抜け出して個人商店を構えたという転換にユルさはなく、むしろ鋭く、美的な感覚をもって社会に向き合っていると思いました。
隈 あれだけ中央集権的、官僚的なフランスの国家体制の中で、パリという美しい首都が成立しているのは、都市計画に携わる人たちの間に自己否定があるからですよ。それはつまり諧謔性のことで、インテリジェンスと必ず一対になっている。特にフランスではそれが顕著で、彼らの間ではウィットとエスプリを伴わない都市計画はないんです。僕もフランスに事務所を開いて、フランス人と付き合うのは本当にしんどい、ということが身に染みて分かりましたが、同時にとても面白い。
清野 隈研吾以降の建築家に、そういうウィットはありますか。
隈 それこそ「アトリエワン」とか、藤本壮介(注20)とかは、諧謔性を以って、表現を開拓していますよ。ただ彼らにしても、ウィットは狭い建築家の輪の中でだけに留まっている嫌いがある。都市の諧謔性というのは、道を歩いているその辺のオバチャンに通じるものでなければ、本当の力にはなりません。1960年代には丹下健三が「東京計画」なんていう巨大な都市計画を打ち出して世間をびっくりさせたけど、オバチャンのリアリティとは関係なかったもの。
清野 「東京計画」という名称は、初めて聞きましたが、今や時代錯誤というか、レトロというか。
隈 「東京計画1960」というんだけど、高度成長にさしかかって、実質的に公的なもの、政治的なもの、経済的なもの、すべてが下降線に入った時に、落日のエリートがムリに、その右肩下がりの流れに対抗して描いた、浮き世離れの妄想に過ぎなかった。落日に身をまかせて腐っていく勇気がなかったんだよね。
清野 そう言い切ってしまいますか。
隈 だから、笑えるどころか、寒すぎた!都市計画はオバチャンを巻き込まないといけないし、そのためにはユーモアのセンスがいる。お笑い芸人は、同世代だけじゃなく、ちゃんとオバチャンだって笑わせられるじゃないですか。建築家もそのぐらいのユーモアセンスを持たないと、世間は乗ってこないし、都市は変えられないよ。腐っていく時代にこそ、お笑いがいる。
清野 必要な目線は、大都市の権威に「すがる」ことではなく、「笑う」ことなんですね。それこそ下北沢にふさわしい感じがします。
[注]
注10)道路特定財源制度
1953年、田中角栄を筆頭とする議員立法で作られた税制度。財源は揮発油税、自動車重量税など。道路の利用者が道路の建設、維持費用を負担する受益者負担の原則に基づくものだが、地下鉄、モノレール、路面電車のインフラ整備や街路樹の維持管理、開かずの踏切対策にも使うことができる。線路の連続立体交差事業の場合は国の補助のもと、自治体の負担で行われる。
注11)世田谷区議会議員、木下泰之さんらの調査による。
注12)再開発のアイディア
再開発へは市民サイドからの提案もある。下北沢の再開発については、エール大学、ハーバード大学のデザイン学部や、明治大学院が演習テーマとして取り上げた。エコロジー都市として知られるブラジル・クリチバの元市長、ジャイメ・レルネル氏も、小田急線地下化跡地に、小劇場と遊歩道をつくるアイディアを市民団体の「下北沢フォーラム」に寄せている。行政、企業との対決姿勢だけでなく、2008年には、世田谷区、小田急と共に、小田急線跡地の有効利用を考える、とする市民団体「あとちの会」も発足。
注13)小田急電鉄
1923年(大正12年)、実業家、利光鶴松が経営していた鬼怒川水力電気を親会社に、小田原急行鉄道株式会社として創立。41年、小田急電鉄株式会社と改称。新宿駅をターミナルに、渋谷区、世田谷区を横断して神奈川県へいたる郊外型私鉄として成長。50年代に登場した、東京と箱根を結ぶロマンスカーはリゾート列車の先駆けとなった。東京で私鉄のストライキが盛んだった70年代、80年代にも、小田急だけは行わない、ということでも有名だった。
注14)フジ子・ヘミング
ピアニスト。ロシア系スウェーデン人の父と、日本人ピアニストの母との間に、ベルリンで生まれる。東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒業後、国立ベルリン音楽学校卒業。将来を嘱望されていたが、国籍取得の困難や聴覚の異常など、数奇な半生を過ごし、99年にNHKのETV特集『フジ子〜あるピアニストの軌跡〜』で人気がブレイク。多くのファンを獲得した。
注15)『ざわざわ下北沢』
市川準監督の映画で2000年公開。98年に開業した映画館「シネマ下北沢」(のちに「シネアートン」、08年閉館)の創設者たちが、下北沢への愛を込めて制作。原田芳雄、フジ子・ヘミング、岸部一徳、テリー伊藤、柄本明、豊川悦司、鈴木京香、広末涼子、田中麗奈、樹木希林、渡辺謙ら、多彩なシモキタ愛好者が出演。
注16)森茉莉
1903ー1987。小説家、エッセイスト。森鴎外の長女。2度の離婚を経て47年より、文筆を生計にしながら、世田谷区で1人暮らしを始める。代表作に『甘い蜜の部屋』『恋人たちの森』『贅沢貧乏』など。現実の生活能力に著しく欠けていた一方、浮き世離れした感性と美意識が他に類なく、現在に至るまでファンを獲得し続けている。森茉莉が暮した世田谷区代田周辺には、萩原朔太郎、坂口安吾、石川淳らも住んだ。
注17)晩嬢
博報堂生活総合研究所の山本貴代が、2008年『晩嬢という生き方』(プレジデント社)で、30歳以上の独身女性たちを「晩嬢」と名付け、旺盛な消費形態を分析した。
注18)みかんぐみ
1995年、加茂紀和子、曽我部昌史、竹内昌義、マニュエル・タルディッツの4人により設立。代表作に、東京日仏学院の改修、NHK長野放送会館、横浜市の現代美術拠点Art BANKの改修など。
注19)アトリエワン
1992年、塚本由晴、貝島桃代により設立。個人住宅、集合住宅などの小規模建築や、展覧会などでユニークな創作を続けている。
注20)藤本壮介
1971年生まれ。2000年、藤本壮介建築設計事務所設立。2007年、「情緒障害児短期治療施設」で、日本建築大賞受賞。
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