集英社新書
カルチュアどんぶり
作者近影 金平茂紀(かねひら しげのり)
TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長及びTBSインターナショナル副社長等を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。著書に『テレビニュースは終わらない』『世紀末モスクワを行く』『電視的』『二十三時的』『ホワイトハウスから徒歩5分』『報道再生ーグーグルとメディア崩壊』(河内孝氏との共著)他。


12-07(1) 演出家によって別バージョンになるという醍醐味

薮原検校ポスター薮原検校ポスター

「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」の第4作目『薮原検校』をみた。5年前に『薮原検校』の蜷川幸雄版をみたのは、確か渋谷のシアター・コクーンだった。今回の栗山民也版は世田谷パブリックシアターだ。僕はこの世田谷の劇場が大好きで、縦に高い造りがロンドンの劇場にも似ていて、天井桟敷みたいな場所もあるからなのだった。舞台との距離も近い。今回のこの劇の印象は前の時と随分異なっている。演出家によって全く異なった趣が生み出されるというのが演劇作品の醍醐味というものだろう。蜷川版は、黒光りする悪党の魅力(古田新太)と田中裕子(師匠の女房のお市)の哀れさが際立っていたのだが、今回は、野村萬斎演ずる杉の市=薮原検校が、何だか妙に悲しく根っからの悪党に思えないような気がしたのだ。これはどういうことだろう。劇を見終わって考えてみた。悪業自体がもつ快楽を強調するような演出に栗山版は抑制的なのだろうか。例えば舞台上での性交シーンの頻度という点では蜷川版の方が圧倒的に多かったような気がする。代わって前面に出ているのは差別社会の冷徹な構造だった。けれどもこの印象の違いを引き起こした決定的な要因は、あえて強引にあげれば、僕は〈3・11〉のような気がするのだ。人間ひとりひとりの悪業など、〈3・11〉が引き起こしたあの巨大な規模の悪=「天災・人災の複合体」に比べれば卑小なものにすぎないのではないか。そんなデジャヴュのような感覚が日本人ひとりひとりのなかにすでに刷り込まれてしまったのではないか。その意味で、演劇は〈3・11〉以前/以後では観客の見方が決定的に違ってしまったのではないか。まあ、こじつけみたいな所もあるのだけれど。それにしても狂言師・野村萬斎の魅力が十二分に引き出されたのは、浄瑠璃「義経記」のパロディとして演じられた早物語を語るシーンだった。まあ、早物語というのは今で言うとヒップホップとかラップなのだろう。リズム感覚とストーリーテリングの感覚が絶妙に絡み合ってむちゃくちゃにクールだった。野村萬斎でなければ絶対にできない技だ。フラメンコギター風の音楽もよかった。1973年の五月舎による初演の時のお市役は太地喜和子だった。今回のお市役の秋山菜津子という役者も実に存在感があってよかった。演劇作品は別バージョンがいろいろ生まれてこそ豊かになっていく。あの世でひさしさんは大きな前歯を出しながらほくそ笑んでいるだろう。


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