集英社新書WEB連載
文字の大きさ

ガザの声を聴け!

002 UNRWA「ウンルワ」の歴史

 私は、ヨルダンのアンマン市にあるUNRWA「ウンルワ」の本部で保健局長(英語名はDirector of Health)として仕事をしている。この仕事に就いたのは2010年の11月だ。それ以前に仕事をしていた、エジプトのカイロ市にある世界保健機関(英語名はWorld Health Organization、略称はWHO)の東地中海地域事務局(英語名はEastern Mediterranean Regional Office)から移ってきた。

 UNRWA「ウンルワ」は実は非常に古い機関だ。パレスチナ難民が発生した1948年直後に難民の支援・救済をする機関の必要性が認識され、1949年の国際連合の総会で設立された。今、世界的に大問題となっている難民の世話をする機関として国際連合難民高等弁務官事務所(英語名はThe office of the United Nations High Commissioner for Refugees、略称はUNHCR)があるが、それが設立されたのは1950年だ。その1年前にUNRWA「ウンルワ」は設立されていた。そういった歴史的背景もあり、パレスチナ難民はUNRWA「ウンルワ」、その他のすべての難民はUNHCRが対応する、という区分が今も続いている。

 私が仕事を始めた2010年はUNRWA「ウンルワ」設立60周年だった。そしてアリ君は62歳になっている。こちらではすでに孫が数人いる年齢だ。アリ君ではない、アリお祖父さんだ。その62年間、彼はずっと難民であった。ヨルダン川西岸に19歳まで、それ以後はヨルダンに住む。

 彼の故郷はどこだろうか? 彼の人生を振り返ってみると、最も長く住んだのはヨルダンだ。そこが故郷だろうか。それとも生まれて19歳まで住んだヨルダン川西岸の難民キャンプだろうか。普通の日本人の感覚なら、少し考えてしまうかもしれない。

 しかし、アリ君(アリお祖父さん)は迷うことなくこう言うのだ。

「私の故郷は、祖父が1948年まで住んでいた、古いパレスチナの地だ。私の父は1948年、戦渦がひどくなり、1週間ぐらい避難するつもりで、家の戸締まりをし、家の鍵を持って避難した。その家のあった場所が私の故郷、パレスチナの地だ。それ以降、家には帰ることができなかったが、その家のある場所が間違いなく私の故郷だ」

 その思いは強く深い。多くのパレスチナ難民は当時の家の鍵を今も大事に持っている。

 私の仕事を紹介するのに、なぜUNRWA「ウンルワ」やパレスチナ難民の歴史を長々と書くのかと思われるかもしれない。その理由は単純だ。私が働いているUNRWA「ウンルワ」は非常に特殊な、長い歴史がある。それを理解することは今の仕事をする上で非常に大事だからだ。20世紀最大の負の遺産と最初に述べたが、その意味もおわかりいただけると思う。 (続く)

第2回は7月21日(金)掲載予定
(2017年07月14日掲載)

清田明宏(せいた あきひろ)
作者近影

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

ページトップへ