集英社新書
カルチュアどんぶり
作者近影 金平茂紀(かねひら しげのり)
TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長及びTBSインターナショナル副社長等を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。著書に『テレビニュースは終わらない』『世紀末モスクワを行く』『電視的』『二十三時的』『ホワイトハウスから徒歩5分』『報道再生ーグーグルとメディア崩壊』(河内孝氏との共著)他。


12-06(3) 神社と庶民をめぐる演劇

『闇に咲く花』のカーテンコール(筆者撮影)『闇に咲く花』のカーテンコール(筆者撮影)

 井上ひさし生誕77周年フェスティバルの第3作目『闇に咲く花』をみた。このフェスティバル、これまでのところ、大いに成功しているのではないだろうか。見るたびに再発見がある。と言うか、井上戯曲自体が時間の経過とともに進化・深化しているような印象を受ける。ひさしさんが亡くなって、その不在を必死に回復しようとするかのごとく、ひさしさんの芝居を大事に、大事にしていこうという役者、演出家、観客らの思いが、かえって強まったというか、そのような気さえするのだ。もちろん僕は一観客として、そのように見えるということを言っているだけなのだけれど。この『闇に咲く花』も、こまつ座初期の上演を相当昔に僕はみているものだが、今回ふたたび見ると印象がずいぶんと違った。そのひとつは、神社という存在が戦争中に果たしてきた役割と、戦後の「転向」および「再転向」という問題がこれほどまでにこの劇で描かれていたか、という発見である。もちろん、劇の基調にあるのは、空襲で焼かれて残った愛敬稲荷に集う神主と未亡人たちのたくましさと人間臭さに対する大いなる肯定である。必死に生きようとする庶民の姿の肯定である。そのなかの一人、神主の牛木公麿の優しさ、弱さ、狡猾さに、神社の「転向」「再転向」が象徴的にあらわれている。神社という存在の一部には、戦争中は庶民を戦場に送りだす国家装置と化し、戦後は、戦争でひどい目にあった庶民のシェルターとなり、さらに「民主主義」の旗振り役を演じるかのように振る舞い、時代が安定してくるにつれて、今度は神社本庁を中心に仰いで組織化を果たして生き延びようとした勢力があり、おそらく、その先に現在までも論議を呼んでいる〈靖国神社〉の戦犯合祀問題などが生まれてきたのだろう。もちろん『闇に咲く花』では、この合祀問題はまだ登場してきていない。だが、神社本庁への結集や、民主主義を喧伝する靖国神社の「時報の鐘」などが、劇の舞台背景や台詞に巧みに取り入れられている。神主・牛木は辻萬長のまさにはまり役だ。この『闇に咲く花』の役者たち13人は、これまで一人も欠けることなく今回もまた舞台に再結集したのだという。個性の強い役者さんたちの座組みでは、これはかなり珍しいことなのだという。劇が終わって、紀伊国屋のカフェでひとりコーヒーを飲んでいたら、舞台がはねたばかりの辻萬長が通りかかった。「すばらしい出来でしたね」と僕が挨拶をしたら、辻さんは「この劇はとってもチームワークがいいんですよ」と嬉しそうに話していた。タイトルの『闇に咲く花』とは、ひさしさんの「ひとりひとりがかけがえのない人間であり、誰にその生活や生命を奪うことができるのか」という問いかけに直結している。人間は、ひとりひとりが花なのだ。生きているうちが花なのだ。

 

 


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