集英社新書WEB連載
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中東から世界を見る視点

川上泰徳

(2)トランプの「失言」、ネタニヤフとアッバスの「思惑」
   ――パレスチナ「和平プロセス」の行方

 シリア内戦に隠れてほとんどニュースにならないパレスチナだが、2017年5月に、パレスチナ絡みで2つのニュースが報じられた。一つは、パレスチナ自治政府のアッバス議長が米国ホワイトハウスに招かれ、トランプ大統領と会談したことである。もう一つは、ガザ自治区を支配しているイスラム組織「ハマス(イスラム抵抗運動)」が、ヨルダン川西岸とガザでパレスチナ国家を樹立することを支持する「政策文書」を発表したことだ。

パレスチナ紛争は「歴史的な」節目を迎える

 まず、アッバス議長とトランプ大統領との首脳会談の意味を考えてみよう。トランプ大統領は会談後の記者会見で、「イスラエルとパレスチナの合意は最も困難なものと言われてきたが、我々はそれが間違いであることを証明しよう」と語った。それに対して、アッバス議長は「あなたの任期中に歴史的な和平をもたらすための真のパートナーになることができると信じている」と答えた。

 お互いにリップサービスをしただけだが、アッバス氏がトランプ氏に対して「歴史的な和平をもたらす真のパートナー」と持ち上げたのは、イスラエルのネタニヤフ首相よりも2カ月半遅れとはいえ、ホワイトハウスに招いてくれたことに謝する最大限の外交辞令である。

握手するトランプとアッバス(ロイター/アフロ)

 2017年と18年は、様々な意味でパレスチナ紛争の「歴史的な」節目である。

 2017年は、1947年11月の国連パレスチナ分割決議から70年を迎える。パレスチナは英国の委任統治だったが、欧州から移民してくるユダヤ人とアラブ人の間の対立が激化し、英国統治当局へのテロも起こった。英国は委任統治の終結を国連に伝え、パレスチナはアラブ人国家とユダヤ人国家に分割されることになった。

 翌1948年5月に英国の委任統治が終わり、パレスチナ分割決議が実施された。国連決議を受け入れたユダヤ人はイスラエルの独立を宣言し、決議を拒否したアラブ諸国はイスラエルへの宣戦を布告した。第1次中東戦争である。この時、約70万人のパレスチナ人が故郷を追われて、レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトなどに逃れた。パレスチナ人はその出来事を「ナクバ(大破局)」と呼ぶ。2018年はパレスチナ人のナクバ70周年である。国連安保理は「パレスチナ難民の早期帰還と、帰還を望まない難民への公正な補償」を求める安保理決議194号を採択した。それが難民の帰還権の根拠となっている。

 パレスチナ紛争の次の区切りは、1967年6月に開戦した第3次中東戦争である。このとき、イスラエルが東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザを占領した。当時、安保理は「イスラエルに占領地からの撤退を求め、撤退後にアラブ諸国がイスラエルの生存権を認める」ことを求める安保理決議242号を採択した。これが、その後の和平プロセスの前提である「土地と和平の交換」原則となっている。2017年で、占領は50年を迎える。

 その次の大きな区切りは、「土地と和平の交換」原則でのパレスチナ国家樹立による和平を目指した、1993年9月の「パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)」であろう。合意に基づいて、ヨルダン川西岸とガザでイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が主導するパレスチナ自治が始まり、アラファト議長が帰還した。2018年は、オスロ合意から25年となる。

「和平」の実現より「プロセス」の継続

 パレスチナ紛争に関して、トランプ政権で何らかの和平合意が実現するという期待は薄い。「和平合意の実現」という公約を掲げて登場したオバマ大統領ですら、何ら成果をあげることはできなかった。トランプ大統領は、就任前から、イスラエルの米国大使館を現在のテルアビブからエルサレムに移転させることを公言してきた。また、ネタニヤフ政権が求めてきた、イスラエルを「ユダヤ人国家」と認定することにも支持を示し、パレスチナ問題を悪化させかねない発言を続けてきた。

 ただし、「中東和平プロセス」に関わる米国の役割として重要なことは、「和平」の達成ではなく「プロセス」を継続することだと、常に言われる。トランプ大統領も、アッバス議長をホワイトハウスに招いたことで、中東和平に貢献することを使命としてきた歴代の米国大統領の行動に倣って、「和平プロセス」を継続する姿勢だけは示したと言える。

 オバマ政権からトランプ政権への移行期に、米国のイスラエル・パレスチナ問題への関与として話題になったのが、ユダヤ人入植地問題である。

 オバマ氏は大統領就任後、和平交渉の障害となっている入植地建設に対して、反対の姿勢を明確に打ち出した。ネタニヤフ政権は抵抗し、米・イスラエル関係は「史上最悪」と言われるまでになった。オバマ氏は、任期第2期ではネタニヤフ政権との関係修復に動いたが、大統領の任期切れまで1カ月となった2016年12月、国連安保理でイスラエルの入植活動を非難する決議案が採決された時、米国は拒否権を行使せず棄権したため、決議案は採択された。最後の最後に、オバマ氏がネタニヤフ首相に強い不信感を抱いていたことを感じさせた。

東エルサレムにイスラエルが建設したユダヤ人入植地(撮影・川上泰徳)


「一国解決」か「二国解決」か

 トランプ大統領は、2017年2月中旬、ネタニヤフ首相との会談後の記者会見で「入植活動を少し控えるように」と控えめな注文をつけたが、この首脳会談では、トランプ大統領の別の発言が物議をかもした。「二国解決であれ、一国解決であれ、私は双方が望むならどちらでもよい」という発言である。

 オバマ政権がイスラエルの入植活動を非難する安保理決議に拒否権を行使しなかったことについて、当時のケリー国務長官やパワー米国連大使は「(入植活動は)米国が目指してきた二国解決の実現を危うくする」という声明を出した。トランプ大統領が「二国解決にこだわらない」と発言したのは、「二国解決」を強調してネタニヤフに仇をなしたオバマ政権と、自分とは違うと言いたかったのかもしれない。

「二国解決」とは、イスラエルとパレスチナが国家として共存するという、これまでの「和平プロセス」の基本である。トランプ氏は「一国解決」と言う言葉を、単に、パレスチナ国家を認めないという意味で言ったつもりかもしれない。しかし、パレスチナ問題における「一国解決」とは、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割するのではなく、一つの国として、アラブ人もユダヤ人も同じ国民として、平等の権利を持って生きさせるという解決策のことである。

 ユダヤ人の左派の中には、パレスチナにユダヤ人国家を建設するというシオニズムを否定し、アラブ人との共存を主張する人々がいる。それは、PLOがパレスチナ全土解放を掲げていたころの主張でもある。現在でも、イスラエルがヨルダン川西岸に入植地を拡大し続けてパレスチナ国家の樹立が困難になる状況のなか、パレスチナ人からは「パレスチナ国家を認めないならば、イスラエルはヨルダン川西岸を併合すればいい。平等な同じ国民として一つの国でやっていこうじゃないか」という声が出てくる。

 つまり、「一国解決」は、イスラエル独立の根拠となった1947年の国連パレスチナ分割決議の否定となる。パレスチナ国家の否定というだけでなく、ネタニヤフ首相が求める「ユダヤ人国家」としてのイスラエルの否定でもある。トランプ大統領は知らなかったのかもしれないが、イスラエルのシオニズムを信奉する大多数の人々は、パレスチナ国家を認めるかどうかに関わらず、「一国解決」を語ることはない。

「二国解決でも一国解決でも、どちらでもいい」というのは、トランプ氏の不見識と能天気さを示す発言であり、米大統領としては「失言」である。その同じ会見で、トランプ氏がネタニヤフ首相に「入植活動を少し控えて欲しい」と求めたとしても、入植地の問題をどこまで理解しているのかと疑問を持たざるを得ない。

 そのような不規則発言はあったにしても、トランプ氏は自らも言っているように、歴代の米大統領の中で最も親イスラエルの大統領になるだろう。政治や外交の経験がないトランプ大統領にとって、娘イバンカさんの夫でユダヤ人実業家クシュネル氏の存在は大きい。大統領選挙キャンペーンで、トランプ氏と親イスラエルロビーを橋渡ししたとみなされ、トランプ政権でも最も影響力を持つ人物である。当然、イスラエル・パレスチナ問題への対応でも重要な役割を担うことになるだろう。

 トランプ大統領が和平合意を実現する方向で動くと思えないのは、イスラエルに何らかの圧力をかけて、パレスチナとの間の和平を仲介するという動きが想像できないためだ。しかし、遅ればせながらアッバス議長をホワイトハウスに招いて会談したのは、「パレスチナから紛争が始まらないように危機管理をすることは、米大統領としての使命だ」ということを、就任後に理解したということだろう。

アラファトとアッバスの違い

 トランプ、ネタニヤフ、アッバスという役者を見れば、トランプ政権での「和平プロセス」は、大統領任期中に紛争が噴き出さないように「プロセス」を継続する、という以上のことは期待できないというしかない。

 米国が本気で中東和平を実現しようとすれば、リスクを負うことになる。2000年8月、クリントン大統領がイスラエルのバラク首相とアラファト議長を米キャンプデービッドに招いて、最終合意を念頭に置いた和平協議を仲介した。しかし、交渉が決裂したことで、同年9月に第2次インティファーダが起こった。オバマ大統領が和平実現のためにイスラエルの入植活動を押さえようとして、ネタニヤフ政権との関係を悪化させたことは、既に書いた。

 何があっても「中東和平」を実現しようという熱意が、トランプ、ネタニヤフ、アッバスの3氏には感じられない。アッバス議長は、「オスロ合意」の秘密交渉をPLO側で統括した人物である。PLOがイスラエルを認めず武装闘争をしていた時代から、イスラエルとの「二国家共存」を目指して和平の道を探ってきた、穏健な現実和平派でもある。

 それに対して、ネタニヤフ首相は「反オスロ派」であり、オスロ合意後も「パレスチナ国家」の樹立に反対してきた人物である。オバマ政権の圧力を受けて、2009年に初めて条件付きでパレスチナ国家を認める旨の発言をした。しかし、トランプ政権になって「和平」圧力がなくなれば、「二国家共存」を実現する方向に動くとは思えない。

 オスロ合意では、ガザとヨルダン川西岸の都市エリコでパレスチナ人の自治を始めることだけが決まっていた。入植地問題、エルサレムの帰属、難民の帰還などは、自治実施と拡大の後に始まる「最終地位交渉」にゆだねるとされ、パレスチナ問題のすべての重要な課題を棚上げした合意だった。

 オスロ合意に対する批判はPLO内部にも強かったが、それが実施されたのは、パレスチナの闘争を担ってきたアラファト議長が受け入れたためである。合意に不満を表明するパレスチナ人が「アブアンマール(アラファトのゲリラ名)が決めたのだから」というのを何度も聞いた。オスロ合意を受け入れたアラファト議長との間でパレスチナ問題の最終解決を実現できなかったことは、パレスチナだけでなく、イスラエルにとっても千載一遇の機会を逃したということであろう。

 アッバス議長は、アラファトとともに解放闘争を始めたPLO第1世代の中では最も若いメンバーだ。パレスチナ人の間では、アラファトを支えた実務家の一人という印象であり、解放闘争の闘士とは認識されていない。トランプ大統領がネタニヤフ首相と一緒になってアッバス議長に圧力をかけ、イスラエルに有利な和平合意を受け入れさせたとしても、アッバス議長には合意をパレスチナ人に受け入れさせる影響力がないので、和平は形骸化するだけとなる。

 82歳のアッバス議長としても、強硬派のネタニヤフ首相の圧力の下で合意すれば、パレスチナ側から「裏切り者」呼ばわりされるだけである。ネタニヤフ首相とアッバス議長では政治的な距離が大きすぎるし、オバマ政権の間も、ネタニヤフ首相とアッバス議長の間でまともな和平交渉は行われていない。トランプ大統領も、双方を促して和平合意を仲介するようなシナリオを描くことはできないだろう。

 アッバス氏のこれまでの実績は、2012年に、国連総会への参加資格をそれまでの「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げするよう求め、130カ国以上の賛成で承認されたことである。アッバス氏は欧州諸国にも「国家」として承認するよう働きかけている。

 しかし、この動きは、イスラエルとは無関係に行われている。いくらパレスチナ国家を承認する国々が増えても、ヨルダン川西岸と東エルサレムでイスラエルの新しい入植地が増え続けている現実の前では、何ら意味を持たない。敵とも味方とも対決を避ける、現実政治家であるアッバス氏らしい手法ともいえるが、パレスチナ国家として承認を得ても、日々、占領と向き合っているパレスチナ人にとって実質的な意味はないのである。

 アッバス議長にとっての関心事は、パレスチナ危機の暴発を押さえるということだろう。必要なのは、ここでも、「和平」の実現ではなく「プロセス」の継続である。PLOの中で最も「親米・親イスラエル」のアッバス議長は、治安関係で米国、イスラエルとの間に強いパイプを持っているとされる。

 入植地建設が進み、二国家共存がますます困難になる中で、パレスチナ人の不満も募っている。東エルサレムやヨルダン川西岸では、2015年秋から、パレスチナの若者がナイフでイスラエル兵を襲う事件が繰り返されている。襲撃に組織的な背景はないといわれているが、大規模な動きになっていくかどうかは予断を許さない。第3次インティファーダのような事態になれば、アッバス議長ら古参幹部が主導権を持っているPLO主流派ファタハの現在の指導部では、全く対応できないだろう。

 ネタニヤフ首相にしても、パレスチナ危機は避けなければならない。トランプ氏が米大使館のエルサレム移転を掲げ、早々とネタニヤフ首相との首脳会談も行いながら、エルサレム移転への具体的な動きは起こってこない。イスラエルメディアには「移転することでパレスチナ人の反発が起こることは避けられず、それが重大な治安の悪化に結び付きかねないなど不安定要因があるため、イスラエルのほうから移転に対する慎重論が出ている」との報道がある。

パレスチナ危機と中東危機

 かつて、パレスチナ危機は中東危機の最大要因だった。しかし、2001年の9・11からイラク戦争へ至る流れや、2011年のアラブの春、その後のシリア内戦、イスラム国(IS)樹立など、いずれもパレスチナ問題と関係のない危機である。これを見る限り、パレスチナ問題の重要性は下がっていると思わざるを得ない。

 しかし、第1次インティファーダ(1979年)は、1990年、91年の湾岸危機・湾岸戦争の前であり、第2次インティファーダ(2000年)は、9・11の前年である。2011年に「アラブの春」が噴き出す前の2009年1月には、イスラエル軍によるガザに対する大規模な攻撃があった。繰り返される中東危機の前に、まずパレスチナ危機が始まるという状況が繰り返されている。

 2011年に若者たちの反乱として始まったアラブの春は、エジプトの軍事クーデターやシリアのアサド政権の武力行使などによって、力で抑え込まれた。『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)で書いたように、私は、ISもアラブの春の流れにあるものと位置付けているが、そのISも、2016年後半以降、イラクとシリアでの掃討作戦で守勢に立たされている。2011年に噴出した危機は、ここへきて力によって封じ込められた形だ。

 中東を10年区切りで概観すると、「前半に大きな危機が起こり、その収拾で混乱するが、後半は力で抑え込まれる」という傾向を繰り返してきた。2010年代も、また同じパターンになっていると言わざるを得ない。現在の状況は、人口の半分以上を占める20代、30代の若者たちの不満や怒りを力で抑え込んだだけである。怒りのもととなった格差拡大や自由の欠如、腐敗の蔓延などは何ら是正されていない。このままでは、いずれ新たな危機が噴き出してくることは避けられない。トランプ政権が不用意に米大使館をエルサレムに移せばパレスチナ危機となり、それが中東危機の引き金を引くことになるだろう。

 トランプ大統領は、パレスチナ問題で米国が果たさねばならない役割について十分に説明を受けているだろう。ネタニヤフ氏とアッバス氏は、「和平実現」は無理でも、危機管理ということでは利害は一致しているはずである。トランプ氏も、自らが危機の火付け役にならないように、より慎重にならざるを得ないだろう。

ハマスが「1967年境界の国家」を認知

 2017年5月に報じられた2つのニュースのもう一つは、イスラム組織ハマスが、ヨルダン川西岸とガザでパレスチナ国家を樹立することを支持する「政策文書」を発表したことである。文書が発表されたのはトランプ・アッバス首脳会談の2日前となる5月1日であり、それも意識したものであろう。

 文書は、「諸原則と全般的政策文書」というタイトルのアラビア語の文書である。全42項目の「原則」が記述され、パレスチナ国家については第20項で登場する。以下は全文訳である。

第20項 どんなに占領が続こうとも、どんな圧力があり、どんな状況でも、どんな理由であっても、われわれはパレスチナの土地の一片たりとも放棄することはない。ハマスは地中海からヨルダン川にいたるパレスチナの全土の完全解放に代わる、いかなる代替案も拒否する。我々はシオニズム体制を認知することも、パレスチナ人のいかなる権利を放棄することも意味しないが、ハマスは、難民と避難民が元いた家に帰還することを合わせて、1967年6月4日(注・第3次中東戦争)の境界上に、完全な独立と主権を有し、エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家を樹立することを共通の民族的なコンセンサスとみなしている。

 ハマスのこれまでの憲章では、パレスチナの全土解放しか記述していない。第3次中東戦争前、つまり占領前の1967年境界におけるパレスチナ独立国家を「共通の民族的なコンセンサス」として政治目標とするのは初めてである。ただし、私は2006年ごろ、ヨルダン川西岸ヘブロンのハマス指導者から、イスラエルがヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザから撤退すれば「長期的な停戦」に応じる用意がある、という考えを聞いたことがある。

 今回、ハマスが「1967年境界上のパレスチナ独立国家建設」を「民族的なコンセンサス」としたことは、1988年に、PLOが同じく1967年国境からのイスラエルの撤退を求め、パレスチナ国家の独立を宣言した「パレスチナ独立宣言」に匹敵するものである。PLOの独立宣言でも、イスラエルの認知は明記されていないが、闘争はイスラエルの占領に対する戦いとして再定義されており、事実上、イスラエルとの共存を認めたものと評価された。

ヨルダン川西岸のパレスチナの村に入ってきたイスラエル軍の車両と兵士(撮影・川上泰徳)


 今回のハマスの政策文書も、解放闘争を「1967年境界からのイスラエル軍の排除」に再定義する意味を持つことになるだろう。入植地の拡大によって、パレスチナ国家樹立による「二国家共存」というこれまでの和平プロセスが不可能になっている、という情勢判断があり、それに対して、ハマスとして「二国家共存」を表に出して闘争をしていくという意思表明であろう。

「1967年境界上のパレスチナ独立国家建設」を「民族的なコンセンサス」とみなすということは、ハマスが、ヨルダン川西岸と東エルサレムという「1967年境界」に武装闘争を限定する、と読むことができる。ハマスの戦術転換は、PLOとパレスチナ自治政府が、実体のないパレスチナ国家の承認を国際社会に求めるという、占領の現実から遊離した戦術をとっている弱点を突いている。さらに2007年以来、ガザを実効支配しているという“実績”をもとに、現在、自治政府が支配しているヨルダン川西岸と東エルサレムで実体的な影響力を広げる目的があるのではないかと考える。

ヨルダン川西岸にイスラエルが建設した分離壁(撮影・川上泰徳)


 ハマスはこれまで、イスラエル本土でイスラエルの民間人を死傷させる自爆テロを繰り返してきたが、それはイスラエル全土を解放対象としていたためである。その武装闘争を「1967年境界」の内側に限定し、そこにいるイスラエル軍やユダヤ人入植地を攻撃することで占領との闘いを展開し、「パレスチナ国家」につなげようという意図が感じられる。

 同じ考え方は、第2次インティファーダで武装攻撃を行ったファタハの中堅世代に、もともとあったものだ。ファタハ中堅世代のリーダーで、2002年以来、イスラエルに拘束されているマルワン・バルゴーティ氏(57)に拘束前にインタビューしたが、「闘争を1967年境界の内側に集中させるべきだ」と明確に語っていた。その考え方は、オスロ合意によって武装闘争を放棄したファタハ指導部の方針と矛盾する。アッバス氏のような穏健派は武装闘争を否定していたが、バルゴーティ氏はアラファト議長がいる議長府にも出入りしていた人物だ。アラファト議長は、ファタハ内の和平派と武闘派の両方を自身の手駒として使っているように感じた。

 ハマスの戦術転換は、これまでに達成したガザでの支配を土台にして、攻勢に出るためのものだろう。ハマスの困難は、支配がガザで封じ込められ、ヨルダン川西岸では自治政府に抑え込まれていることだ。ハマスが「1967年境界上のパレスチナ国家」を語るのは、ヨルダン川西岸での闘争に関与することを示している。アッバス議長ら自治政府指導部に対抗し、獄中のバルゴーティ氏らファタハ中堅世代と連携して、国家樹立の闘争を始める地ならしということになるだろう。

 ハマスの政策文書の発表は、「1967年境界上のパレスチナ国家」を樹立するための、武装闘争宣言という意味を持ってくるかもしれない。第25項では「武装闘争を中心として、あらゆる手段と方法による占領との闘いは国際法によって保障されている権利であり、パレスチナ人の権利を守り、回復する」と記されている。

 オスロ合意ともつながる「和平プロセス」は、米国が仲介し、イスラエルとパレスチナとの交渉を通して、1967年境界に基づいた二国家共存を実現することを目的としている。しかし、トランプ、ネタニヤフ、アッバスの3者が何も動かすことができなければ、パレスチナから「対占領闘争」という危機が噴き出すのは避けられないとも思えてくる。

(2017年05月22日掲載)

川上泰徳(かわかみ やすのり)
作者近影

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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