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中東から世界を見る視点

川上泰徳

(4)モスル陥落後の「イスラム国」はどうなる

 イラクのアバディ首相は7月10日、過激派組織「イスラム国(IS)」のイラク側の拠点だったモスルで、「偽りのテロリスト国家は崩壊した」と勝利宣言をした。モスル陥落後のISの今後と、中東情勢について考えてみよう。

勝利宣言するアバディ首相(Iraqi Prime Minister's Media Office/AP/アフロ)

あらたな報復と分裂が始まっている

 2016年10月にモスルからのIS掃討作戦を開始して以来、イラク軍を主体として、クルド人部隊、シーア派民兵組織「民衆動員部隊」が参加し、米国が主導する有志連合も空爆で支援した。掃討までに9カ月かかったことになる。アバディ首相は旧市街に近いイラク軍の前線司令本部前で演説し、「我々はモスルで、ダーイシュ(ISのアラビア語略称)が樹立を宣言した偽りのテロリスト国家の失敗と崩壊を宣言する」と述べた。

 これでISが終わるような見方もあるが、今回の掃討作戦を見ていると、イラクの問題はさらに深まったと言わざるを得ない。

 モスル陥落間近と言われた7月4日、インターネットサイト「イルファア・ソウタク(あなたの声を上げよ)」に「ダーシュ(IS)への参加者を出した家族の運命は?」という題の文章が掲載された。そこには「モスルで、『ダーシュ(IS)家族』を追放しなければならないという要求が高まっている。2014年にISがモスルを支配して以来、ISへの参加者を出した家族のことである」とあった。「ダーシュ」とは、アラビア語の「ダウラ・イスラミーヤ(イスラム国)」の略語である。

 記事によると、6月20日にモスルの地域委員会は「ISに属する武装した家族を町から追放し、モスル解放後の平和を守るべきだ」と決定し、州議会での承認を待っているという。さらに記事では、「IS家族が町にいれば、町の情報をISメンバーの子どもに提供するから問題を引き起こす」という住民の声を紹介している。

 ISの支配は、イスラムのルールを厳格に実施し、従わないものを罰するという苛烈なものだった。ISはスンニ派の中でも極度に排他的なサウジアラビアの厳格なワッハーブ派の教義を受け継ぎ、シーア派を「信仰拒否者」と呼んで排斥し、キリスト教徒も抑圧したとされる。「悪魔崇拝」として敵視されるヤジ―ディ教徒に対してはイスラムを強制し、拒否すれば殺害したり、女性信者を奴隷としたりするなどの深刻な人権侵害の事例が報告されている。

 ISに参加した者に対して、その犯罪行為については法の裁きを受けさせるべきである。しかし、ISに参加したメンバーの家族を排斥することは報復であって、それ自体が人権侵害である。アバディ首相はモスル解放後の再建と、国民の和解の必要性を強調しているものの、モスルでは全く逆方向の報復と分裂が始まっていることを示す

 モスルはイラク第2の都市で、人口200万人である。ISには外国人戦士も参加しているが、大部分はイラク人であり、スンニ派部族の出身者である。2014年6月、チグリス川が南北に町を2分するモスルにISは西岸から攻め込み、6日間で陥落させた。その時のIS戦士は1000人から2000人と言われ、6万人のイラク軍と警察が総崩れになった。

 当時、私は、クルド地方政府の中心都市アルビルにいたスンニ派部族組織の幹部たちに取材した。幹部たちはバグダッドやその周辺のスンニ派部族出身で、シーア派主導のマリキ政権(当時)による弾圧から逃れて来ていた。彼らはISによるモスル制圧について、「これは我々スンニ派民衆の反乱なのに、なぜ、ISばかり取り上げるのか」と語った。当時、スンニ派地域全体でマリキ政権への反発が強まっていた。ISがモスルを占領する1年前の2013年4月には、スンニ派地域で反政府デモが広がった。中でも北部キルクークの西側にあるハウィジャでは、軍によるデモ隊への銃撃で40人以上が殺害される事件が起きた。ハウィジャはモスルを奪回された後も、ISが広い支配地域を維持している。

 モスルは1000人のIS戦士に攻め込まれて陥落したというよりも、ISと戦うイラク軍の背後でスンニ派部族が蜂起したことで崩れたのである。陥落後、ISの支配に参加、協力したスンニ派の人々はかなりの数にのぼる。若者たちがISの黒旗を掲げて町を練り歩く写真もある。それから3年を経て、「IS支援家族」を排除しようとする動きが出ているのだ。それは、さらに社会を分裂させ、新たな混乱を生むことになるだろう。

 モスルを州都とするニナワ州では、ISが町を支配して以来、IS指導者で「カリフ」を名乗ったバグダディに忠誠を誓うスンニ派部族の会合の動画がインターネットサイトに流された。「IS支援家族」を排除する動きは、「IS支援部族」を排除する動きとなることは必至である。

「民間人の犠牲を顧みない軍事作戦」の悲惨な実態

 私はISが「カリフ国樹立」の宣言を行った直後に、イラク北部アルビルの外れにできた、モスルから逃げてきた人々の難民キャンプを取材した。キリスト教徒やクルド人などと共に、スンニ派の警官や、その家族が目立った。警察関係者はシーア派政権下で治安維持にあたっていたため、ISとISを支持するスンニ派勢力がモスルを支配したことで身の危険を感じ、モスルを脱出したのだった。

 2014年6月にISがモスルを制圧し、「イスラム国」の樹立を宣言し、厳格で排他的なイスラムを強制した後、シーア派教徒やキリスト教徒、モスルの西方のシンジャルに住んでいたヤジ―ディ教徒などの少数派は、大挙して難民化した。これはISによる「迫害」のためである。一方、2016年10月以降、有志連合による空爆の援護を受けたイラク軍のIS掃討作戦という「戦争」によって、IS支配下のモスルに住んでいた多くの住民が難民化した。

 国際的人権組織アムネスティ・インターナショナルの2017年7月の報告書では、モスル奪回作戦の第2段階として同年2月以降に始まったモスル西側での攻勢で、60万人の国内難民が出たとする。アムネスティが現地からの情報をもとに集計した、有志連合による空爆やイラク軍の砲撃による民間人の死者(2月19日~6月19日)は「5805人」と、驚くような数字が出ている。

 ISとの「テロとの戦い」の下で、民間人の犠牲に配慮しない空爆が行われ、それがおびただしい民間人の犠牲と大規模な国内難民を生み出している。その実態について、アムネスティの報告書では、3月17日にモスル南部のジャディーダ地区で起きたことが事例として挙がっている。ISの2人の狙撃手が、イラク対テロ特殊部隊の進軍を阻んでいたところに、有志連合が午前8時から午後5時まで空爆を繰り返し、ビルが崩壊するなどして、少なくとも105人の民間人が犠牲になったという。軍事作戦を遂行するためには、民間人の犠牲を顧みないという「対テロ戦争」の悲惨な実態を垣間見ることができる。

 有志連合やイラク軍は、住民が巻き込まれる理由として、ISが住民を「人間の盾」にとっていると主張している。アムネスティも、モスル西部で避難しようとする住民をISが銃撃し、数百人の住民が死んだと報告している。しかし、たとえそのような状況であっても、軍事作戦を実施する際には非戦闘員の安全を確保する措置をとることが求められ、それを無視すれば、戦争犯罪の可能性がでてくる。

ISは「外部勢力」ではない

 欧米でも日本でも、イラク第2の都市であるモスルが「ISという外部勢力」に支配されていて、IS掃討作戦はモスルを解放する戦いだ、という見方が横行してきた。そこから、外部勢力に協力した「IS家族の排除」という発想が出てくる。しかし、「ISという外部勢力」というとらえ方自体に誤りがある。

 私は著書「「イスラム国」はテロの元凶ではない」で指摘したが、IS指導者のバグダディはイラク人であり、2014年にイラクとシリアにまたがる「カリフ国」を宣言した時、2人の副官がいて、それぞれイラク側の責任者、シリア側の責任者とされた。いずれもイラク軍の元将校だった。その下に、軍事委員会などでサダム・フセイン体制を支えた治安情報機関や軍情報部の将校が名前を連ねていた。イラク戦争後、米軍占領当局はフセイン体制を支えていた治安情報部の関係者をすべて公職から追放したが、IS指導部の構成を見る限り、旧治安情報機関がISを支えているという構図が浮かび上がる。

 ISが掲げる排他的で厳格なイスラム主義体制は、アラブ社会主義のバース党が指導したフセインの世俗派体制とは異質であり、イラク戦争後にスンニ派地域に入ってきたものだった。しかし、IS支配を担ったのは「外部勢力」ではなく、イラクの治安情報機関であり、軍将校であり、さらにISと共闘したスンニ派の部族だった。

 イラクの治安情報機関は、サダム・フセインという独裁者の下で不穏分子を排除し、治安を維持するテクノクラートだった。彼らは、ISが掲げる排他的で厳格なイスラム主義体制の下でも、体制を維持するという役割を果たしたということである。ISといえば「狂信的な組織」というイメージが強いが、サダム・フセイン体制の2人の元軍将校が副官を務めていることを考えれば、狂信的なイスラムの実施を「統治の手法」として採用している組織と考えたほうがいいだろう。

 2014年6月にISがモスルを6日間の戦闘で陥落させたのは、当時、スンニ派部族関係者が言ったように、シーア派主導の中央政府の抑圧に対してスンニ派民衆と部族が強く反発し、ISと共闘し、結果的にIS支配体制が実施されることになったためである。それは、イラクのスンニ派勢力がISの排他的で厳格なイスラム主義を「統治の手法」として採用したということであって、外部勢力であるISの支配に従属したことを意味しない。

 イラクのスンニ派地域で武力を持つのは、人的な結束の枠組みとなる部族である。フセインは、スンニ派の有力部族から軍や治安情報機関の主要メンバーを採用して、自らの地位を固めた。モスルを州都とするニナワ州がIS支配の拠点となったのは、部族長と部族出身の旧軍や情報機関の将校が、IS支配を担ったためである。

IS参加の動機は「カネと仕事」

 IS支配が過酷であっても、その外にあるのは、スンニ派を敵視するシーア派民兵が幅をきかせるシーア派主導の政権、またはクルド人民兵が支配するイラク北部のクルド地域政府である。シーア派やクルド人の支配が民主的ということはない。スンニ派民衆は、IS体制のもとで迫害されないかぎり、IS支配のもとで留まるしかなかったということである。

 さらに、ISに参加した若者たちには、経済的な理由もあった。イラクの失業率は15%台である。石油収入が国の収入の9割以上を占め、政府関係の就労が大きな割合を占めるイラクでは、政府を押さえるシーア派の住民はコネがあれば政府関係の就職もあるが、それがないスンニ派地域の失業率は、全国平均の倍になるといわれる。特に若者(15~24歳)の失業率は、2014年で平均35%であり、全体の失業率の倍以上となる。スンニ派地域での若者の失業率となれば、6割、7割に達すると想像できる。

 2015年夏、トルコから違法に地中海を渡るシリア難民が大きな問題になった時、私はイスタンブールで難民たちを取材したことがある。シリアのみならずイラクからの難民も多かった。イラク難民はすべてスンニ派地域からきた若者たちであり、「仕事がない」と訴えた。

 ISにはアラブ諸国や欧米から計3万人の戦士が参入しているとされるが、その参入の理由について様々な推測がある。レバノンの調査機関が2015年春、ISなどイスラム過激派組織に参加して拘束された者たちのインタビューをもとに、動機を探った調査がある。その中で、「イラク・シリアの内部参加者」については、「社会的地位(金銭・就労など)」が55%で、「責任感」と「復讐」がそれぞれ14%で続いた。半分以上の若者が、ISに参入することで支払われる給料や就労機会を求めているわけで、失業率が非常に高いイラクのスンニ派の若者たちの状況を映す結果となっている。

「財政難」がモスル復興を阻む

 モスル奪還の後で叫ばれている「IS家族の排除」は、2014年のモスル陥落前にシーア派主導政権と協力したスンニ派の政治家、軍や警官の幹部、部族長関係者などが復権するプロセスなのだろう。戻ってくるスンニ派支配層は中央政府と協力して「IS家族」を排除し、さらに「IS部族」を排除することになるだろう。しかし、IS支配を担ったスンニ派勢力は決して少数ではないため、排除を続ければ続けるほど敵を増やすことになる。

 必要なのは排除ではなく、和解による出直しである。ISによるヤジーディ教徒など少数派への迫害については、指導者と実行者の犯罪が裁かれねばならない。しかし、IS支持者や協力者に対しては、ISとの断絶を条件として、共に復興にあたる協力関係をつくるしか出直す道はない。モスルの再建には、国連のイラク人道問題担当が「市街地だけで10億ドル(1100億円)以上が必要」との見方を示している。イラク中央政府や国際社会とつながるスンニ派勢力がモスルの復興を実現するならば、地域にとって経済再生の機会が生まれ、地域の和解の空気を醸成する可能性もあるだろう。

無残に破壊されたモスルの街(ロイター/アフロ)


 しかし、モスルの復興については悲観的にならざるを得ない。国際社会が実際にどれほど資金を出すかは疑問であり、実際に資金を出しても、治安が回復しない限り、事業が実施されない。それは、イラク戦争後にスンニ派地域の復興が遅れた理由でもあった。

 さらに、イラク政府がモスル復興にどの程度、本気で取り組むかも大きな疑問である。議会に承認されたイラク中央政府の2017年予算は670億ドル(7兆4000億円)で、原油価格の低迷などで180億ドル(2兆円)、歳出の27%の赤字となる見込みで、モスル復興に出すことができる予算は非常に限られている。ISに支配されていたアンバル州の首都ラマディは2015年12月、ファルージャは2016年6月にそれぞれイラク軍が奪回したが、それぞれ市街の8割が破壊されたのに、復興はほとんど進んでいない。それもイラク政府の財政難が大きな要因になっているという。

 もともとシーア派主導政権の下で、スンニ派地域への予算が少ないことが、スンニ派住民の不満ともなっていた。イラクの油田は南部と北部キルクークで大部分が占められ、スンニ派地域に油田がないため、原油収入の割り当てが少ない。そのことがスンニ派の人々の不満を強めていた。厳しい財政状況で、イラク政府がモスル復興に大規模な資金をそそぐとは思えない。モスル復興が進まなければ、破壊された町は残り、人々の苦難が続くことになる。

イラクのスンニ派地域は、いまだにISを支援している

 モスル奪還は、イラク軍、クルド人、シーア派民兵組織「民衆動員部隊」の3者が地上で動き、それを米国主導の有志連合が空爆で援護するという「外からの武力行使」によって実施された。モスルやニナワ州のIS支配地域内部で反IS勢力が蜂起したとか、IS支配地域につながるイラク中・北部のスンニ派地域でISに対する蜂起があったという情報はほとんどない。2014年5月にISは数日でモスルを陥落させたが、今回、イラク政府軍による奪回作戦は9カ月もかかった。そのことも、IS支配が単なる外部勢力による支配ではなかったことを示している。

 イラク政府がモスル奪回を宣言する直前の7月10日、米国ワシントンのシンクタンク、戦争研究所(ISW)が「ISISの聖域」と題する地図を発表した。モスル陥落後のIS支配地域を示したものである。イラクで「支配地域」を示す黒い領域は、キルクーク西部のハウィジャと、シリア国境につながるユーフラテス流域のカイムなどのスンニ派地域となっている。

 注目すべきは、「支援地域」と色分けになっている茶色の地域である。「ISに敵対する目立った行動はなく、IS部隊に兵站などの支援をしている地域」という説明がある。モスルからティクリート、サマッラ、バグダッドと流れるチグリス川と、カイム、ラマディに流れるユーフラテス川にはさまれる広大なスンニ派地域のほぼ全域が茶色となっている。この地図から読み取れるのは、イラクのスンニ派地域は、いまだにISを支援しているということである。

 イラクは部族社会が強く残っている。都市はすべての部族が集まっている共有の空間であり、各部族は都市の外で勢力を張っている。都市住民にもそれぞれ出身部族があり、問題が起これば部族が介入するなど後ろ盾となっている。2015年4月のティクリート奪回を手始めとして、ラマディ、ファルージャ、そして今回のモスルと、ISが支配していた都市は次々と政府軍に奪回されたが、ISWが地図で示しているように、都市の外のスンニ派部族がISを支援する動きに変化はない。スンニ派部族がISを支援しているというよりも、スンニ派部族がイラクにおけるISの実体と考えるべきだろう。

 ただし、部族はイデオロギーで動くのではなく、実利的な存在である。部族長や構成員への便宜の提供や支配地域への基盤整備などによって、部族の対応は変わってくる。シーア派主導政権であっても、スンニ派との間で公正な権力分有(パワーシェアリング)が行われるならば、スンニ派部族がISの排他的なイスラム主義を掲げて武装化する必要もなくなる。もともと、イラクのスンニ派部族には、サウジアラビアのワッハーブ派のようにシーア派を異端視したり敵視したりする考え方はない。

 サダム・フセイン時代には、スンニ派であれ、シーア派であれ、部族の支持を取り付けるためにアメとムチの政策をとり、忠誠心と影響力に応じて部族長に社会的・経済的な便宜を与え、反体制的な行動があれば苛烈な弾圧を行った。イラクの部族対策について、日本はイラク戦争後に南部サマワに自衛隊を派遣したことで貴重な経験を得た。自衛隊と外務省が現地で最も心を砕いたのが部族対策だった。自衛隊駐留地周辺の部族が敵対行為に出ないように、道路工事などの復興プロジェクトをばらまいて懐柔したのである。

ISのテロは首都バグダッドに集中する

 アバディ首相はモスル奪回で「イスラム国は終わった」と勝利宣言したが、それはISが支配していた都市を破壊し、IS戦闘員も民間人の区別もなく空爆して、戦闘員を都市から排除し、民間人を退去して難民化させただけである。まさに「焦土作戦」であり、ISにとってモスルが失われただけでなく、イラク政府にとってもモスルは失われたのである。2016年秋の時点で、ISを排除した都市から難民化したまま戻ることができない人々が100万人にのぼるという数字が出ていた。今回は、モスル全体で国内難民が90万人というから、全体で200万人近い難民が出ることになる。それが、イラクでのIS掃討作戦の実態である。

「モスル奪還」後も、スンニ派の都市が破壊されたままで、スンニ派民衆の生活が荒廃した状況が続く限り、人々がISから離れることはないだろう。そんなスンニ派の民衆の不満を背景に、ISのテロは首都バグダッドに集中することになるだろう。バグダッドの中にはスンニ派地域があり、広大なIS支持地域とつながっている。

 IS支配地域で都市が破壊されたら、アラブ諸国や欧米から来ている3万人ともいわれる外国人戦士はどうするのか。シリア側のISの都ラッカの攻防戦に移る者もいるだろうし、残っている支配地域に回る者もいるだろう。地図でみるかぎり、イラクとシリアにはまだ広大なIS支配地域が残っており、IS戦士がすぐに逃げ出して世界に拡散するような状況とは思えない。

 イラクでもシリアでも、スンニ派住民の苦難が続き、ISを支持する空気がある限り、そこはISの外国人戦士たちにとって居心地のよい場所である。逆にいえば、もしイラクで政府がスンニ派との関係を正常化し、一方のシリアでも内戦を終わらせて、スンニ派も内戦後の国づくりに参加するプロセスが始まれば、スンニ派の人々にとって、外国から来たIS戦士は、自分たちの安全と平和を害する存在となるだろう。

モスルでの無差別な破壊が、ラッカでも繰り返される

「モスル奪還」によって、世界の関心はシリアのラッカに移るだろう。ラッカでは2016年11月から、米軍主導の有志連合がクルド人主体の「シリア民主軍(SDF)」地上部隊を使って掃討作戦が始まった。2017年に入ってからは、有志連合の空爆によって民間人の死者が急増している。シリアで民間人の死者を集計しているシリア人権ネットワーク(SNHR)は2017年1月~6月の民間人死者を5381人と発表した。内訳は、アサド政権軍による死者2072人(39%)に次いで有志連合の空爆による死者が1008人(19%)であり、ISによる857人(16%)、ロシア軍による641人(12%)を上回っていた。

 2016年の1年間の市民の犠牲は1万6913人で、アサド政権軍が52%、ロシア軍が23%、ISが9%、有志連合が3%という内訳だった。有志連合による民間人の死者が占める割合は、16年の3%から17年前半の19%へと急増している。特に、6月初めにラッカ市街部への侵攻作戦を開始して以来、一層、激しい空爆が行われている。

 ラッカのデジタルニュースサイト「ラッカは静かに殺される(RBSS)」は、6月17日、「ラッカといわゆる『解放戦争』」という見出しで、「(有志連合の)ラッカ焦土作戦が始まって一週間たったが、空爆から逃れることはできないし、ISのナイフにも慈悲はない」と書いた。RBSSは反欧米サイトではなく、IS支配に抵抗するために地元のジャーナリストグループが2014年4月に立ち上げたものであり、これまで、ISによる活動家などの不当な拘束を告発してきた。それが、有志連合のISとの戦いを厳しく批判しているのだ。

 同じくRBSSは、6月21日、「私たちが知っているシリアは過去のものだ」というタイトルで、「ラッカ市は焦土作戦を行う有志連合とその同盟者(シリア民主軍)による組織的な破壊を受けている。民間人に対するあらゆる人権侵害に対しても非難を受けることはない。SDFとその支援者は、市民を守り、テロリズムを排除する戦いの中で、ISが4年間の戦争の中で行ったよりも多くの民間人を殺した。何という皮肉だろう! 何がテロリズムの定義なのか?」と書いている。

 モスルでの無差別な破壊が、ラッカでも繰り返されている。有志連合の空爆が援護する地上部隊は、クルド人主体のSDFである。ラッカもスンニ派の都市だが、欧米軍とクルド人という「外部勢力」による制圧が行われている。ラッカが破壊され、IS戦士が排除され、住民が難民化するのは時間の問題である。

 モスル、ラッカというISの都が力で排除されても、イラクとシリアでISと結びついたスンニ派の受難は救いようもなく深まっている。中東はイラン革命、湾岸危機、9・11米同時多発テロ、「アラブの春」、ISの出現など、大規模な噴火を繰り返してきた。国際社会は、パレスチナ問題、強権独裁、宗派対立、政治的な腐敗など中東に蔓延する問題を解決しないまま常に力で抑え込み、その結果、次の危機が噴き出すという不毛なサイクルを繰り返してきた。モスル、ラッカでのIS掃討の手法を見ると、我々が気付かないところで、すでに次の危機の秒読みが始まっているように思える。

(2017年07月21日掲載)

川上泰徳(かわかみ やすのり)
作者近影

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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