集英社新書WEB連載
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ガザの声を聴け!

第2章 ガザの見えない戦争

001 この10年で3回の戦争を経験したガザ

 ガザは日本から見ると、アジア大陸の西の端、アジアとアフリカが接するエジプトのスエズの近くにある。地中海の東南部であり、モーゼの十戒で知られるシナイ半島の北側に位置する。 東京からの直線距離で言うと約9300キロ。これは東京と、ドイツのフランクフルト間の距離と同じくらいだ。

 ガザの面積は365平方キロ。海岸線が約40キロ続いており、そこから内陸側に平均9キロにわたって広がる地域だ。この広さは東京23区の約6割にあたる。

 ガザの北部は地中海に接し、海岸線が続く。とても美しい場所だ。しかし、その一方で、その地に住む人々の生活は苦しい。

 ガザでは過去10年間にイスラエルとの間で大きな戦争が3回あった。2008年、2012年、2014年である。
2008年には12月27日から約3週間、Operation Cast Leadとも言われる戦争があり、一般市民を含め約1400人が犠牲になった。そのほとんどはガザ側だった。
 2012年には11月14日から約1週間、Operation Pillar of Defenseとも言われる戦争があり、ガザ側で一般市民約100人が犠牲になった。
 そして、2014年には7月8日から50日間の戦争があり、ガザ側で1462人、イスラエル側で6人の一般市民の犠牲者が出た。3回の戦争でのガザでの一般市民の犠牲者は2500人以上に達する。

 これらの戦争で街も建物も大きな被害を受けた。特に2014年の戦争では、ガザに住む180万人(当時)のうち約30万人が UNRWA「ウンルワ」の営む90の学校に避難しなければならないほどだった。
 ガザを北から南に走るサラハディーンという大通りがあるが、その通りの東側はイスラエルに近いため、被害は非常に大きく、一帯が完全に崩壊したところもあった。戦争後、国際社会の協力で建物の復興は徐々に進んでいるが、まだまだ全体の需要に追いついていない。建物の復興が進んでも、元の場所での生活が完全に戻るわけでもない。

戦争はまだ続いている

 2014年の戦争中、ガザを訪ねた際、避難所を訪問した。そこで、一人のかくしゃくとした老人に会った。彼は総勢100人以上になる大家族の長老(代表)だ。
 ガザは古くからの大家族制が今も残っており、親戚等を合わせると100人以上の規模になることも珍しくない。彼の大家族も全員、私が訪ねた避難所にいた。
 彼らは、元々は、サラハディーン通りの東のシェジャイヤ地区に住んでいたが、戦争で建物が崩壊し、皆、着の身着のままで逃げてきた。
 長老に「今欲しいものは何ですか」と私が聞くと、「早く戦争が終わって平和になって、また皆と一緒に暮らしたい」と彼は話した。
そして、少し考えて、「本当に欲しいのは、人間としての尊厳だ。それを返して欲しい」とこちらをじっと見て、強く語った。

 人間としての尊厳。
それが今ガザで一番の問題だ。2014年の戦争はその年の8月26日に終わり、以降、大規模な戦闘行為は起こっていない。散発的なガザからのミサイルの発射、イスラエルからの空爆はあるが、物理的な戦闘行為というのは起こっていない。
 しかし、ガザの戦争はまだ続いている。戦闘行為という目に見える形ではなく、人々の生活・社会、そして尊厳をも崩壊させる目に見えない戦争として。
それはガザの経済封鎖だ。

 ガザは1948年から1967年まではエジプトの統治下にあり、1967年以降はイスラエルの占領下にあった。イスラエルは2005年にガザから撤退するが、それまではガザ内部にイスラエルの入植地(settlement)が複数あり、内部の移動には制限があった。しかしイスラエル撤 退後、移動は自由になる。
 当時私はエジプトにある世界保健機関の東地中海地域事務局で仕事をしていた。イスラエル撤退の翌日に世界保健機関のガザ事務所とビデオ会議があり、ガザの同僚がイスラエル撤退を嬉し泣きしながら話してくれたのをよく覚えている。

 状況は2007年に一転する。
 その前年の2006年のパレスチナ評議会の総選挙でハマスが過半数の議席(定数132のうち74議席)を獲得し、パレスチナ解放機構(PLO)を率いるファタハとの連立政権を形成した。
 しかし、西側諸国の多くはハマスをテロリズム団体に指定しており、連立政権の形成に際し、パレスチナ自治政府への支援を止めた。そのため、様々な問題が生じ、ハマスは2007年にガザを実効支配する。それに対してイスラエルは強く反発し、ガザへの人や物の出入りを厳しく制限し、海域も封鎖したのだ。

 (続く)

第2章1回は8月25日(金)掲載予定
(2017年08月19日掲載)

清田明宏(せいた あきひろ)
作者近影

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

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