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中東から世界を見る視点

川上泰徳

(6)クルド独立の住民投票が意味するもの

 イラク北部のクルド地域政府が、独立の是非を問う住民投票を9月25日に実施した。92%の「賛成」で承認されたという。この住民投票の実施について、イラク、トルコ、イランという周辺国が反対し、欧米や国連も延期を求めていた。住民投票が実施された背景と、今後のイラクと中東に何をもたらすのかを考えてみたい。

イラクの「警告」は実効性なし?

 まず、この住民投票によって、イラクのクルド地域が独立に向けて動き出すかのような見方があるが、住民投票前後の状況を見る限り、それほどの緊張感はない。イラクのアバディ首相は住民投票の実施に反発し、「投票が暴力を招く事態になれば軍事介入する用意がある」と警告した。クルド地域政府に隣接する油田都市キルクークでも住民投票が実施されることを念頭に置いた発言である。しかし実際には、イラク政府がキルクークにイラク軍を展開して投票を阻止するような動きも、キルクークに向けて軍を増強する動きもないようだ。

 住民投票で表舞台にたったのは、クルド地域政府大統領で、クルド民主党(KDP)のマスード・バルザニ議長だ。バルザニ議長は住民投票前日の記者会見で、「住民投票は民衆が何を望んでいるかを明確にさせるものであり、境界を画定するようなことは何もない。住民投票後に、イラク政府との長い協議が始まる」と語った。

 アバディ首相は住民投票の後、北部のアルビルとスレイマニアにある空港の管理をイラク政府に移譲するよう求め、移譲しなければ国際便の発着を禁止する措置をとると決めた。さらに、クルド地域のすべての石油収入をイラク政府の管理下に戻すことを求めた。

 しかし、アバディ首相の要求は、クルド地域政府が拒否したら、実行できないことばかりである。国際便の発着の禁止を強制する手段はなく、国内便には影響しない。となれば、バグダッドからクルド地域の間の飛行機の運行もこれまで通りである。

クルド地域政府は「政治的なプレーヤー」になった

 イラク政府がキルクークでの住民投票を阻止できないのは、2014年6月に「イスラム国」(IS)がモスルを陥落させた後、「ペシュメルガ」と呼ばれるクルド人地域政府のクルド人部隊によって、キルクークが支配されているからである。この時、イラク軍治安部隊はISの前進を恐れて、キルクークから敗走した。キルクークがISの手に落ちるのを阻止したのはクルド人部隊だった。

モスル奪還作戦に参加するクルド人部隊(ロイター/アフロ)

 クルド地域政府は、すでにイラクの支配下にはない。今回の住民投票は、イラクでのクルド人勢力がすでに政治的・軍事的に得ている独立的な立場を、国際社会で誇示する意味がある。バルザニ議長はそれまで、クルド地域政府の大統領と言っても、国際的に注目されたことはなかった。しかし、今回、住民投票の実施をめぐって、欧米や国連やトルコやサウジアラビアの特使がバルザニ氏と会談した。さらに住民投票が圧倒的な多数の承認を受けたことで、今後、バルザニ氏はクルド人の意思を担う人物として浮上した。

 バルザニ氏には、自らが、イラクや中東の安定のために国際社会が対応しなければならない政治的なプレーヤーになったことをアピールする狙いがあるだろう。重要なのは「政治的なプレーヤー」ということである。

トランプ政権がクルド人に独立への希望をもたらす?

 クルド地域政府の独立を問う住民投票について書かれた分析記事の中で、ハーバード大学ケネディ行政大学院の国際安全保障問題研究員モルガン・カプラン氏が、米国の「フォーリン・アフェアーズ」誌で2017年4月に書いている「トランプ大統領がイラクのクルド人に独立への希望をもたらす」が参考になる。

 この中でカプラン氏は「最近、イラクのクルド地区を訪れて、多くの政治家、役人、ビジネスマンと話をしたが、彼らは『トランプ政権はクルドの独立について新たな好機をつくりだしている』と信じていた。クルドの民衆はトランプに対して、概ね、より楽観的である。イラクのクルド人がトランプ政権に大きな期待をかけているのは、米国の外交問題の専門家たちが同政権について懸念としていることの裏返しなのである」と書いている。

 トランプ政権では米国の伝統的な外交を担ってきた専門家は外された。トランプ大統領自身、外交には不慣れであり、政権は従来の外交方針に縛られない立場をとっている。「米国務省は国家の領土統一を支持し、国家ではない存在を相手にしないとする外交政策を深く染みつかせているため、クルド外交についてはいつも埒が明かなかった」とカプラン氏は書く。

 これまで米国にとってクルド人は政治的プレーヤーではなく、外交の相手ではなかったということである。それに対して、「トランプ大統領はすでに確立された米国の政策や関係に縛られないことが知られている」とし、その例として、就任前に台湾と連絡をとり、米国の「一つの中国」政策に縛られないと示唆する発言をしたことをあげている。

 トランプ氏が、伝統的な米国外交とは無関係のティラーソン氏を国務長官に指名したことにも、イラクのクルド勢力は「米国が伝統的な外交政策から離れて、クルド人国家の承認に向けて動き始めたという期待を持った」としている。ティラーソン氏は2011年にクルド地域政府が石油メジャー大手エクソンモービルとの間で新たな石油鉱区に関する調印を行なった時の同社CEOであり、クルド地域を友好的にみるという期待である。

 カプラン氏は「トランプ政権の、柔軟性のある新たな外交政策はクルド勢力にとっては思わぬ好機だが、トランプ大統領の政策は変わりやすく、状況の変化によって、反対方向に動く可能性もある。とりあえず、クルド人にとっての希望の窓は、いまは開いている」と締めくくっている。

 カプラン氏がイラクのクルド地域を訪れたのは2017年春であろうが、この記事以外にも、トランプ大統領がイラクのクルド地域で人気が高いという記事がある。生まれた子供に「トランプ」と名付けたというものさえある。

クルドと米国の、軍事的・経済的蜜月関係

 2016年10月にイラクのモスル奪還作戦が始まり、イラク軍とクルド人部隊が共同作戦をとっている。米軍は両者を支援して、空爆を行っている。イラク政府はシーア派主導で、シーア派のイランの影響力を強く受けている。それに対してクルド勢力、特にイラク地域政府の大統領職を押さえるKDPと米軍の関係は強い。シリアのIS拠点ラッカの制圧作戦でも、シリアのクルド勢力を中心とするシリア民主軍(SDF)が米軍の空爆の援護を受けて地上戦を戦っている。シリアのIS掃討作戦でも、攻撃拠点となるイラクのクルド地域は重要である。

 シリアとイラクの周辺国で米国が軍事行動などで頼ることができる相手は、ヨルダンと、イラクのクルド地域政府しかない。イランとシリアは敵で、イラクはイランの影響下にあり、トルコは親米国家とはいえ、イスラム系のエルドアン政権は米国の思うようにはならない。

 バルザニ議長は、モスル奪還が最終段階になった6月初めに「9月に住民投票を行う」と発表した。ISとの戦いで自分たちが重要な役割を担っていることを国際社会に訴える絶好のタイミングを計ったということだ。軍事・安全保障上の実績を、国際社会での政治的な認知に転換させようとするタイミングである。そこには、先に紹介した「フォーリン・アフェアーズ」の分析のように、クルド人側に、トランプ大統領と同政権への大きな期待があるということになるだろう。

 米国とイラクのクルド勢力との直接の協力関係は、1991年湾岸戦争後に、イラクのフセイン政権の攻撃から守るために米英が「飛行禁止空域」を設定したことに始まる。それによって、イラク中央政府の支配をはずれたクルド自治区ができた。2003年のイラク戦争でも、クルド自治区はクウェートとともに米軍の攻撃拠点となり、戦後のイラク復興でも、クルド系企業が米軍のもとで復興を担った。

 イラク戦争後、電話回線が破壊されたバグダッドで、通信衛星から直接パラボラアンテナでインターネット回線につなげるインターネット・カフェがあちこちにオープンした。そのような事業をイラク全土で進めていたのは、クルド地域から来たクルド系企業だった。イラクは湾岸戦争後の90年代は国連の経済制裁下に置かれて、経済活動の低迷が続いた。一方のクルド地域は、90年代に米英の庇護下で独自のインフラ整備をしてきた蓄積がある。特に、90年代にでてきた携帯電話やインターネットのような新しい通信インフラは、サダム・フセイン政権下では一切なく、イラク戦争で同政権が倒れて、初めてイラクにもたらされた。それを担ったのが、クルド系企業であったのは当然だった。

 イラク戦争後、イラク本土ではスンニ派とシーア派の宗派抗争の激化などで治安の混乱が続く。いまだに電源インフラの整備が遅れており、一日のうちで停電している時間の方が長いという状況である。それに比べて、クルド地域は90年代の経済制裁もイラク戦争の破壊も、その後の宗派抗争もなく、イラクの本土とくらべて別世界となっている。

クルド政界の複雑な内情

 そのような経済的発展とともに、イラク戦争後に、クルド地域はKDPとクルド愛国同盟(PUK)という旧反体制組織が協力して統一選挙名簿をつくり、イラクの議会選挙ではシーア派につぐ会派となった。イラク政府ではシーア派が首相、クルド勢力が大統領、スンニ派が議会議長を務めるという権力分有ができた。人口ではスンニ派よりも少ないクルド人勢力が大統領職を押さえたのは、クルド人内の協力によるものである。さらに、イラクを連邦国家とする新憲法の下で「地域国家」を宣言し、PUKのジャラル・タラバニ議長が中央政府の大統領職、KDPのバルザニ議長が地域政府の大統領職を務めるというクルド内の権力分有も生まれた。

 KDPとPUKは、90年代の半ばに、武力衝突を重ねて内戦状態になったこともあるライバル組織であるが、クルドの利益で協力した。一方、2009年にPUKの若手世代を中心に、クルド地域政府を支配するKDPとPUKの縁故政治と腐敗への批判を訴える政治組織「ゴラン(変化)」が生まれ、その年のクルド地域議会(111議席)選挙で25議席をとり、KDPに次ぐ第2勢力になった。ゴランの進出によって、KDPとPUKは地域政府と議会で協力関係をとっている。その後、タラバニ議長は2012年末に脳卒中で倒れ、バルザニ議長の存在感が大きくなった。

 2017年9月15日にクルド地域議会が招集され、独立を問う住民投票の実施が承認された。しかし、ゴランは議会に参加せず、住民投票のボイコットを決めた。ゴランは「クルド人の自決権は生来の権利であるが、現在のような不確定な状況で実施するのは危険な動きである」としている。地域議会はバルザニ議長とゴランとの間の政治的対立によって、2015年以来開かれておらず、ゴランが住民投票をボイコットする背景には、バルザニ氏の非民主的な政権運営への反発がある。

 さらに、クルド地域政府の政治改革を求めるゴランが住民投票の実施に反対するのは、バルザニ議長が「民族独立」というクルド人の悲願を掲げることで、クルド地域政府でゴランのような内からの批判を抑え込み、自らの権力を強化しようとする意図に対する懸念と反発があるだろう。

住民投票に対する、米国の薄っぺらな反応

 バルザニ議長は住民投票前の記者会見で「我々は100年間、独立を待ってきた」と語った。100年間というのは、第1次世界大戦後の1920年に連合国とオスマン帝国の間で結ばれたセーブル条約でクルド民族国家の樹立が盛り込まれたが、実行されなかったことを言っている。

 セーブル条約64条には、「国際連盟がこれらの民族が独立することが可能と認め、それを彼らに与えるべきだと勧告すれば、トルコはその勧告を実施することに合意し、それらの地域に対するすべての権利と権限を放棄する」と明記された。しかし、その後、トルコ共和国が拒否したことで、1923年のローザンヌ条約でクルド人の独立は削除された。

 その後、第2次世界大戦後の1946年、旧ソ連占領下のイラン北西部マハバードでクルド人民族主義者がクルディスタン人民共和国の独立を宣言した。同共和国はソ連の撤退によって1年で崩壊したが、その防衛大臣と軍司令官を務めたムスタファ・バルザニ氏は、イラクで武装闘争を始め、KDPを創設した。現在のマスード・バルザニ議長は、その息子である。

 100年の間に、虐殺があり、毒ガス使用があり、大量難民流出が繰り返された。クルドの独立には、クルド人の怨念が積もっている。それだけに、取り扱い注意である。しかし、トランプ政権の対応は、恐ろしく薄っぺらなものだ。米大統領府は住民投票10日前の9月25日に、報道機関向けに次のような短い声明を出した。

「米国はクルド地域政府が今月下旬に住民投票を実施する意図を支持しない。住民投票は『イスラム国』(IS)を打倒し、解放された地域を安定化させる努力を分散させるものである。もめている地域で住民投票を実施することは、特に挑発的であり、(地域を)不安定にするものである。我々はクルド地域政府に住民投票の中止を呼びかけ、イラク政府との間で真剣で継続的な対話に入るよう求める。米国政府はそのような対話を取り持つ準備があることは繰り返し示している」

 これが声明の全文である。声明は、トランプ政権が住民投票の中止を求めたとして世界で報じられた。しかし、米国はクルド地域政府が独立を目指す住民投票に反対するとは書かれていない。さらに声明には、クルド人地域の独立に脅かされるイラクの国家としての一体性への言及もない。住民投票を実施することを支持しない理由は、「IS打倒の努力を分散させる」ためとして、「テロとの戦い」への影響に懸念を表明しているだけである。このことは、IS打倒にはクルド人勢力の協力が不可欠だ、と表明しているに等しい。この声明だけ読めば、米国はイラクのクルド地域が独立を問う住民投票を行うこと自体には反対していない、とさえ受け取ることができる内容である。

 一方、住民投票について、トルコ、イラン、イラクはそれぞれ「反対」を表明している。イラクとイランはそれぞれクルド系住民を国内に抱え、分離独立の動きもある。イラクのクルド人が独立の動きに出れば、トルコやイランにも波及しかねないのだから、警戒するのが当然である。しかし、クルド地域には米軍がいるために、トルコもイランも、クルド地域との国境に軍を動員するような軍事的脅威を与えることは簡単にはできない。

トランプ政権の負の部分に影響されるリスク

 今回の住民投票を受けて、イラクのクルド地域政府が独立に向かうとは思えない。むしろ、独立の意思を背景にして、イラク政府との間で石油収入の分配や予算配分を求めて交渉を強めることになるだろう。また、クルド自治政府と欧州の主要国との間では、代表部を置き、航空直行便を就航させる動きが出ているが、さらに加速させることになるだろう。

 現在のイラクのクルド勢力は、米国の後ろ盾を得ているということであり、その状況下で、今回の住民投票が可能になった。その結果を受けて、クルド勢力がさらに、国際社会において政治・外交的な攻勢に出るということである。

 クルド人は、トルコ、アラブ、ペルシャという中東で覇を争ってきた主要民族の間で、虐げられたり、欧州列強に翻弄されたりしながらも、したたかに生き延びてきた。今回の独立を問う住民投票は、トルコ、イラク、イランの反発を押し切って実施したものである。その自信の背景として、伝統的な思考に縛られないトランプ大統領の登場を追い風にしようとする意識があった。

 一方で、トランプ政権の負の部分に影響されるリスクも負うことになる。

 米国はイラクとシリアでクルド勢力を使ってIS制圧を行い、特に、シリアでのISの都ラッカの掃討作戦では、シリアのクルド人組織に依存している。だが、シリアのクルド人組織はトルコ国内でテロを行うクルド系武装組織と連携しているとして、トルコは警戒し、米国がクルド人勢力を使ってラッカ掃討を進めていることに反発している。また、2017年3月に、シリアのクルド人組織がシリア北部での自治区樹立を一方的に宣言したことも、トルコの警戒感を刺激する理由になっている。

 トランプ大統領は就任前から、イランに対して露骨に強硬姿勢を強調し、欧米がイランとの間で結んだ核開発をめぐる合意の破棄や凍結を掲げ、新たな封じ込めを主張している。今後、米国とイランの対立が深まれば、クルド地域は、イランに接する中東での米軍の拠点という危うさが浮き彫りになるだろう。

 今回の、イラクのクルド地域政府の住民投票から見えるのは、トルコ、イラク、イランに対して、米国という虎の威を借るクルドの狐、という図である。しかし、クルド人が、「テロとの戦い」を前面に掲げて強硬措置をとるトランプ政権を後ろ盾にすることで、トランプ氏の危うさを一緒に背負ってしまうリスクもあるのだ。

(2017年10月04日掲載)

川上泰徳(かわかみ やすのり)
作者近影

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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